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ホームページを作り10年が経った〜その総括 2003.11 |
HPを作って10年目の総括 2013,10
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いまから10年ほど前にインターネットは「世界の博物館、美術館を家庭に持つようなもの」と形容されていた。新しい世界にロマンを感じて初めてパソコンを買い書店でサトウサンペイ著、「パソコンのパの字」を買う。文字通りパの字からのスタートで、半年後の2003年7月になんとかHPを立ち上げて10年が経過した。
現在はPCの能力、ネット検索能力、ネット環境などが著しく進化して、あらゆる物、あらゆる事が調べられる宝箱になっている。私のネットへのロマンはこの宝箱を所有できたことだけでも当たっていた。
ノーベル賞を授与された益川敏英氏が講演で「研究を続けられたのは社会にロマンを待てたから」と仰られた。私は最近「人生に美意識をもつことの意義」を強く感じて日記にも記したが、ロマンは美意識の産物でありボジティブな行動が10年目の結果を生んだと言えます。
2013.10
HPを立ち上げた頃は「趣味の発表の場」と「家業の宣伝」だったが、宝箱で学んだことを備忘録としてHPBにメモするようにサイトUPして、コンテンツをを増やすことができたことは、結果的に三重の利益を享受できるようになった。ネットは@「自分が学ぶ場」⇒A「学んだことをHPにUPして他人の役に立ち、アクセスと収入を増やし自分の可能性を広げた」⇒B「パホーマンスに優れたネットは自分を表現しやすく、他人からシェアされてコミュニテイに繋がる。」になっているのです。
「学ぶ場」の一つの例としてブラウザを複数使い、その中の一つを辞書専用に使います。「ブラウザとは」で検索するとネット専用辞書がドバッ!とでてきて類似や反対語まで掲載されいる。「文は人なり」と言いますが「HPも人なり」という考えで内容は推敲を繰り返して作りました。その他有名画家の作品や絵画技術を紹介したサイトはネット上に溢れていて無料で学び放題です。
HPは私の趣味「コンテンツ」の多さがネットの進化にタイミングが合ったと考えられます。つまり当サイト「理容人生」のピラミット型の構成で数多い子供や孫にあたるコンテンツが、検索の進化でそれぞれがヒットして複数のHPを運営している状況になりアクセスを増やせました。例えば子供のコンテンツの「水彩画」には孫の「4線描写」「デッサンの極意」「水彩画用紙の種類」「Googleストリートビューから写生」「田舎の絵」などの多くのサブコンテンツがありますが、すべてトップページに検索されます。
宝箱を所有してからは趣味の発表の場「個人のHPの7割を占める」から、他人の役に立つ専門性、個性的、利便性にシフトできましたが、06年から取り入れていていたアドセンスが、09年度から月に万の桁を超えるようになったことはアクセスUpに比例した余禄です
ネットのパホーマンスは、自分専用の放送局を持つようなものから、SNSの「アラブの春」のように爆発的に進化した。自分のHPを介して実体現できるコミニティは自分が主宰者で充実感を持てます。、テニスサークル「仲よし会の案内」「水彩画教室の案内」「ヘアサロンツツミの案内」などで、「テニス、、」はメンバー全員にネット環境があり、サイトを見て入会される人が大半ですが、サークルの案内と会のポリシー「メンバーの人間関係を大切に」に感動したと言われる人もいて、内容や趣旨がシェアされた訳でHP&サークルの管理人として嬉しいことです。また3.11のときには「仲よし会」で被災者支援をさせていただいた。
「水彩画」は、自作の発表もありますが、「水彩の学びすと」「Googleストリートビューから写生」「水彩教室」は専門性、個性的、利便性がありと授業マニュアルをHPで更新していて自分の可能性を広げました。これらをfacebookやツイッターで発信しますが世界3〜40カ国から訪問者があります。特にストリートビューから写生したり、「ドロミティ岳三十六景」は10年前の私には想像もできない世界で、その上ビューはの感慨をもたらして⇒地球人、世界は一つのネット時代の連帯ができます。こうした物好き人間は世界初の可能性までもあります。
また私の絵を店のウインドウに掲げてあり、通勤や散歩の人たちがリピータとなり、なかにはドアを開けて入り絵について質問や話をされる人があり、これも予期せぬ地域のコミュと言えます。他人を教えることは自分も学ぶことになり、ロマンを持てたことが学びすとの環境をつくってくれたのです。ゼロからスタートしたこの10年間は小さな積み重ねでしたが、年数が重ねれば小さなことでも形あるものになります。
「ヘアサロン、、」も50年も営業していると一つのコミュニティでです。頭髪を整える職業ですが、継続して来店されるお客様は店主夫婦を信頼して来店される訳で、その信頼を損なわない茶道のこころが必要です。
技術だけでなく人の繋がりのなかで招く者と招かれる者の茶道のしみじみとした信頼関係「コミニティ」を味わえることは健康的で幸せなことです。ここにもネットからの訪問者があることは、低額理容室が周辺に多いなかで決してお金だけの人間社会ではないことです。
この点はフクシマの被災者への保証が金銭だけでは済まない訳で、「古里」「地域」「人々」とのつながりや連帯等の「生業」が失われた悲しみは、日本人として共有しなければならない。 このようなHPの内容に興味を示して頂けることは店主への関心でシェアされたと感じています。人生は捉え方次第ですがまさにHPは人なりで、ネットは
人を変える可能性を持っています。近年は他人と共有できることを幸せに感じる社会ですが、言い換えると文明や科学が発達するほど森や田の神が居なくなり個としての人間は脆弱になり、連帯や共有するものを見つけられなくて孤立する。こうした時代こそ地や他人、自然と世界への関わりが重要になってくる。
自営業は農業、漁業、科学者、アーティストと同じで定年がなく、歳を
経るなかでネットが介する三つのコミュを生業として趣味を楽しみながら人の繋がりを実体現できる日常生活が、宝箱のなかの最大の宝石だと感じています。
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人生に美意識を持つ意義 2013.5
超ポジティブなお婆ちゃん
当店の道路にに面したウインドウに風景画を掲げています。月に1〜2度入れ替えるが通行人が足を止めて見ていかれたり、リピーターも現れて店内の店主と目が合うと手を挙げて挨拶をされたり、なかには店内へ入り画用紙や絵具の銘柄を訪ねる人もいて地域の小さな文化的コミュニテイになっている。
その縁で一人のリピータが3月から教室に入られることになり、2月26日の教室へ見学に来られて皆さんに紹介した。
「以前から花は描いたことがあるが、このような風景画を描いてみたい」と興味を持って頂いていた。とても前向きで臆するもののない明るいお婆ちゃんで、80過ぎかなと思っていたが89歳で驚いた。さらに曰く「この歳になった私に先生と呼べる人ができたことが嬉しい」
私は母親のような年配の人に大変恐縮した。そして芸術文化に触発される関心や感動は健康や長寿にも大きく関わっている、まさに栄養であることを納得。ちなみにリピータは女性が大半で男女の平均寿命の差も納得。また絵を描くこと自体が描こうとする愛する対象をすること。
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長年の私の趣味「釣、俳句、絵画、陶芸、エッセイ」を通して雄大な大自然に接してヒトの小ささを知り、また接客業で多くの客人の人となりに接したきたこと、テニスへの挑戦とサークルの人間関係、ご近所の付き合い等々の生活のなかで、人生に美意識をもつことの意義を強く感じるようになった。
真善美を訳すと「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。」とあり三者一体のようです。また美は日本の平均寿命の男女間の差に見ることができます。
女性は高齢になっても化粧をされて身だしなみに気をくばります。その上友人を誘いお茶のみやデパート巡り、習い事等を楽しまれて、ポジテブに人生に順応されていますが、美への関心がロマンや夢、愛、感動につながり女性の長寿や健康の源になっている。
一社会人としても美意識は「美しい社会」の重要なファクターになります。美を尊ぶことは醜を嫌悪することで、悪行を戒めて健全な社会の一員として秩序を守ろうとします。汚職や凶悪事件の多い社会は、美意識に反する醜悪で悲しい社会です。
社会の隅に生きる弱者に心を配り、広い視野で秩序や調和のある社会づくりができて、美意識によって秩序は守られてより美しくなります。格言「シンプル イズ ビュウティフル」
仕事や商いにおいても美意識は商道に反する行動を戒めます。
花には水を、人には愛を、商いはこころを注ぐ
企業は美意識に おいて社会的責任を果たす意識が生じます。
特に政治家はオーケストラの指揮者のような広い視野で調和と秩序のある美しい日本の、将来の設計図を書けなければれいけない。
強い弱いがはっきりと差のつくテニスのサークルでは、強者が人間関係も上であるかのような上からの言動をとりがちですが、美意識からすると醜悪でメンバーの平等を趣旨とするポリシーを掲げています。
スポーツの技術面でも美意識は重要なファクターです。プロであれアマであり見た目に美しいフォーム=パワーに無駄や無理のない安定感のあるバランスの良いフォームが求めるべき理想で、上級者ほどこの基本(原点)に忠実です。北海道の旭山動物園の人気の秘密は、特別なことをしている訳ではなく、少し視野を広くして頭を柔らかくすれば、誰でも考えられるアイデアで、企業家にも役立つ真理ではないだろうか。某サッカークラブの監督が「美しいサッカー」を求めたことも理解できる。
文章において利口ぶりたいのかやたら難しい漢字を多用する人がいるが、見ただけで読む気がなくなります。平易な言葉の簡潔明瞭が文章の基本であり美しさで。
日本の文化俳句や水墨画の余情は文章にも重要で、またひらがなを生かして漢字の個性が引き立つ真理も知らなければなりません、これは他者を活かして自分が生かされる社会のなりたちと同じ意識で、今書いている拙い文章と文章を載せているホームページも,余白や全体のバランスを意識て創作しています「ウインドウ(両横)一杯の長文は読みづらい」。
専門家の視野の狭さはよく耳にする言葉ですが、3.11以後の多くの専門家は評判を落とした。原発問題は原発の危険より、それを管理する専門家の視野の狭さからくる傲慢さと危機管理を頭に描けない硬直さがもっとも危惧されるところ。
このように「美意識」=広い視界のなかの愛する対象を得る=ロマン、楽しさ、謙虚さ、感動、広い世界、アイデア、夢、調和と秩序、上達、ポジテブな人生, 他者愛 社会のためになることを欲する。につながり、これらはどれも人間だけが得られる豊かな情感「視界」であることに気がつく。
美を意識できることは神様がヒトだけに与えてくれ宝物。ヒトを人たらしめると同時に人生をポジティブに全うする法則のように思える。
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「習う」という行動は社会や他人を意識した自らを向上させようと「律する」謙虚さの現れであり、他人へのひとつの礼儀を表しています。
日本人はちょん髷時代から習い事を楽しみ、日本の文化として俳句や水墨画の精神に見られる「余情」=「自我を惜しむ」という豊かな情感を持ち得る国民であることは世界に知られているが、日本人の謙虚、礼儀、勤勉は美意識によるものだと言えます。
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2012.10.29 GoogleストリートビューはArtだ!。 |
グーグルサイトにビュー可能な世界地図があります。ビュー範囲は今のところ西欧が主体だが、中でもイタリア、フランス、クロアチア、チェコはほぼ全域がSビューエリアで、PCの国別写真保存フォルダは15を超えた。その上イタリアにはサブフォルダの「ナポリ、ローマ、シチリア島、ブローチア島、」があり、最近「マッターホルン」を新たに加えた。
見慣れないイタリア側の南壁だが、スイス側の北壁と違い麓は明るい陽光に溢れて水彩の題材に向いている。また雄大な山脈と小さく見える人間の対照が良い。
ドイツとスイスは何故かSビュウエリアは少なく、北壁はなんとかエリア内で雪山のマッターホルンをゲットできた。現場は雪の山脈でSビューの住所検索は難しいが、前方にあの見慣れた北壁が現れたときは感動した。「陶器でもマッターホルンを作った」
全域がエリアの4か国を足しげく周って感じたことは、陸続きの歴史の重みと構造物が大きく重厚な点が共通している。破壊と創造を繰り返してきた人類の歴史を感じない訳にはいられないが、そんな感慨からかビュー画面を進みだすと止められなくなるくらい魅了される。
私のサイトに「自己愛と他者愛」があります。
哲学的にはエロスは愛や恋を指すが欲望による自己愛とされアガペー「神の愛、天上愛、他者愛」とは区別されるが。芸術的にも二つの愛は万国共通の題材だろう。
画家トム.ロバーツの言葉 「愛するものを描き描いたものを愛する」 私の追加する言葉「礼節」を重んじることは他人を意識した重んじる姿勢。「学ぶ姿勢」も重んじている「人様」の他人に自己を合わせようとする礼儀的行動。⇒敬意と自らの謙虚さを表す。そして「Art」は自然や生物などの他者を愛してその大切さを訴えたい愛する価値観を共有したいという他者文化の創作行動と言える。
昔から信義を重んじたり習い事などの文化に親しんだ日本人の行動は、他者への一つの礼儀であり礼儀深い日本人の特徴となる。
また他者愛 は究極の自己愛であり、自己愛は究極には争いを生む欲望の愛である。なので豊かな文化とは自己愛を超越できた、弱者や老人、子供や女性を労われる豊かな人を増やし、貧しい文化とは自分のことし考えない貧しい国民を増やし、殺伐とした争いの絶えない不幸な国家となる。
人は日本も含めて災害や戦争に翻弄されながら生きてきた。ストリートビュー画面は上から写されているせいか人物は小さく儚い庶民に感じて愛おしく、ひとときの庶民の幸せを描きたいと願った。もともとArtや哲学はこうした人間の不条理で不確実性に萌えるように出現するものだが、そこに共通する「愛」はArtの重要なコンセプトである。
Sビューで他国の風景と風景のなかの人々に接すると、写真でありながら写真にない現場に居るような連続した臨場感があって、天から眺めるように情感深く感じられるのは私だけであろうか。その理由は撮影する角度が高いことと、さらに地球の表裏を簡単に行き来できるバーチャルでありながら科学的に進んだ世界だからである。
これはまさに天上愛であり他者愛なのだ。そしてそれを感じさせる新しいArtの世界でもある。
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2012.3.1 活け花と絵を描くこと |
ご近所からバラの花を頂いて寺小屋教室の題材を急遽変更してバラを写生することになった。
風景画に没頭したいた私も花瓶に活けられた「活け花」に華を感じて写生した。妻が活けたのだが他の花とうまく組み合わせて描きたいと思わせる風情が漂っている。
写生しながら感じたことは絵を描くことは画用紙に活け花をするようなものではないか。花を活かすのは花器だけではなく、伸び伸びと組み合わせた調和の妙、配色、形などを花器となる画用紙に活かすことである。
その他活け風景、活け人物、活け静物、活け花など画用紙は額縁として花器のように愛する対象を構築して輝かせるのである。 |
選挙ポスターと消火栓、学童のいる水彩画Gallery2 |
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07,1, 芸術がヒトを人間にする「画家千住 博氏の言葉」 |
1月25日の中日新聞夕刊、文化欄に画家で学者の千住博氏の「芸術がヒトを人間にする。」コメントが載っていました。「事件のたびに論じられる人間性欠落は、文化的芸術的発想の欠如にある。美を求めたり創造する行為は芸術だけでなく科学、政治、スポーツ、社会道徳など人間としての文化的生活に直結するものである」という内容です。
当サイトを似たような趣旨で運営している私にとって全く同感です。
花を美しいと感じる人は絵画に描き写真に撮り壁に掲げようとする。その行為は単に色彩の鮮やかさを見るためだけでなく、花のもつ生命力や桜のような散り際に感動したりして、その感動を他人と愛でたり、お互いが美しさを尊び共有したり、それらの想像力のコミニュケーションが進んで文化が育まれる。
これが他人を意識した文化的でより良い社会にする芸術創作行為と言えるでしょう。芸術的イマジネーションを膨らませてコミニュケーションを計ることにより社会と科学は発達してきた。
美はあらゆる人間の行動に調和と節度をもたらす。節度を乱すものを嫌悪すべき醜として、スポーツ選手の理にかなった無駄のない美しいフォームであり、企業の社会的責任を自覚できるバランス感覚であり、社会人としての節度をもった人間を育てる。
私は考える。会社の社長や知事市長などはオーケストラの指揮者の感覚が必要だ。政治家に美しい日本を脳裏に描ける芸術家の感性があれば、真に豊かな文化を共有できる「美しい国」になるだろう。
しかし先生方の行動を見るかぎり権力に離合集散する風見鳥ばかりであり、権力志向でのし上がってきた人たちに「美」に関心がある人はいない訳だから当然と言えば当然だ。
最近一つの真理を発見しました。出世された立派な人たちに何故不祥事が多いかの答えです。トップに登りつめた人は強い権力志向をもち、常々風見鳥として流れを読み権力に媚び「友人を裏切り」ライバルを踏み台にしてのし上がってきた人だから、調和だの信義、道徳、美学などはあるはずがない。
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05,3,作家の佐賀純一氏の言葉 本当の勝ち組 |
「30歳そこそこで何百億の資金を動かせる人がいて、自分はほとほと負け犬だと思い憂鬱だ」という問いに氏は「キリスト教、仏教、儒教でも金銭だけを追い求める人は最低の種類に分類されて地獄に落ちると教えられている。
ではどんな生き方がよいか?昔は琴棋書画を愛する人が多く存在して、それは詩、音楽、書画などに親しむことが一番人間らしく大切で最高だという認識を当時の人々は持っていた。そうした世界を愛することは貧しくとも迫害されても自分の信念を通せる人で、渡辺崋山は幽閉されても絵を描き必要とあらば権力を批判した。
いつの世もそうゆう人がいて本当の人生の勝ち組とはそんな人のことだよ。」
フランスの哲学者パスカルは「良識」を「ボンサンス」と言った。英訳すれば「グットセンス」。
佐賀氏が言わんとしたことは、芸術や文化に親しむ人はバランスの良い生き方、学びすととしての幅の広い考え方、センスの良い対応ができてそれが長い人生の一番の幸せ、勝ち組だということでしょうか。
05,3,1の「独り言」ライブドアとフジテレビ |
08,3 自己愛と他者愛 |
お二人のコメントを私なりに文章で推敲すると他者への愛に帰結します。Artは地球とか大自然に向き合いますから、そのなかには地球環境から社会、生物、動物と人間などの生命とか愛、が対象になります。
佐賀氏の「そうした世界を愛する」ことができる人とは、自己中心の自己愛ではなく、外にある大きく広いものに向けらた愛、または関心ということになり、他者を重んじる礼節や和に目覚めます。そして人間としての信義を尊び恥を知ります。
他者愛の反対軸である自己愛者とは誰でも持っている自然な愛ですが、うっかりすると文字通り自分中心の歪んだ価値観を持ち、矛盾と邪悪性を抱えることになります。なぜなら礼節や信義、恥は他人を意識しない自分が良ければよい「無人島で住んでいるかのような」人には関係のない言葉だからです。従って考え方は利己的で権力や金を得るためには手段を選びません。一代で金持ちになった政治家などは「当たらずも遠遠からず」でしょう。
また「自分は又は自分の子供はよその子より優れている」という盲愛、過信、驕りは⇒周りから崇められて当然だというわががまな権力志向者にな⇒そのために他人を踏み台「虐げる」にすることに躊躇も罪悪感も無くなります。その上歪んだ価値観は自己の運命を社会や他人のせいにする「自己破滅」の過ちを犯します。
つまり他者愛には自己愛者が持つ過信や傲慢さ、他人のせいにする邪悪性はなく「あばたも笑窪の異性愛は別です(^−^;」、深めるほど広くて大きな世界と連帯できますが、自己愛は共存する他者や社会を否定した邪悪で孤独なブラックホールのような自己破滅行動に向かいます。現代の親殺し、子殺し、自分の死刑を望んで無差別殺人に走る若い人たちは、自己「孤独」からの出口を見出せない歪んだ閉塞感や絶望感に押し潰さた姿ではないでしょうか。
私の綴ってきたエッセイ「小さな人間」や「連帯感」「もののあわれ」等は「人は小さく弱くて儚い存在であり、それを自覚することで過信や驕りを戒めて自身を律っすることにより、他者への礼節に目覚めて大きなものを敬愛する豊かなこころを持てることが骨子であり、その姿勢が「豊かさ」として「本当の人生の勝ち組」といわれる所以なのかも知れません。
当サイト内から
他者愛を綴った私のエッセイを拾いだしてみました。
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07.1 水彩画 器屋の飾りもの |
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05.10. 秋の夜長 |
雄大な自然という言葉は一般的によく聞きますが、この裏には小さな人間「儚くて弱い存在」と対照させることにより大自然の雄大な感慨が深まる表裏一体の意味が存在します。若いころは「小さな人間」は理解できませんが、歳を重ねて挫折、悔恨、反省、老化等を経験すると人の儚さと自然の大きさがよく理解できるようになります。
しかし世の中には強者の自分を信じて疑わないワンマンな人もおられるようです。「自分の弱点を知らない獅子より弱点を知るネズミのほうが強い」という言葉がありますが、換言すれば「小さく弱い存在」を知ることはつかの間の生命や健康を尊び大切にすることですから、大切さや価値を知らない人は知っている人よりお気の毒で弱い理屈になります。
自然を破壊したり社会の頂点に立とうという強者の論理ではなく「人は自然や社会の中の一員」という意識、他人や自然が在って自分が在る自然観、他人や社会、自然を活かして自分も生きられる和の精神です。ジグゾーパズルの小さな一片にすぎないのですが、しかしそれは全体に融合一体した大きな存在になることで、悠久な自然や宇宙と連帯感一体感を持つに至ります。この考え方は日本人の美意識として日本文化の根幹を成しているように思います。
若いころは頑なに自分の周りに築いてきた「自我」という柵や塀を取り払ったら逆に解放された大きな自分を感じる。マッターホルンの山も揚子江の大河も我が庭の内にある。仏教にも「一如」という言葉がありますが永遠不変の真理です。
私は家の仏を守っているだけで信仰者ではありませんが、このような生命を尊べる人生観、自然観は芸術上だけでなく生きる大切な思想、人生観になります。
若い人の自殺、犯罪の多い社会、戦争などに心を痛める多くの人々のなかの一員として、当サイトは生あるものを愛しむ句をひねり絵画を描いてHPの更新をしています。
ひぐらしや 夕餉の煙 山あひに パソコンを 叩く深夜に 友の虫
秋の蚊に 血を盗まれし 齢かな
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07.2 自作の欠け器に枯葉3枚 |
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05.12. 周囲の大人が子どもを守れない不徳。 |
抵抗のできない幼女を悪戯目的だけではなく、殺しを目的に誘拐する恐ろしい事件が発生しています。私たち大人はこのような昨今の世相(変質者はどこにでも居てしかも密室となる車を持ち普通の顔をして、その上欲望を満たさなければ生きられない猛獣より性質の悪い性格を持つ)を認識すべきです。頼りになるのは市民からの不審者情報ぐらいしかないのが現状で、地域、学校、父兄など周囲の連係が大切になってきます。
ところが数年前から日本の社会は他人の不幸や社会の問題にも対岸の火を見るような個人主義的風潮になり、隣組みとか子供会などを疎む人が多くなっている。
その結果として自分のことしか考えない人が増えて「健全な社会」を気にかける人が少なくなり、(これは小さな不道徳を犯していることです)知らず知らずのうちに今日の結果を招いたといわざるを得ません。、見境なく金銭欲や性欲にすすむ人が毎日のように報じられて、結局は因果応報で我が身に降りかかり子孫が辛い思いをすることになる。
ここで言えることはシニア世代は長い人生を経験して最も分別の分かる世代です。比較的時間や金銭的な余裕もあります。地域のなかで堕していく社会を傍観する不道徳を犯していてよいのだろうかと常に自問自答しています
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駄菓子屋さん |
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05,11, 続 秋の夜長 |
日暮れが早まる秋の夕景「俳句では(秋の暮れ)」は感傷的で昔から洋の東西を問わず詩歌に詠われ画家が好んでモチーフに選んできました。写真芸術でも頭上に太陽があるときの作品は平凡になりがちですが、斜めに差す朝日夕日はものの陰影、明暗をはっきりさせます。農夫に牛や羊を配した夕暮れの田園風景画などはいいですね。
ひとときの平穏、愛おしく尊い生命、それらが自然のなかの落日時には輝くように映えて人の心を惹きつけるんです。その心を動かすものを表現したい、他人に訴えたい、共に感動を分かち合いたいと写真や絵画等の創作に向かわせる。
私はHP更新も含めて、創作できる余裕、気力、感覚、環境を持ちあわせる人は、個人の趣味を超えて積極的に文化を育む創作活動をすべきだと思います。なぜなら「文化とは健全な社会のための潤滑油である」ことと、仕事の定年はあっても社会の一員としての定年はないからです。
人は健康な限り「より良い社会」に関心を持つことは一員の義務のように思うからです。
秋の暮れ 鍬持つ翁は 役者かな 落ち鮎や 淵にも棲めぬ 影暗し |
06, 水彩画 バッテングの美しいフォーム |
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