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尾張名古屋の名所と文化Top Welcome | ||
尾張名古屋は城でもつ? 行きたくない観光都市NO1。売りこみも自己主張も下手。 壁紙は名城公園より名古屋城を眺める。 |
壁紙は名城公園から見たいにしえの名古屋城 名古屋市は工業機器の車や工作機械等は手先が器用なのか、日本一を超えて世界的なものは数多くあるのに、 文化的な遺産は名城と4観音、建中寺、日泰寺などしかない。その上交通事故死者数、空き巣の被害額まで名が 通っている。 建て替えられた名古屋市科学館は立派なものらしい。 地理的には両横綱の間で遠慮がちな小結という感じの名古屋市ですが、徳川宗春が庶民の規制を解き芸事を奨励して尾張を発展させたことは、芸事の名古屋の礎であり、市民の文化への関心は深いといえます。 名古屋城は大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、金の鯱(金鯱(きんこ)は、城だけでなく名古屋の街の象徴です。 また名古屋城あたりも、公的な宿泊施設のある文化的な施設等も充実して、庭園も含めて気持ちの良いエリアになっているので、新緑や紅葉を感じる季節には是非市民も「特に特典のある高齢者」は散策すべきです。 「当GoogelマップでGoo!」 いにしえ関連コアサイト |
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名所・旧跡
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名古屋観光
イベント情報なごや明日の休日はどこへ行こうか?。有意義に過ごすため。 名古屋観光情報 |
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なごや港花火大会や夜景など眺望を楽しめる名古屋のビル 〇JRセントラルタワーズ 15階に展望スペーススカイストリートがあります。 最上階のパノラマサロンで食事をしながら夜景を見るという方法もいいかもしれません。 〇テレビ塔 入館料700円 90mのスカイデッキ、100mのスカイバルコニー 〇、ミットランドスクエア名古屋一の高層ビル 44F-46Fにある「プロムナード」屋外型展望施設。 地上220Mで風を感じながら回遊し、247m名古屋の街並みをほぼ360度一望できます。 入場料 500円〜 エレベーターはB1Fから乗ると41Fに着くので、41Fからはエスカレーターで42「プロムナード入口」に上がります。 〇東山スカイタ1ワー 海抜80mの山の上に立つ134mのタワー展望室
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名古屋市の歴史的資産 | 破天荒な自由人、尾張藩7代藩主 徳川宗春 | 徳川美術館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾張4観音 徳川家が400年前に名古屋城を築き、鬼門となる四方の寺院を鎮護寺として尾張4観音と言うようになる。南区の笠寺観音、守山区の龍泉寺観音、中川区の荒子観音、愛知県海部市の甚目寺観音であり、すべてが千年以上の歴史がある。 江戸時代以降は季節を区切る意味の節分が立春(2月4日)の前日に行われる風習となる。 節分とは立春、立夏 立秋 立冬の前日を言う。 徳川家康が名古屋城築城に際して、城からの鬼門の方角の4寺を鎮護としたとされる。いずれも千数百年の古刹大須観音は美濃からの移した比較的新しく4観音ではない。
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名古屋城の建て替え 2016.4. | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在 名古屋市は名古屋城の天守閣を木造にするべきかコンクリートで補強するべきかで意見は二つに分かれている。 ,東京五輪が決まった時に「おもてなしの日本」のフレーズが世界に発信されました。このフレーズはいにしえからの日本の文化で、他者を敬う礼儀深い国民性を表しています。 京都が人気世界観光都市に二年連続で選ばれたが ,景観や構造物ではなく、こうした情感的文化に惹かれるのではと考えます。 日本人の国民性は島国で春夏秋冬の豊かな四季があった環境の影響が大きい。自分以外の他者や自然界を尊ぶ捉え方で、他者が豊かに生を営める環境こそが、自らにも最も良い環境になるという、当たり前のことですがヒトは常に利害に拘る争いの歴史を刻んできた。 , 「もののあわれ、侘び寂」は、英訳し難い日本人独特の感性、美意識ですが、この意識は文献によると「粋や風流」という価値をもたらし、現代に伝わる各地のお祭り「京都の祭りの備品に風流の文字がが冠せられている。(風流槍)など」や盆踊り茶道、日本庭園、日本料理、花見の宴、等々は、まさに遊び心で他人と睦みあい風流を楽しむ文化です。 つまり、いにしえ人は俗世にありながらお金や物に拘ることなく、「粋や風流」を共有する価値観を求めたのです。 そのうえ近年は過酷な地球環境で生物は生きてきたことも判明して、儚く小さな生物同士が争うことの虚しさは先人の教え通りですね。 こうした優れた他者愛文化を後世に継承することは現代人の義務だけでなく、 争いや対立の絶えないパワーゲームが台頭してきた2016年現在の世界では特別な和敬文化であり、その価値はお金では計れません。過去、現代、未来とつながる歴史のなかで、現代の日本人は戦争により名古屋城を含む多くの大切なものを焼失させましたが、 建築費を惜しんで偽ものを子孫に遺そうとすることは、いにしえ人がもっとも恥とした、自分(現代人)さえ良ければ良いという利己主義者の姿であり、日本人の精神遺産まで消失させようとする議論であることを忘れてはいけない。
ちなみに1945年5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿,大天守、小天守、東北隅櫓、正門などが焼失した。戦後1959年に天守や金鯱再建して名古屋のシンボルとなる。その後本丸御殿の再建も計画されたがバブル崩壊でとん挫した経緯がある。 |
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お城博士 |
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「日本国宝5城」 姫路城 松本城 彦根城 犬山城 松江城 中部地方に3城!!\(^o^)/ 「天守12」 日本のお城は100以上あるのに江戸時代からの歴史的天守があるのは12しかない。否12もある!というべきか。 姫路城兵庫県 丸岡城福井県 犬山城愛知県 彦根城滋賀県 松本城長野県弘前城青森県 松山城岡山県 松江城島根県 丸亀城香川県 松山城愛媛県 宇和島城愛媛県 高知城高知県 全部はなかなか踏破できないので、せめてネットで覗いて見よう。 |
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近郷の桜と紅葉の名所 文化施設 |
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文化のみちとは 名古屋城から徳川園にかけてこのエリア、江戸時代は中・下級武士の屋敷が連なっていました。 明治から昭和の初めにかけては、近代産業の担い手となる起業家、宗教家、ジャーナリストなど様々な人が去来し、交流する舞台となりました。江戸時代、名古屋城の南に広がった商業地区に対して、東に伸びた武家屋敷地区が「文化のみち」のルーツです。 名古屋城、徳川美術館、建中寺などが大名文化の華やかさを伝えるほか、山車や祭囃子など庶民の祭りが今も大切に守られています。大正時代になると、この地区は企業家たちの屋敷町へと変わっていきます。 発明王と言われた兄・佐吉を支えた豊田佐助の旧邸や陶磁器を輸出する貿易として成功した春田鉄次郎の旧邸などが今も残されており、歴史と文の香りを漂わせています。 |