カウンター
 Top理容人生 
contents項目top
日本人の礼節Top
Welcome to a japanese courtesy
 なんとかしろ

怒ることに努力を要するコーナー
モラル崩壊
ていたらくな首相が三代続きそう
モラルハザードをなんとかしろ!
子供を守れない社会の不徳
子どもの自殺の責任は教師か親か
美と醜
100円ショップと郵便局
首都 東京をを考える
スタンドプレー
飲酒運転事故
機会と人間
政府の対応 中越地震
7人死亡
児童虐待
殉職
 
自画像歳時記館
Artの入り口
楽しい水彩画
宗教
ご近所リンク
エッセイ
翻訳Translation
 
独りごと   
09.6.29 ていたらくな首相が三代続きそう。
 今日のていたらくな政治の責任は長年の政権与党として権力中枢に君臨してきた自民党にありますが、過去の不祥事にそのつどお灸をすえられる立場にいた国民がけじめをつけられなかったことが一番の責任者です。
 
 経済の失速は頭のよい学者が指針を示して素人の安易な意見は慎むべきですが、人間の性や社会の真理、良識、などは頭の良い悪いは関係なく判断がつけられます。
 むしろ格言「天はニ物を与えない、一長一短で完璧な人間はいない」にもあるように、
勉強ばかりしてきた頭の良い人ほど偏った考え方をして、無学な者ほど遊びを通して庶民の気持や人の心理に長けていることも充分に有りえる真理です。
 最近のていたらくな政治家を見ていると、いづれも高学歴なのに考え方のバランスが悪く国民の心理や心情に無知で、信念や気概もないのに自惚れだけは強い歪んだ自己愛者が多いと思えるようになりました。

 歪んだ自己愛者ほど国民のため「他者愛」の仮面をかぶり他者愛の幟を高く掲げます。その上パホーマンスが得意で詭弁を偽装した熱弁をふるって国民を洗脳します。そのような政治家を先生と崇めて国では殿様のように扱い、それが慣例化すれば当然の価値観として欲っし「自分は崇められて当然だ」という偏った自己愛的尊大な行動をとることになります。

 例えば国の首相を権力派閥で決めるというとんでもないゴーマイズムが何代も続き、恥を世界に晒していることに国民はどう考えているのだろうか。多数という数を国民のためではなく自己の権力を維持するために行使していることで、いまや社会はそれに習って「強いもの勝ち」の「モラリハザード」社会と言われている。
 不祥事に対して厳しい審判をくだすためには、常に自戒して礼節に留意していないと他人のこころの裏は分かりません。
07.12  モラルハザードをなんとかしろ!
 2007年の師走は連日防衛省汚職や社保庁の不祥事が報じられていますが、防衛と年金は国家と国民の根幹を成す重要な省庁で、ここでの不祥事は「日の丸」を食い物にしていると言わざるを得ません。国の安全を守る防衛庁の賄賂は国賊として、年金は国家による振込み詐欺として国民は二重に裏切られたような悲しい出来事です。
 今日の日本は「モラルハザード」道徳の崩壊社会と言われています。安部総理は選挙中に来年の3月までには最後の一人まで解決すると発言しました。安部さんの後釜の福田総理はそのときの安部発言を「公約になりますかね?」と逃げ、別の議員も「選挙で出た言葉」と無関係なような態度で呆れました。昔は国を「お上」と呼びましたが国を信じられない国民ほど不幸なことはありません。
 日ごろ偉そうな態度をしている政治家や役人が、二重人格者のように立場を悪用偽装して私腹を肥やす行動は、昔なら国賊ですが現代では国賊という言葉はないのでしょうか。?
 
 
05.12.12 なんとかしろ! 周囲の大人が子供を守れない不徳な社会
 抵抗のできない幼女を悪戯目的だけではなく、殺しを目的に誘拐する恐ろしい事件が発生しています。私たち大人はこのような昨今の世相(変質者はどこにでも居てしかも密室となる車を持ち普通の顔をして、その上欲望を満たさなければ生きられない猛獣より性質の悪い性格を持つ)を認識すべきです。頼りになるのは市民からの不審者情報ぐらいしかないのが現状で、地域、学校、父兄など周囲の連係が大切になってきます。
 ところが数年前から日本の社会は他人の不幸や社会の問題にも対岸の火を見るような個人主義的風潮になり、隣組みとか子供会などを疎む人が多くなっている。
  その結果として自分のことしか考えない人が増えて「健全な社会」を気にかける人が少なくなり、(これは小さな不道徳を犯していることです)知らず知らずのうちに今日の結果を招いたといわざるを得ません。下の11,28日付け「美と醜」のように、見境なく金銭欲や性欲にすすむ人が毎日のように報じられて、結局は因果応報で我が身に降りかかり子孫が辛い思いをすることになるんです。
 ここで言えることはシニア世代は長い人生を経験して最も分別の分かる世代です。比較的時間や金銭的な余裕もあります。地域のなかで堕していく社会を傍観する不道徳を犯していてよいのだろうかと常に自問自答しています。
 今池文化センターのエッセイ講座に通っていた10年ほど前のエッセイ、不徳の罪を記した「小さなこと」のページをUPしました。
また秋の味覚の銀杏の採り方、食べ方、干し柿の作り方をUP
     
006.11.子どもの自殺の責任は教師か親か
 いじめは昔からありましたが生きることに厳しく、復興する将来の希望と庶民的連帯があり今日のような深刻な問題に発展しなかった。貧しさは登るべき道をはっきり示すが、豊かさと自由のなかでは人は迷へる子羊となる。現代は豊かさの負の遺産「数字を追うあまりのモラルの欠如」が進行中。
@幼児に何万円もする殺人ゲームを買い与えて夢中にさせ、小学生には携帯を持ち頭は情報過多で仮想か現実か、生か死かの区別に疎くなり、人間関係や社会性が未熟でうまく対応できない。
Aテレビで食べ物を粗末にしたり後輩をいじめて笑わせて喜んだりして品格と節度のないマスコミを黙認している社会。
B子どもたちは「跳ね返す強い相手」にいじめはしない。打たれ弱い子に優越感をもち自分の影響力を試す心理があることも知るべきである。わが子を打たれ強くすると同時に、一つしかない命の大切さ、ペットを飼うなどして家族で可愛がりその死を悲しむ情緒を育てる。「核家族化」で祖父母の愛情と死別を体験できない点などを考えると、家庭での情操教育がいかに大切か、それを自覚する親が少ない。
C子どもを守るのは親だという信念がない。その上教師に責任転化する無責任さ。親が子を守らずして誰が守るのか。人任せ、学校任せ、何かが起これば他人のせいにする無責任な親が多すぎて社会のコアになる家庭の形が崩れ、家庭崩壊⇒道徳崩壊につながっていく。子は親の背を見て育つもの。子どもの自殺する真理も他人のせいにしてはいないだろうか。
 またわが子がいじめられないかを心配するだけで、いじめる側を心配を親がいないことも問題だ。幼少のころから「人さまに迷惑をかけないこと」と「悪いことをしたら地獄に落ちる」「弱いものいじめをすることの卑怯さ」を身をもって教え、それを背中で示すくらいの父親が少ない。
 
C学校の「履修問題」にもみられるように受験志向だけの教育だったことが露呈した。企業、マスコミ、家庭も同じように数字だけを追う価値観を長年持ち続けてきた結果が、モラルハザード「道徳崩壊」と言われる今日の現状である。
D優秀な教師は生徒に目が向いているが、管理職志向「権力志向」が強い教師は校長や教育委員会に取り入り要領よく出世する。現実はこのような自己中心的な「自己愛管理職」に支配されている教育界、また日本ではないだろうか。だから「お詫び会見」などの不祥事が絶えない。
D弱者を思いやれる真の豊かな社会「道徳観や信義を重んじる社会」はどうしたらやってくるだろうか。
当サイトは「小さななモラルを大切にする」がテーマですが、それにしても政府は造反組を数合わせだけで復党させようとしていますが、国民への信義はそれで立つのでしょうか?。
 05.11.28 芸術の秋6「美と醜
 記録を作った朝青龍の涙と最速大関をめざす琴欧州の笑顔はよかったですね。それに比べて営利を先鋭化させて耐震基準の手を抜いて欠陥ビルを売りつけたり、悪質リホーム詐欺を働いたり幼い子供を殺めたりして、ようもまあ後から後から気分の悪い人間が出現しますね。
 人間社会は個人と個人の葛藤や軋轢、人間としての性があり善と悪は社会のの宿命でしょうか。「悪行をおこなうと地獄に落ちる」という戒めもさっぱり効果はありません。
 病的な異常者は別にして本質的には誰でも善悪の心を持っていると信じますが、分岐していく「過ちを犯す」初めはほんの小さな誰でも手を染めるようなことで、それを曖昧にすることにより少しずつ麻痺して正常の分別がつかなくなるのではないだろうか。
 「これくらいなら分からない」「少しぐらいなら」の習慣が麻薬のように深みにはまって行く。従って小さな不道徳に流されないようにし自分を常に律っしなければならないが私の持論です。
 これは「自分に厳しく他人には優しく」することですが、こだわるほど他人にも厳しさを押し付けたり要求することになり、これは美なのか醜なのか自己矛盾を抱えることになって難しい。
 醜と比較して創られる「社会の規範」や「道徳」「善行」「謙虚」も美しきものですが、醜と比較しない純粋な美はあるのだろうか?
 また何故私はこんな小難しいことに悩まなければならないか?
どんな表現でも表現しょうとする行動は、その人の内なる感情の発露、社会や人間観を投影したもので絵画や写真、文章を描くときに避けて通れない永遠のテーマです。
05.8.27 100円ショップと郵便局
 二年ほど前に近くの千種郵便局で小包を送りました。客を二列に並ばせて二人の中年の小包係りが対応していました。私の前に並ぶ客が外国小包のため係員が手間取り隣の列はどんどん進みます。私の後ろに並んでいた人も並び変えて終えて帰られました。私は「銀行のATMのように一列に並ばせるべきだ」と文句を言って帰りました。
 後日100円ショップへ行った時にレジーのアルバイト風な女性が一人で対応し私は二番目に並んでいました。その列が混んでくると近くの陳列台で仕分けしていた従業員に「ooさんレジーをお願いします」と声をかけその女性が走って奥のレジーに立ったらアルバイト風の女性は二番目で待っている私を見て「二番目のお客様からそちへ」と誘導してくれました。
 高校生のようなあどけない女性でしたが細かい部分までマニュアルがしっかりなされている会社に感心し郵便局の対応と比較した次第です。
     去るものと 来しもの近し 秋隣
05,8,6 原爆の日に首都 東京をを考える。 中地震  4571x?
       

 恐れていた中地震が神戸を襲った。「1995.1.17」 自然を小さく人間を大きく見積もってきた人類の傲慢を打ち崩した。「怖いのは地震ではなく人間が造った建物や橋が怖いのだ。野の牛は一匹も死んではいない。」という新聞のコラムは全くその通りで、大地が人を飲み込むように裂けるような大地震ではなかった。
 にもかかわらず建築の権威や初動の遅れた行政のうろたえぶりと「予想外の規模」と言い訳する姿に人間の脆弱性を思い知る。
 人間が築いてきた豊かな文化生活は「砂上の楼閣」のようなものだが、常に自然を大きく人間や自己を小さくして謙虚に対応すれば自ずから防災意識は高くなって、都市部での高層化、高速化、過密化、拡大化の危険認識は深められるだろう。
---------------------------------------------------------------------
 上は神戸震災後に記した私のエッセイ「中地震」の一部です。

  神戸地震から10年後の先日に首都圏での巨大地震の被害予想が発表されました。神戸地震クラスで死者は一万数千人の予想だそうですが相変わらず行政の責任逃れの数字で一桁少なくないでしょうか。「神戸は4571名」
 以前から「いつ起きてもおかしくはない」と首都の移転を含む一極集中の危険性を指摘されながら行政も経済界もほとんど進展がない。先日の震度5の地震でさえ首都の高層マンションのエレベーターが78基ストップして乗客が何時間も缶詰になったことでも分かるように、技師、学者、行政の防災意識は恐ろしく貧弱です。大都市東京の建造物は神戸の何十倍、世界有数の多さと過密は複合的に被害を拡大させるもので、日本の中枢を破壊するに足る恐ろしき死亡者数を自覚して初めて防災の第一歩がはじまります。
 こうした恐ろしい数字を行政が予測することの責任と混乱を逃れるための数字「被害予想」でしかなく「天災だから仕方がない」「まれに見る予想外の」で済ませようとする無責任に暗澹とする。
 個人が防災意識に気が乗らないのは許されるとして、行政側は地震国日本の自覚とそこから予想される被害、また神戸の教訓、今日は「原爆の日」ですが時間帯により広島並の被害の可能性もあることなど、必ずやってくるものに手をこまねいている行政は犯罪行為だと認識すべきではないだろうか。
 機能分散等にかかる費用は被害の1/10〜1/100で済ませることができるわけだから、壊滅的になる前に地震大臣をつくり権限と責任を持たせて責任の所在を明確にし強力敏速に進めてほしい。
 それにしてもテレビで映し出されていた神戸震災の圧死と焼死の衝撃は遠い彼方へ忘れ去られるんでしょうか。歴史は悲劇を何度も繰り返す愚かな人類を表していますがどうにもならない宿命を感じます。
       人間は「忘れるべきこと」と「忘れてはいけないこと」がある。そのことを忘れるべからず。
  神戸大学になまなましい震災の記録があります。http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/ 
  こちらは広島平和記念資料館    
05.7.16スタンドプレー?
 犬の散歩に仲田公園へいくと月に一度だけ日曜日に掃除に来られるグループがあります。今まではご苦労様という気持で眺めていましたが、ある日の朝子供の遊び場にころがっている犬の糞を避けて掃除をしておられることに気がつき、私は銀蝿がたかっている糞を指差して「こうゆう物は掃除してもらえませんか?」と訊ねると「そんな汚いものは掃除しない」と答えられました。続けて「われわれは強制的に掃除しているのではなく善意でしているんだから、、、、」
 私はある宗教団体の活動だということを知っていただけに少し残念でした。個人の善意にはそれ以上の要求はできませんが、宗教の看板を背負った活動で信仰者として日頃は他人に布教活動7されていることを考えると矛盾を感じます。
 この時期はたいした落ち葉も無く、通行人がうっかりすると踏んづけるくらい多くころがっている糞を、箒を持ちながら避けて掃除されることは、良いことだけが記載されている宗教新聞のようで釈然としませんでした。。
陶器をリニュウアル
05.5.28なんとかしろ! 朝には元気な人が夕には白骨に----
 なぜ社会は悲惨な事件事故があとを絶たないのでしょうか。JP西日本の鉄道事故「人災、不祥事」の余韻が冷めやらぬうちに飲酒運転の車によって青春真っ只中の生徒3人が命を奪われました。社会の無情さに悲しみと憤りを禁じえません。いずれも運転手のちょっとした不注意や傲慢、不遜、横暴さが招いた事故ですが、機械としての乗り物はどんどん軽く早く高性能になりますが、それを操る人間は全く進歩性がなく個々に「心のブレーキ、マナー」が備えられていなかったら、ブレーキのない凶器を操るに等しく科学も無意味に帰します。それをなくするために社会はルールやマナーをつくり管理者、監督官庁があるはずですが、今回の怒りをぶつけるとすれば警察ということになります。
 飲酒運転の罰則は重くなったものの夜間の飲酒運転は無法状態が現状です。それでいて昼間の「一旦停車」違反などは見えないところに7〜8人も隠れていて、ブレーキをかけ低速で左右の安全を確かめて通過しようとする車に止め、「一旦停車」の意味をくどくどと述べて反則キップを切る自動車学校の教官のような警察官の行動は「他にするべきことがないのか?」と言いたくなるのは私だけでしょうか。
 そして日頃から社会人としてのマナーを遵守することに一人一人が気をつける風潮を維持しないと、暴走を暴走だと自覚できない人を増やすことになり、つくづく社会は美しいもの「日本人の美意識、礼節、茶道、華道、もののあわれ、侘び寂び、謙譲の美徳、美談、調和、ボンサンス、名画、名作、美しい行為、美しいスポーツフォームなど」に感動し尊べる豊かな文化「それは醜悪を憎む心につながります」を育むことの大切さを痛感します。
 草の根のWEBマスターが新しくページを二つUPしました。「Yrio Art GalleryPhotoStory3連続上映
05.4.30 機械と人間
 悲惨な鉄道事故がおきました。運転手も亡くなられましたが写真で見る遺影はあどけなさの残る若い人でした。何百人もの命を預けるにはいかにも心もとない少年の顔に見えましたが、年上の車掌が暴走を感じながらブレーキをかける役割を果たせなかったのが残念です。人の心は日によっては心身消失やイライラ、睡眠不足で体調が悪かったり冷静さを失った状態になり得る生身の感情の動物ですから、機械化がいくら進んでもそれを操る人の感情を制御できるマニュアル作りとかペアを組む車掌の役割に管理者は心しなければならないと思いました。
 こんなときに人間の叡智がテーマの「愛、地球博」にでかけて素朴な文化や歴史、民族に触れられるグローバルコモン3〜4を見学してフルサイズ高画質でUPしました。          遠足児 リニモに瞳 輝せり万博で 宇宙遊泳 春の月。地球博 身振り手振りに 山笑ふ 
04,10,26 政府の対応が遅い新潟中越地震
 連日震災のTVニュースが報じられて見ていて心が痛みます。阪神大震災より被害は少ないもののSOSの文字を発信せざるを得ない極限状態が何日も続く「四日間」現状に政府、自衛隊は何をやっとるかと言いたくなります。台風と地震国である日本の広範囲な災害マニアルを実行できるのは国であって未経験な自冶体では対応できない、このような時こそ国は税金や国の組織としての機能を困っている人々に敏速に的確に使うべきなのに、3〜4割の責任しか果たしてないように感じる。自衛隊は仮想敵国などという有るか無いかわからないものに待機をしていれば良いというものではない。国民を守るために創設されたはずの自衛隊が何故SOSを発している老人や乳児に大規模で敏速な作戦を展開できないのだろうか。
いい加減にしろ。事件、事故、不祥事 04,7,31
 有意義な釣行をしたあくる日「27日、火曜]に気分の悪い事件と事故が報じられた。一つは東海北陸自動車道、白鳥近くの正面衝突で7人死亡の事故であり、あとの一つは賄賂で愛知自民の政治家5人逮捕された事件です。跡を絶たない社会の不条理になんともいたたまれな気分になる。東海北陸道路は美濃から北が片側1車線の対面通行で以前から危険を指摘され悲惨な事故を起こしてきた。妻の里だから甥や姪が名古屋方面へよく出かけてくるし、私自身も家族と、また釣りで何十回も走った道であり他人事ではない。一家5人が夏休みの旅行で巻き添えになり亡くなられた悲劇は経典「朝元気で家を出た人が夕には白骨と化す」にもあるように儚いこの世そのものでです。過日相手の3tトラックは1、5tも過積載だったことが判明、その会社も会社ですが私は高速道を管理する側の責任を問いたくなってくる。金を支払って走る道路に何故このような違法な凶器が我がもの顔で爆走しているのか。1,5tもの過積載で高速で走ればハンドルやブレーキ、タイヤに負担をかけて凶暴なマシーンと化す。東名などの大動脈は無理でしょうが危険を指摘されている一車線の地方道は出入り口でそれらしいトラックをチェックをすべきではないだろうか? チェックと言えば政治家の逮捕も相変わらずの辟易とする事件ですが、国民がチェックできるシステムを持ちながら何故このような議員がいつまでも金脈汚染を蔓延させているのでしょうか。選挙での調子の良い公約とは裏腹の私利私欲のていたらくでは市民の生活は良くなるわけがない。大企業は少しずつ「コンプライアンス」(法令順守)を重視するようになりましたが、それでもトップの最敬礼のお詫び会見は跡を絶たない。このような不快社会に目の覚めるような善意がありました。福井の水害に匿名で2億円の宝くじ当たり券を寄付。私も宝くじを買いますが口先だけの汚い金に群がる人たちとなんと対照的な違いでしょうか。人の善意は汚れた不安定社会でほど美しく輝きますが、こうした善と悪、生と死、愛と憎しみ等の二面性は人間社会の悲しい宿命のようですね。     爽やかな 風はひと時 夕立あと「ゆだち」 
なんとかしろ   暴力はダイナイズムを持ちエスカレートする。2003,10,24
 児童虐待のシグナルを大人が受け取りながらまたもや悲劇は繰り返された。過去、母子家庭+愛人+児童の生傷=虐待の危険は高い、という認識は関係者に無かったのだろうか。その上暴力や虐待はエスカレートする心理、つまり大人の力加減5の虐待に異常がなければ次回6に上がり6の虐待をすれば次回7に上がって破滅するまで進む。この限界とか理性に盲目で時間のない危険な精神状態にあることを、周りの冷静な関係者、給料をもらっている専門家に求めることは無理なのだろうか。二人の若い罪人を作ってしまった罪も合わせて,何とかして欲しい社会風潮である。
なんとかしろ 傷ましい殉職  2003,9,21
 消火活動や職務質問、立てこもる犯人への説得、また民間会社の保全等において現場で行動する人の死亡があとを絶たない。優秀な人材をかかえた大きな組織を持ちながらながら、現場の安全マニュアルがおざなりで簡単に人命が奪われることは気の毒以上の組織の不祥事、役員の怠慢である。不審車両の職務質問に複数の警察官が居ながら、一人が轢き殺される事件、ガソリンが気化すると爆発する認識、無防備な産廃燃料タンクの消火事故など対策がいつも後手になっている。現場は危険と時間の制約のなかで行動をとりやすく、組織としてプロとして上に立つ者が責任を持ち安全マニュアルの徹底を計るべきではないか。

                             ページtop↑