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なつかしい日本語 |
あまど雨戸 |
笠木 かさぎ |
灯籠とうろう |
障子しょうじ |
いぐさ藺草 |
鴨井かもい |
床の間とこのま |
数寄屋すきや |
いど井戸 |
唐紙からかみ |
仏間ぶつま |
千本格子 せんぼんこうし |
いろり 囲炉裏 |
擬宝珠ぎぼし |
長屋ながや |
たたき三和土 |
えどま江戸間 |
切妻屋根きりづまやね |
長押なげし |
たたみおもて畳表 |
えんがわ縁側 |
釘隠しくぎかくし |
納屋なや |
畳縁たたもべり |
押し入れ |
盛んさかん |
納戸なんど |
違い棚ちがいだな |
鬼瓦おにがわら |
敷居しきい |
根太ねだ |
茶室ちゃしつ |
垣根かきね |
下地窓したじまど |
間取りまどり |
天袋てんぶくろ |
欄間らんま |
廊下ろうか |
日本間にほんま |
藁床わらどこ |
硯すずり |
筆ふで |
水墨すいぼく |
和紙わし |
牛舎ぎゅうしゃ |
土間どま |
寄棟よせむね
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入母屋 いりもや |
令和2年の日本 ) |
昭和と平成の年号を経て令和となった日本だが、この間、経済は発展したものの、欲望が際限なく国民の性を歪めて、その証拠に児童虐待がウナギ登りに増えている。また9月に首相は安部さんから菅さんに交代したが、安部さんの浮かれた音頭で「自民党万歳」を三唱していたことが悲しい。
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社会で子育てドットコム「ウナギ登りの児童虐待」
この現実を知らずして万歳などできるのだろうか |
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引用 外国人江戸見聞録
①『(中略)日本国民はあらゆる仕事のうちに、堅固なるその精神と、未だ目覚めたに過ぎない科学の与えうる限りの賢明なる精神とを、常に現はしている。私の試みた片影の描写を見た人は、日本人を野蛮民族のうちに入れはしないだろう。 私としては文明国民に比して遜色のないものと思っている。その政治組織、外国人に対する態度、その美術、土地の耕作、国内到るろころに見られる豊饒な産物、その他いろいろなものが、この国民の賢明にして意志強固に且つ勇気に富むことを證している。』『ツンベルグ日本紀行』山田珠樹訳 雄松堂書店
②『(中略)仮に日本と支那がヨーロッパの諸国と国交を結んでヨーロッパの制にならうと、人間同士の間の戦争はますます頻繁になり、よけいに人間の血が流れることになるのではないか」と尋ねた。「そうです、そのようになるかも知れない」と我われは答えた。「もしそうだとすれば」と日本人は続けた。 「さっきから二時間ばかりその利益をいろいろと説明していただいたが、日本としてはヨーロッパと交際するより、国民の不幸を少なくするためには古来の立場を守った方がよいというのが我われの意見です。」 正直言って私は、この遠回しの思いがけない反駁にどう答えてよいか知らなかった。そこで私としては、「私がもっと日本語が上手になったときには、もちろん我われの意見をもっと正しく証明することが出来るのですが」と答えるより仕方がなかった。しかし心中では、たとえ私が日本語の演説家になったとしても、この真理に反駁することは難しいだろう、と考えたのであった。』 『ロシア士官の見た徳川日本』徳力真太郎訳 講談社 『日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。廷臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるくらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾りたてていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそなえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた。
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北斎の手踊図を模写
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『ヒュースケン日本日記』青木枝朗訳 岩波文庫
2014.10
当時、幕府だけが公認できた遊郭や芝居小屋を名古屋の地で公認し、名古屋に芸能ブームをき起こしました。吉宗の緊縮令で出番を失った江戸・上方の役者や芸人が名古屋に集まり、まさに「芸どころ名古屋」が花開いたのです。宗春は、少々のことには目をつむり、民衆ができるだけのびのびと生活できるような政治を目指したのです。言ってみれば「人にやさしい」政治理念だったのです。何か現代にも通じるように思いませんか。 マニフェストであり家訓でもある『温知政要』を執筆したことでも知られている。
外部リンク(名古屋観光情報)より
こうした文化の名残は大須や 名古屋城から徳川園に至る地域に見られるが、平成という時代では名古屋大学からのノーベル賞受賞者が多いことや、日本のものづくりの拠点、また芸どころと言われることも、宗春さんの政策や文化的な視野の広さのお陰です。 外部リンク江戸文化と歴史のページへ
貧しさが原因で社会から孤立する市民はどこの国にも存在する。15年前にフランスが取った文化的政策で劇的に改善された例はこちらArtの入口Topの⑤★へ
宿なしで徹夜踊りを楽しむ方法
名古屋には江戸文化を感じられる地域が残っています。尾張藩第七代藩主の徳川宗春は、江戸文化を積極的に名古屋に取り入れた。直接的な経済政策ではなかったが、庶民に文化的感動をもたらして視野を広げて活力を与え、創造力を養い芸事、習い事がものづくりに進展する。
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個性溢れる江戸「八百八町」 |
神田川 |
神田。湯島
神田川を運河化して隅田川に流すことで、日比谷一帯の乾燥化と干拓が進み、江戸城への資材の流入として運河の掘削が進む。また神田は江戸っ子が暮らす下町で職人町。 |
日本橋
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日本橋 江戸と商業の中心で、隅田川に掛けて五街道の中心でもある。富士山と江戸城、日本橋が一体した人気スポツト
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浅草寺 |
浅草
浅草寺詣でだけではなく、見世物小屋、芝居小屋、やさまざまな遊びができた浅草。雷門、
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不忍池 |
上野
風景が良くて不忍池があり、風光明媚な桜や蓮の花見、雪見で賑わう。
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品川 |
芝、高輪。品川
海が近い宿場町 旅籠や茶屋、遊女 多数
潮干狩り 洲崎弁天 |
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洲崎神社
深川
洲崎神社 富岡八幡宮 七渡神社
海が近く、門前の花街と深川芸者で有名 |
娯楽 遊び 名所 |
猿若町=歌舞伎や飲食自由の芝居小屋など「助六」「四谷怪談」 飛鳥山= 花見や景勝地で富士山や筑波山まで見渡せる。
隅田川=花火や大道芸、涼みの名所。食事つきの納涼船、湯屋で浴衣に着替えて風流を楽しんだ。
両国=大人気の相撲 浅草奥山=浅草寺の門前町の賑わいと裏山の遊興地「大道芸、屋台」があった。 不忍池=出会い茶屋があり入り口で茶と煙草盆を受け取りデートスポット 吉原=江戸で唯一な幕府公認遊郭、花魁 目黒=富士見の名所、広重は目黒からの富士が多い。 丘場所=江戸に190カ所もあった非合法の花街。 三富= 幕府公認の宝くじ
#鐘つき堂
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江戸時代の名残りの町「奈良井宿」 2009.10
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Wikipediaから
江戸時代(えどじだい、1603年(慶長8年)~1867年(慶応3年)、徳川時代とも)とは、江戸幕府によって日本が統治されていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つ。
慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ江戸(現在の東京)に幕府が開かれた時を始まりとし、慶応3年10月14日(1867年11月15日)に大政奉還するまでの264年間を指す。
ただし、関ヶ原の戦いにおいて徳川家康が勝利した1600年(慶長5年)を始期、江戸幕府の本拠地である江戸城が官軍(朝廷)に明け渡された1868年(慶応4年/明治元年)を終期とする見方も存在する。なお、徳川時代や、藩政時代の別称もある。ただし後者は、専らこの時代に特定の藩の藩領だった地域の郷土史における歴史区分として使われる。
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俳句 |
松永貞徳(貞門俳諧)西山宗因(談林俳諧)、松尾芭蕉(蕉風俳諧) 与謝蕪村 小林一茶 |
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染めものその他 |
友禅染 小紋染 江戸切子 薩摩切子 ほっぺん |
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音楽 |
地歌 長唄 浄瑠璃 胡弓 尺八 明清楽 |
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絵画 |
狩野探幽 俵屋宗達 酒井抱一 与謝蕪村 浦上玉堂 池大雅 円山応挙 土佐光起 |
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焼物その他 |
根付 漆器 七宝焼 有田焼 京焼 九谷焼 瀬戸焼 萩焼 |
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浮世絵 |
歌川広重 葛飾北斎 喜多川歌麿 東洲斎写楽 鳥居清長北斎を模写の投稿動画で見る |
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地歌 長唄などは検索で。
エッセイ「科学は人間を幸せにするか」
昭和のころは人生50年といわれていたのに、近年はアンチエイジング (反加齢)医学の進歩で倍の百歳の長寿を可能にした。しかしハードに発展する科学に対して進歩性のない人のこころは、モンスターのように巨大化した科学の前に脆弱化して不安を覚え決して心が豊とは言えない。 街中の高層ビルなど構造物は巨大で、個人の住いも重いドアと頑丈なドアと鍵をこしらえ、その上柵や塀でしきり屋内もプライバシーとかで個室が多くて、まるで外部と立しているようで、社会や科学が大きくなるほど脆弱さを持つ人間は阻害されたような孤独と不安を抱え、犯罪は異常さと低年齢化を招き世相を暗くして悪循環となります。
未開の奥地に住む原住民の生活をテレビで見たことがありますが、彼らは雨がしのげるだけの小屋に住み家財も少なく粗末な生活をしてるが表情は意外と明るい。原始的な社会ほど個人の生活は地域や他人、自然と関わりが深く、素朴な信仰や行事のなかで生き、個人の喜びや悲しみは地域とか全体で分かち合っている。 例えば誰かの死に対して村中が泣き悲しんでいて、まさに自然の一員というつつましい姿で、科学の恩恵は受けられなくても愛情豊かで心は健全であり、少なくとも親殺し子殺し、うつ病の自分殺しは無いと考えられます。 長寿を含めた物質的豊かさのなかの孤独で脆弱な国民より、貧しくとも豊かな文化を共有できる国民であるべきで、そのファクターとなるのは、他人を意識した人々との地域における連帯感や価値観の共有です。他人との信頼関係がベースにある生活が、健全な精神を育む人間社会の原点であろうかと考えます。
この点について日本には先人が残してくれた世界に誇れる自己と他者との『和』の文化が残されています。日本人の礼儀深さや勤勉さ自然を凝縮した生け花、俳句、和敬静寂の茶道、枯れ山水の盆栽、苔蒸す社寺の浄土の庭園と思索の小道、悟りの禅と筆を惜しむ水墨画、幽玄な侘び寂びともののあわれの世界など、他人を意識して尊ぶ日本人の美意識であり文化です。
またお祭りや盆踊りなどの地域に伝わる行事もしかりで、このような文化を尊べる人は社会や他人を尊べる人であり、自己愛を超越した他者愛者として健全な精神、無欲な愛の連帯感をもたらすと定義できるのではないでしょうか。
Meb書籍、日本人の礼儀
コロナウイルス2020.6. 世界中がコロナウイルスに苦しんでいる時期に、日本政府の対応が遅れたにも関わらず、感染や死者が少ないことを、海外のメデアは奇跡的だと報道したが、江戸時代の粋や風流を他人と共有し、信義を重んじたサムライ魂などの影響だと管理人は捉えるが、褒めすぎだろうか。 「自分も他人のように芸事に秀でたい、習いたい。」という、他人を意識した、さらに言えば他者を敬う気持ちからの行動。管理人も「江戸」から影響を受けて趣味がこんなに増えました!。
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