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 動物のエッセイ

 
    
 
パンダ
テレビで「ムツゴロウのゆかいなパンダ物語」を見た。パンダは双子を産んだ時に母親は一匹だけを膝の上で育てる習性がありもう一匹は死ぬことになる。人馴れした飼育場のパンダが双子を生んだ場合は人の手により二匹とも育てて自然に返そうという記録の番組である。

 生まれた直後に捨てられる運命の子パンダを人間が拾い飼育室で育て、少し成長したころにその子パンダを連れて檻に入り隙をみて取り替えるのである。、

 目が見え歩けるようになると二匹の子パンダは初めに育てられた”親”を慕って「追い鳴き」をするようになる。母パンダが外の運動場出た時は育てられた弟パンダが追い鳴きし、人間に拾われた兄パンダは飼育人に追い鳴きをする。この時期を見計らって弟と母パンダの居る檻に兄パンダを置き去りにして飼育人は外へ出ると兄は飼育人を慕い追い鳴きをする。

檻の中から飼育人の居る外へ出たがって鉄格子に顔を突っ込み激しく鳴く。するとその声に母パンダの遺伝子がうずくのか、膝の上の弟を傍らに置いてむっくらと起きて歩き出し鉄格子に頭を突っ込ませている兄の後ろから身体を咥えて頭を出そうとする。

 この時の無理に引きずり出すことはせずに、角度を変えて頭が抜ける位置を探して慎重に取り出す親の行動は感動する。

 こうして兄弟はひとり立ちするまで母パンダに同じように育てられ野に返される。信頼できる飼育人だけが成せる技だが二匹の子パンダの乳を欲しがる時の鳴き声は同じだから親は本能的に騙されるのだろう。
 ムツゴロウ氏は感極まった表情で「動物はすばらしいですね!」氏のこの「は」は動物より優れた知能を持ちながら愚かな行動をとる人間への悲しみが言外に込められているような気がする。
燕の巣立ち 
子燕や うながす親は 遠からず 順風

 親つばめが子燕にうながすことはただ一つ、巣立ちです。近所に毎年つばめが巣営する家があり水墨画を描くためにビデオカメラで撮ったりして観察をしていると、ヒナの小さい頃はいるのかいないのか分からないが、巣立ちの頃にになるとどれが親なのかヒナなのか分からないくらい成長します。
 判別するために近づこうとすると一羽が飛び立ち私の頭をかすめるようにして羽音を頭上でさせるのですが、この羽音が結構大きくてビックリするくらいです。手に掴めるような小さな生き物がすごい行動ですね。それで親は判別できます。
 巣立ちの頃の親はエサをくわえたまま近くの木や電線に止まります。子燕は巣から落ちるくらい鳴き騒ぎ落ちないように羽と爪でバランスをとり、巣立ちの予行練習になるわけですが、私が感心するのは親の止まる位置が、子燕にとって決して遠い位置ではない場所に止まっている点です。子燕が決意できるような位置を知っている。そしてその位置は少しづつ遠くなっていくのです。 
 いや〜動物の本能は素晴らしいですね。
 絵を描くための動物写真はビデオカメラに限ります。10分も撮れば何百の静止画が可能ですし絵になる動きのポーズも簡単に取り出せます。、
社会人に巣立できない飼い主
ある朝愛犬チビ太をつれて千種公園へ散歩に出かけると紐につながれていない犬「マルチーズ」がいました。(チビ太は犬が大嫌いで自分より小型犬でも出逢うと情けないかなシッポをまいて私の後ろに隠れます)マルチーズは隠れるチビ太を見て勝ち誇ったように寄ってきて逃げ回るチビ太をうなり声をあげて追いかけ、飼い主の中年の主婦は慌ててつかまえようとしますがつかまりません。

 私は思わずコラーと大声をだし「捕まえられないものを離すな」と怒りました。すると主婦は「いえ捕まえられますよ」とか「ただお友達になりたいだけなのに」等々こちらが悪いかのような言い訳をしました。( ̄□ ̄;)! !

 公園で「うちの子は大丈夫」とばかりに自慢げに離している人をよく見かけますが、こうした興奮状態になると犬は畜生丸出しになりつかまえられないことは愚かな飼い主に何度も経験を強いられてきました。すれちがうだけで吠えたり飛びかかろうとするしつけのできてない通り魔のような犬もよく見かけます。

 帰宅してから私はその言い訳した主婦にとどめの反撃を加えられなかった回転の悪い自分の脳ミソを悔やみました。(T△T)
 「あなたは見知らぬ私から『仲良くしよう』とまとわりつかれたり身体を触られても喜べるんですか?」と。
「しまった、しまった、聞いて触ればよかった。「爆笑」」  (;^_^ 05.7.25
蝉の巣立ち
千種公園の一本の木の下に蝉の幼虫が巣立った無数の穴を発見しました。見上げると樹上には鈴なりに抜け殻がぶら下がっていて蝉の世界の生のドラマを感じます。幹の下の方でで脱皮しかけに蟻に襲われて朽ち果てた幼虫を見たことがありますが、彼らも必死に出来るだけ他の幼虫より上に登る必要があるんですね。
 指が入らないような小さな穴にはまだ幼虫がいる可能性があり小枝などを入れるとつかまってそっと出すことができます。それを自宅のなるべく大人の背くらいの樹木、なければ屋内の柱やカーテンなどに止まらせると夜中に脱皮を始めて夜明けとともに飛び立ちます。この感動の巣立ちを子供さんに体験させてあげてください。05.7.30
その写真
環境エンリッイメント
集団で生活する動物園の猿園に高木を植えたり蟻塚を作ったりエサを隠したりすると、猿たちは本能を刺激されて表情が生き生きし、檻の内のストレスや異常行動が軽減されることが分かった。「環境エンリッチメント」。
 衣食足りて礼節を知ると言いますが、生物の安穏はうっかりすると精神が緩んで目的を失い異常を来たすという事実です。動物の本能や習性はさまざまですが共通しているのは「子孫繁栄」であり、そのために食欲、性欲、母性等の本能が備わり、その本能を活性化させるためには日々の「興味」「刺激」「反応」「学習」「競争」「工夫」なども生体にとっては大切なことになってきます。
 従って檻で飼われる動物のように衣食住足りることは生物にとって反自然的で子孫繁栄に不適当、不健康でストレスをかかえる不幸な状態といえます。
 これは同じ一員である人間にも当てはまり、物が溢れている豊かな自由社会を「檻」のように感じて無目的、無気力、ノイローゼで苦しんでいる人々がいる。最近の若い世代に見られる異常さ「ひきこもり、親殺し、凶悪犯罪の多発」は貧しい社会にはない現象です。
 イラクやアフガニスタン、東南アジアの貧しい国の子供たちをテレビで見ると、ゴミの中から金目の物を探しだしたり、幼い弟を幼い兄が抱いたりして外に出て生きる糧を探すこと必死です。屋内にこもっていては生きられないのです。貧乏は生きることを厳しくして目の前の登るべき道をはっきりと示します。ひとり立ちしようとする世代の者が自分の居場所が定まらないことに不安を感じることは想像に難くありません。
 池を渡るゴリラは棒で深さをさぐりながら渡ったり、蟻塚の細い棒などはよく知られていますが、工夫して進化することは生命の根源であり、釣りの仕掛けや銀杏採の道具を作って自然のなかで使う「試す」ことは狩猟本能だけでなく、趣味を超えて大切なことだと考えます。
 現代の衣食住完備したなかでなにを目的とするか?。人は自然の一員という自然観、「小さな人間」「儚い生物」という人生観が必要で決して強くも大きくもない。そこから第一歩が始まります。そのためには外に出て他人、自然、スポーツ、文化に接っすることです。
 生物の究極の本能「子孫繁栄」をより確実なものにする工夫や、そのための環境エンリッチメントを理解して、趣味を学び健全な精神を育むことが人の究極な営み、自分の居場所が定まる生きる目的、と言えるしょう。
 結論として子孫繁栄のより良い社会環境は外にのみあります。社会の一員として個人だけの幸せを「求める行為」から、自然保護や恵まれない人々へのボランテア、癒しとなるような芸術表現、社会奉仕など「与える行為」に転換する。これが万人の健全な精神を育むヒトの環境エンリッチメントであることを信じて、当サイトは更新し運営しています。

外「と」にも出よ 触るるばかりに 春の月 中村汀女
動物への接し方
 サファリパークや動物園で動物に襲われて死亡する事故が時々報じられます。今年8月にアフリカ、ジンバブエサファリで日本人観光客がライオンに襲われて死亡。10月25日に富士サファリで飼育係りさんがヒグマに襲われて死亡され、以前97年には群馬サファリで若夫婦と親夫婦が二台の乗用車に分かれて入園した時に、乳児を預かっていた祖母が泣き止まないので車から降りて前の車の若夫婦に手渡そうとして虎に襲われ、助けようとした祖父と二人が死亡した悲惨な事故がありました。

 猛獣と名のつく動物は4本の強力な爪で押さえ込んで首の後ろを一咬みでしとめる「殺しのプロ」です。

 殺人は人間だけが犯すものではないわけで、動物たちと常に接っしてる飼育係は死の危険がつきまとい重軽傷はその倍以上。動物の直接的な攻撃ではなく、業務中の怪我を入れると10倍以上になるようです。

 象やライオンだけでなく身近な牛やシカには凶器となる角、馬は後ろ足。ラクダも口が大きくて強いアゴを武器としています。もし頭部をかまれれば咬み砕かれるでしょう。牛に突き飛ばされる・挟まれる、馬に蹴られる、噛まれたりして亡くなる人が年間10人程いるそうです。
 またペットの犬に咬み殺される事故も時々あり、記憶にあるのは土佐犬二匹の入った檻にエサを持って?入った飼い主が二匹に噛み殺されたり、工場のパートさんが工場主の承諾を得て乳児を乗せた乳母車を傍らにおいて仕事中に、そこで放し飼いの飼い犬「大型犬」に乳児が瞬間的に咬まれて死亡。
 こうした悲惨な事故に共通することは、立ち上がれば人間の大人並の背と体重を持つ動物には気を許してはいけないことと、体が小さい子供の危険は大人の何倍にもなることです。
 動物たちは生きていくための自分を守る武器を有しているのに人間は丸腰です。いくらしつけられていても感情を持ちストレスをかかえていることもあります。また持って生まれた野生の本能とか、人間でさえ衝動的行動をとる動物であることを忘れないようにすべきです。
 
 飼育係さんの危険は生命保険や傷害保険会社などは認識をしていて,飼育係さんは保険に入れないケースが多いことも知っておくべきですし、私たち一般の人もこうした動物の習性と、避けることができた「事故」だったという反省と尊厳をもって動物と接することが真の愛情だと言えるのではないでしょうか。

     闘犬種を引縄を付けず運動させ咬傷事故をもたらした事件  
  犬の咬傷事故Q&A

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昭和30年6月17日芸をする東山の象徴であったインド像のマカニーとエルドが飼育係を踏み殺す。
1972年旭山動物園で飼育員がゾウに襲われ死亡する事故、3日間閉園
和み猫
両足を開いて仰向きに寝た猫を陶器で作った。我が家の猫で飼い主を信頼した甘えのポーズである。この猫を陶磁器資料館の作陶室で受け取った時に、近くにいた生徒の一人が私に言った。『係り員から聞いたんだけど窯から出した時に悲鳴をあげたんだって、てっきり野良猫が入り込んで焼け死んだと思ったんだって』 

 猫は陶芸でよく作られる身近な動物だが小さくて座ったポーズが多い。この作品のような等身大で仰向きは見方によっては手足で空をつかんだ悶絶死に見えなくもない。

 この猫を通行人から見えるように店のウィンドウ脇にミニフトンに寝かせているのだが、通行人がこの猫を目に止めると多くの人が目を細めた笑みを漏らしてくれる。なかには近づいてしげしげと眺め和んだ表情を見せてくれる。 

 私はこうした通行人の反応を店内から眺めていて本望であった。
 陶芸に限らず芸術創作の主目的に他ならないからだ。一つの動物作品が他人を和ませることは生き物への愛とか生命を尊ぶことにつながり作者冥利につきる。私はこの猫をまねき猫ならぬ和み猫と名付けた。
                      
こたつ寝の 背骨突き出る 老ひし猫    順風 1999.3
肖像
 私たちは生活のなかで水辺や土、草花に接するとホット心休まるものを感じる。これは人間が自然の一員であることを本能的に察して心が癒されるのだろう。換言すれば現代はいかに反自然のなかの生活をしているかの現われかも知れない。
 そんな折に各地に大規模な水族館がオープンしているが、人間の自然回帰の血が騒ぐのだろう。また都市化、合理化、機械化されていく現代の拒否反応だろうか。
 全ての生物は水より誕生し私たちも母体の羊水より生まれでた。従って水辺にはさまざまな動植物が集合する。澄んだ水の世界には色も形もさまざまな魚たちがひれを巧みに操って優雅に小宇宙を泳いでいて、いつまでも見飽きない世界である。


 魚に限らず地球上の生物たちは何と不思議で個性的な形をしているのだろうか。飛ぶ鳥は飛びやすく、泳ぐ魚は泳ぎやすく、走り動物は走りやすいように、無駄のない美しい姿で環境に適応している。そして懸命にまた本能的に生を営む彼らの姿は立派で、表情も魅力的で私の創作意欲をかりたてる。小蛙一っ匹作陶するにしろ描くにしろ私は彼らの尊厳を損なはないよう文句を言はれないよう気をつかう。

 私が土とペン、筆で創る彼らの肖像は、失われていくかけがいのないものを自分の手で蘇らせたい、遺したいという愛惜の念であると同時に、川や海を守るためにはそこに棲む生物をいかに愛せるかの創作表現の追及である。
 1984. 
水濁す かと水遁の術 使ふ          
      かと「おたまじゃくし」のこと