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他人を敬ういにしえの文化


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開花した「異文化の花見の乾杯」



  
  


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  春の花見と双璧なのは夏の花火で、風流や粋を尊んで社会性「他者愛文化」を楽しんでいたことは浮世絵から察しられる。

この浮世絵を見てください! 説明は不要。
 

東都両国の夕涼

 房種
 

両国夕涼ミの図

 香蝶楼豊国
 
  

吾妻橋夕涼景

 豊国


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.When the cherry blossoms bloom in Japan, I will toast with love of culture. I be to share its culture with the world, we hope that it will be spread.

開花した「異文化の花見の乾杯」2021、4
 私は毎年桜の季節になると、木の下で輪になり乾杯しているグループを見たくて、花見のメッカ的な鶴舞公園に期待を持ってでかけてしまう。その上近年は外国人のグループが増えて、国際色豊かになり期待はさらに膨らんでいる。


 地元名古屋の中心に位置する「
花見のメッカ鶴舞公園、」桜満開、ポカポカ陽気に誘われて夕刻に出かけたら、公園は期待通りの「国際色満開」で、肌の違う異文化の人たちが楽しそうに桜の下のブルーシートに輪になり乾杯をしていた。

 壁紙写真は昨年の花見ですが、「なぜ日本人は屋外で桜を愛でて食事をするの?」の疑問は、この現場を見れば理解できます。他人と和をもつて敬うことが日本の文化であり、春夏秋冬の自然の四季があり、和を保つための茶道華道であり花見なのだ。それが日本人の美意識として、もののあわれや、侘び寂、風流、粋などは、すべて他人を意識した情感文化に繋がっている。

 花むしろの外人さんたちはまんざらでもない雰囲気だった。肌の色の違う異文化の人々が桜に集い乾杯している姿は、アラブとイスラエルのように異文化の対立で故郷を破壊されて逃げ惑う国の人々の悲しみの対極として、日本の文化の素晴らしさと言うべきではないか?。 

「わが背丈 野花に合わす 花むしろ」
拙句です

 一年に一度ぐらいは大地に座して地球を感じるべきです。目線が低くなって見下していた小さな生き物や自然が身近に同等に感じられて、視野が広がり地球の鼓動が肌に伝わる別世界だ。その上自然の一員として共有連帯した豊かな心を得られる。

ロシアとウクライナの境界に桜を咲かせて両国民参加の「花見の宴」または、「侘び茶」にみる自分
を質素に侘しくするほど、自然や他人と融和した和敬静寂の感慨や、無限の豊かさ楽しめる作法を学ぼう。

 この侘び寂の道沿いにある「粋と風流に遊ぶ」文化も、お金や物にこだわらない当時の古人の生き方で、逆引きの「野暮、無粋」とはまったく正反対の人生になるだろう。こうした一連の文化は日本の四季の移ろいという現象が大きく、まさに桜(自然)が現代においても、もののあわれで人間を睦み合わせているのです。

「礼儀深い国民性」や「おもてなしの文化」は、このような日本人の自然観から醸成された世界に稀な他者を敬う平和文化と言えます。

花見の国際化を記念して「和平の花見」ページをUPした。2015.4
 他者愛と自己愛Cthers love 自分でつくれる100歳健康体センテナリアン
centenarian  
 ようこそ江戸大衆文化へ

 何故 花見が好きか、人々が睦会うからだ

1、春うららの陽気で、人々が桜に集いのどかで平和な日本的な光景。

2、あちらこちらで数人づつが茣蓙で輪になり、他人と楽しみを共有する穏やかな光景。

3、輪になる茣蓙が多ければ「満開」のように嬉しい。

4、このような平和文化を楽しむ日本という四季のある国と日本人が好きになる。

5、中には老夫婦だけで、また老婆と息子だけのカップルでも、地球を感じる茣蓙の風合いはよく似合う。

6、桃山時代から桜は人と人を睦まじくし、人々もそれに順じてきた。

7、「100均」で売っている折り畳みの椅子と小さなテーブルだけのカップルもいて、
目線があったので笑顔で返した。そして遠い子供のころの「ままごと遊び」を思い出した。

令和となった2019.4.1の鶴舞公園の花見 動画

 
  
エッセイ もののあわれ1990.5 

  雨脚が激しくなったので私は釣りを中断して岸辺の林のな かへ雨宿り
に入った。渓谷は山が迫っていて日暮れが早く、まだ四時なのに辺り
は消入りそうに薄暗い。林の梢から落ちる雨粒が私の菅笠を音
をたてて打つ。
雨具を着ていたが背中が破れ雨が滲みて背筋が寒い。 下半身も水
の中に立ち込んでいたからずぶ濡れで、私は濡れネズミのようにみ
じめな姿である。

茂みのなかで腰を下ろすと、むきだしの木の根が蛇のように這い、
シダが 垂れて不気味だ。こうして無人の川辺で寒さに震えていると、
無性に人恋しくて温かな食卓や家庭のぬくもり、人の和などが貴重に
思ええ、逆に争いや欲望、贅沢がつまらなく感じて健康や愛 生命な
ど人間の本質的な価値観に目覚める。

雄大な大自然のなかの孤独な釣り師は、人間のはかなさ、小ささがし
みじみと身に迫り何が大切かを教えてくれる。対照的客観の 「もの」と
、感情的主観の「あはれ」が一致して生じる調和 的情趣の世界である。

 私の足元には同じように雨宿りする一匹の虫がいた。この心寂しい時に
出会う一匹の虫、一輪の花は命の仲間として私に強い感動を与えた。
寂しさとみじめの極限を経て無限の豊かさが あることを知った。
悠久な自然と私が連帯し同化した 瞬間で、静かに辺りを見回すと私の周り
は私の仲間 たちで一杯であった。

 「日本五大さくら」


三春滝桜 (みはるたきざくら)福島県田村郡三春町
 
高神代桜 (やまたかのじんだいざくら)山梨県北巨摩郡武川村
 
根尾谷淡墨桜 (ねおだにうすずみざくら)岐阜県本巣郡根尾村
 
石戸蒲桜 (いしとかばざくら埼玉県北本市
 
狩宿の下馬桜 (かりやどのげばざくら)静岡県富士宮市  
 
は日本三大さくら

  
 「花見の歴史」

 一般的には農民の豊穣祈願行事が発祥であったようで,平安時代に貴族の花宴として広がり「古今和歌集」の春の歌はほとんどが桜が題材、また万葉集」にも桜を詠んだ歌が残されており、「源氏物語」でも宮中での華やかな宴の様子が記されて、当時から貴族も庶民も桜を好んでいたことがわかります。

 桃山期に庶民に浸透し、江戸時代には年中行事として定着し、鎌倉時代に入ると貴族の桜宴はあらゆる階層に広まり、武士や庶民間でも行われるようになった。京都の寺社や山々に山桜が植えられたのもこの時代と想定できる。

 時代によってその意味合いが変化しても、桜花の宴には自然の恵みを喜び尊び、人間のひとときの平穏を慈しむ他者愛の心情が古来から日本に受け継がれている。

 振り返ると日本の文化は巡りくる春夏秋冬「四季」の影響がとても大きい。

 日本人は天が与えた神秘的な四季の移ろいに神を祀る行事や祭りごとをを行い、祈念する文化が今日に受け継がれている。それは逆に日本の自然や地震、台風、噴火等の反面文化であり、その国や人々の生き方や生死観に影響を与えたであろう。 

 しかし人自然の前にとても小さな存在であったことを知ることは、大きな力を得られたに違いない。

 その一つに自分より、自然を含む他者を敬う生き方ができたことは、とても大きな事であった。

  
 
日本人が世界に誇れる平和な時代であったことが想像できます。
歌川広重作は3点あり

浮世絵は庶民が桜だけでなく、四季折々の自然の移ろいを行事として、他人と愛でることを大切に、楽しみにしていたことが理解できる。他人を敬う日本人の原点は春夏秋冬の移ろいゆく四季が大きな要因だろう。

  
テニスサークルで花見の宴2016

3月29日名城テニスコートで午前にテニスを楽しみ、13時から公園内のお城の見える場所で花見をした。「花よりダンゴ=ダンゴより人の和」の、世界に誇れる文化を遺してくれた古人に乾杯した。人はたまには大地に座すべきだ。昔は自然、現代は地球が肌に伝わり、生物は小さくあわれな存在であることが体感できる。 
過去の花見テニス

花見の宴は昼にかけて行い、その後に酔い覚ましにテニスですが、近辺の名だたる公園は桜とコートはセットで有り、池や城址、屋台がありそれぞれの趣を楽しめました。しかし飲酒が厳しくなってからは、市内の鶴舞、名城が主になりました。
     大高緑地 あいち健康の森公園 小幡緑地公園 鶴舞公園テニスコート 吹上公園テニスコ-ト 名城庭球場


部屋代 場所代がただの宴の場!
  
新春 芽吹き 若葉 春めいた陽気 サクラは満開 広大な青空 人の和&輪 屋台 人々が睦みあう平和な光景 土中から春を覗うつくし これだけのセットを人的に作ろうとしたら?何千億円使っても無理。

 しかし日本の自然「四季」は毎年欠かさずに生命の息吹く春を演出する。まさに天から授かった自然の移ろいを、祖先たちは風流で粋な遊びこころで受け入れて楽しんできた。
 季節の移ろいをさまざまな祭りごとや行事を作って祝い、他人と共有する文化につなげて現代に至っている。自分ファーストな人にはできない行動で、現代人は時には先人が遺した遊びこころを共有して、俗界を離れて自然「地球」に接するべきだ。そこは生命が輝き共有できる、他者「自然」フアーストの世界で、地球の一員という捉え方ができれば明るい視界が広がるだろう。

行事や祭りごとの参考半年分
自我の外にあるのが「風流や粋」反対語「野暮で無粋」

1月1日元日
2月8日 針供養
1月2日 初夢・書き初め  2月中旬 かまくら(秋田県横手市)
 1月7日 七草 2月中旬 なまはげ紫灯
まつり(秋田県男鹿市)
 1月11日 鏡開き 3月3日 雛まつり
 1月15日 どんど焼 3月13日 東大寺二月堂お水取り
2月3日(ごろ) 節分
春分日(3月21日ごろ) 
 
風流や粋は日本的だが、行事や祭りごとは人類すべてが共有できる
生活のなかの意味ある営みである。
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動画はこちら

テニスサークル花見の宴 2016年春名城公園

 
   鶴舞の桜で異文化に乾杯 名古屋市昭和区鶴舞公園 2015.3.30 さくら100選
  田舎の桜 岐阜県瑞穂市馬場 糸貫川 2015.3.31
 
  2014  名古屋城の桜 Sakura of Nagoya Castie
 
 霞間ヶ渓のさくら   岐阜県池田町 2014.4. さくら100選
 
 五条川の桜 愛知県岩倉市五条川
 
東山植物園の桜の回廊 名古屋市千種区
 
日本の桜 写真 Cherry blossoms in Japan
 
 桜の水彩画
 
 Googleストリートビューで日本の桜名所めぐり
 


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