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 ボクシング道 

メジャー団体

BF(国際ボクシング連盟)、WBC(世界ボクシング評議会)、WBA(世界ボクシング協会)、WBO(世界ボクシング機構)の4団体の以外にも世界王座を認定している組織は存在する。
A way of boxin UPDATA 2007.5

   野球  サッカー    テニス   プロボクシング名勝負集


過去に夢を与えてくれた選手たち


具志堅用高 辰吉丈一郎 浜田剛史 藤猛 フロイド・パターソン 
マイク・タイソン
 ムサシ中野 モハメド・アリ ファイティング原田 トーマス・ハーンズ エデル・ジョフレ ルーベン・オリバレス  イベンダー・ホリフィールド海老原博幸 ガッツ石松 マービン・ハグラー ロベルト・デュラン
シュガー・レイ・レナード オスカー・デラ・ホー
4
これらの名勝負は今やYouTubeで名前を検索すれば無料で見放題です。
ネットさまさま!。


 
 

ボクシング=ディフェンスです。

打たれずに打てる選手は負けません。また選手生命も長く、引退後の後遺症も少ないでしょう。世界の名選手は、一流の防御テクニシャンでもあるが、そのためにはリードパンチのジャブからの「フック、アッパー」で倒せるパンチがあれば一流に限りなく近づける。何故なら利き腕を防御に回せるからだ。リードパンチ側の肩と利き腕で顎の両側がガードできる。
次にチャンスで一気に鋭い両拳で形をつけられることもも
ディフェンスの内である。「防御は最大の攻撃」
完成された技は攻守にわたって芸術的で美しい!!。

防御の形 
@バリング
相手のパンチを手ではらう防御
Aダッキング
相手のパンチを膝を使ってよける防御です。
Bウェービング
膝と上体を使ってよける防御です
Cスエーバック
相手のパンチを上体を後ろにそらしてよける防御
Dガード
両の拳と肘で顎とわき腹を防御できる構え方で、もっとも大切な技。

 外部link、  
 ボクシング - Wikipedia  (YouTube面白動画) - マイクタイソンノックアウト集 全国ボクシングジム
 WBC - Welcome   帝拳 >TEIKEN.COM Golden Boy Promotions Inc.
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亀田兄弟
 
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facebook錦織圭 香川真司(Shinji KAGAWA) 

宮市亮

 

Yuto Nagatomo
長友 佑都

粟生隆寛

 

Tennis Life テニスライフ

 
2011.11.8 昨夜の亀田次男の敗因
 

結論から言うと緊張感のある良い試合だった。両者のメンタルの強さや気合いがぶつかり合ったからだ。だが敗因の一つに作戦の失敗があることが残念。次男は後半にアウトボクシングをしたが、不釣り合いな真似事が挑戦者としてイメージを落とした。

前半のぶつかり合う気持ちは互角だったからアウトの真似事は挑戦者としてマイナスだ。

彼の持ち味はガードを固めて前進して殴り合う牛相撲そのもので、その気持ちで押し切ることが勝機につながるのに、言わば小賢しい戦法で負けた。

「ボクシングは芸術だ」と言った人がいたが、アウトボクシングは洗練された攻守のバランスの優れた感性が必要で、多くの歴史に残る名ボクサーはこの類が多い。

また「左は世界を制する」というボクシングの格言は、ある域に達した達人は打たせないで打つアーチィストたちで、一人名前を挙げるなら「蝶のように舞い蜂のように刺す」と称されたカシアス クレイ「相当古いね。」などだ。

彼らは利き腕は防御にまわしてリードの左手一つで活路を開く技とパンチ力を持っている。ジャブからの左フックや左ボディが強い上に、追うことも退くことも素早くて攻守の切り替えを鋭くできる足がある。

 左のボディで相手のガードが下り必殺の左フックが顔面を捉えれば、それまでの五分五分の戦況ががらりと八分二分ぐらいの差ができる。この時の名選手の攻撃は圧倒的で利き腕も加わってフィニッシュは完璧で芸術的だ。

 格言はまさにリード「先陣」を切る左の重要性を言うが、それらの備えのない選手は逃げたというイメージだけが残るだろう。

判定は妥当でホームタウンティジションにならないで良かった。
 2010,6 マミーキャッパオを見る
>  当店の客人に私と同じ4大スポーツ好きの人がいて、フイリピンの英雄ボクサー、キャッパオのDVD10枚セットを借りて彼の全試合を観戦しました。
 彼はチャンピオン中のチャンピオンで、攻守のスピード、バランスが超一級です。ジャブでも必ず踏み込んで1-2-3の3連打以上を打ち込み、相手の攻撃はウエービングとスエーバックなど硬いデフェンスでかわす。攻守のバランスとスピードが抜群。また精神もタフで常にアグレッシブルに攻撃する。
 踏み込んで軽くジャブから手早く連打を放って離れるヒットアンドウエー戦法だが、その過程で一つヒットしたら俄然力強いパンチが雨のように上下に繰り出す。
 これは息もつかせぬ爆発的な攻撃で防戦一方な相手は反撃できない。つまり打たせずに打つ名選手の安全な戦法ですが、ここまでくるとダメージに決定的な差が生じ、フィニッシュまで進みます。
 従ってチャンスをどちらが早く掴むかの争いがポイントです。一般的には様子見でお互いが利き腕をガードしてジャブできっかけを探し、相手の特徴を計かります。ジャブを基点として次の攻撃を模索する。
 キャッパオはまさにボクシングの教科書通りの展開をして勝利に繋げていくが、長谷川穂積は様子見の部分でガードを早く解きすぎたといえる。二本の腕を攻撃に使うには、相手にダメージを与えた以後にすべきがを功を焦った。 

 
2010.5.1.長谷川穂積の作戦みす   
> 昨夜のプロボクシングで長谷川が負けました。今朝の新聞の評論家のコメントは「不運」が大半でしたが、私は作戦ミスだと思います。
相手は日本人には初めて知る選手ですが、ボクサーとしての資質はいまを時めく比国
の英雄パッキャオにひけをとらないような選手でした。
 スピード、攻守のコンビネーションもよく、KO率は40戦で30KOの7.7割.

 こうした能力の高い選手と戦う場合は、利き腕を防御に使いリードパンチ「右」の使い方が勝敗を分けます。
、つまり相手に打たせないで打つせめぎ合いです。右手一本でチャンスを掴む争いです。
 鋭いジャブとジャブからのライトフック、アッパーが武器ににり、長谷川はそれらを持ち合わせているから、スピードのある強打者と打ち合いをしたことが悔やまれる。
 
もう一つこの打ち合いで良いパンチを貰った後の対応が悪かった。
恥も外聞もなく相手に抱きつく、ダウンして8カウントを稼いで立ち上がる。終了間際だっただけに惜しい。長谷川だったら3分で回復できて次につながった。

 しかし常にピンチを経験するとピンチでの要領も分かるのだが、過去圧倒的な勝利ばかりだったから無理もないかな。
さらにもう一つ、主審はKOをコールする前に、一度割って入りダウンとしてカウントを数えるべきだった。
これはひいき目だろうか。
 2009年10月07日 石川 遼と亀田大毅
>期待は抱かなかったが昨夜のプロボクシング亀田選手を見た。ドローの判定もあったから「よくやった」と言うべきかも知れないが多くの疑問が残った。
 ガードを固めて若さとスタミナで前進はするが、押相撲のようでパンチは一発狙いで単調、クリンチが多くて肉弾戦のような試合だった。
 書きたいのは試合内容ではなく放送していたアナウンサーとゲストの低次元な対応にです。
 「この調子だったらkoもあります。」「効いた効いた!」と絶叫しているが、なぜ「挑戦者がガードを固めるだけではいけないこと」「リードが少ない」とかの専門的な指摘がなかったか。
 以前はテレビ局と亀田家の仕組まれた関係が問題になったが、まだその関係が続いているのか?と思うような、スポーツの純粋さを無視した話は大いに疑問ががあります。

 加えて今朝ゴルフ好きな客人が来店されて、先日の遼君の18ホールの奇跡と呼ばれる勝利に話が弾んだ。
「あそこはよく行くコースで、あの場面であの距離であのスーパーショットは考えられない。あとから5回ビデオでも見たが見るたびに感動がある。」と興奮して話された。

 私は聞いていて昨夜のボクシングと比較した。スポーツとはアグレッシブルな挑戦のなかに感動があり勝ち負けの問題ではないところに真髄がある。つまり「感動のない勝ち方や負けても感動できるものがある」のがスポーツの良さで、多くのフアンはそれを知っていることをボクシング関係者と解説者は知る必要があるのでは?。
 客人の感動は3人が同率で並んだ後の遼君の挑戦にあると想定します。
 
 昔は「ホームタウンテジション」的判定があり、日本のボクシング熱は冷えてしまったが、勝てば官軍のようなチャンピオンは嬉しくないというフアンの価値観を知るべきだ。
 若い選手を周りの大人たちが目先だけのダーテイな金への欲望で演出して利用してはいないか。そんなイメージがついて回る。

 ボクシングが好きだからこそ、攻守のバランスのとれた「ボクシングは芸術だ」と称されるような名選手を輩出する、そのような方向に向いた業界であることを望むし、マスメデアもスポーツという文化を、ただ勝てば良いなどと低俗にするような放送が情けない。
 

09,3,13 粟生隆寛の勝利
>昨日「12日」長谷川穂積の弟分の粟生隆寛が新王者になりました。史上初のアマ高校6冠を達成した24歳の期待の新人です。
 新聞には「圧勝」の文字が並んでいましたが、私は彼の非凡な天分からすると戦い方に不満があった。前回より仕上がりが悪かったチャンピオンをフィニッシュできなかったことは、世界を制するといわれるリード「サウスポーの右ジャブ」が少なかった。

 ワンパンチで相手を倒す高いレベルで防衛を重ねる名選手たちは、利き腕を顎の位置に構えて防御に使い、鋭いリードパンチ一本でジャブからフックやアッパー、そしてボディを打って局面を切り開き、チャンスを掴むとそこで初めて顎を守っていた利き腕を用いて二つの拳「倍の拳」でフィニッシュにもっていく。
 つまりチャンスをもぎ取る鋭いリードは、相手に打たせないで戦える攻守のバランスに優れた万全の構えといえます。また「ボクシングは芸術だ」と言われる美しい勝利の所以でもあります。
 相手の出てくるのを待つ左のカウンター狙いは危険がともない、終盤一発もらったことの原因ですが、相手が強打者だったらこの一発で沈んでいた。

 「挑戦するより守ることのほうが難しい」
 「リードパンチは世界を制する」

彼はこの格言を活かせる素質をもつ新人ですので、若さで勝つより非凡さで勝ってほしい。
 ただ人目もはばからず「お父さんお母さん有難う」と泣きじゃくる姿は感動しました。
 当サイトの管理人の好きな「美しい4大スポーツ道」
独断的ボクシングの起源  
人類が二本足で立ち上がったときに初めてルールを作りスポーツという文化に昇華させたのはどのようなスポーツでしょうか。それは何故4本足から2本足に立たざるを得なかったか?その原始の動機を推測すると興味深い祖先の行動が見えてきます。
 強力な牙や爪を持たない祖先は立ち上がることで前足2本を武器にしたのです。ものを握る手として槍や弓、棍棒、石をもてば武器になります。拳をつくるだけでも急拵えの武器になり喧嘩に使われたことは容易に想像できます。
 両拳を使用する格闘は人間が二足歩行を始めていた頃から既に会得していたと言われている。祖先は両拳を得て戦いを高度にしてヒトになり、ヒトは殴り合いの喧嘩にルールをつくり文化に昇華させ美と醜を知る人間になった。一見して野蛮に思えるボクシングはスポーツの祖先であるだけでなく、実はヒトがより高いステージを持つ人間になった歴史的動機ではないだろうか。
 たいした武器を持たなかったことが幸いしたわけで、その後スポーツは自己鍛錬、自分のステージを高める場として発展する。
 ちなみに2番目にできたスポーツを独断的想像をすると、武器としての手を使わないサッカー、「蹴球」を考案したと推測します。まさに人間は進化したのです。「進化したと思いたい」
 
 善悪にあいまいだった原始社会に、ルールを明確にしたスポーツが登場したことは「社会性や人間性」を欲し人々が多く存在したのでしょう。しかしヒトがルールと文化をもつステージの高い人間を欲しながら、市民生活の歴史において争いや不祥事が絶えない事実は人間の将来を暗くします。
 アウト、セーフの判定は審判が判断できるが、人間性の判断は個々の人間の良識に委ねられている。その良識は法で定められないグレーゾーンにあり、人それぞれの自我が真善美を押しのけて争いはエスカレートする。
 スポーツはそうした矛盾や怒りを解消するひとときで
 学術的にはどのように定義されているか知りませんが、球春にウエブマスターの独断的スポーツ考UPでした。
07.10.20 ボクシングとサッカーに騙された  
>10月17日に行われたA代表のエジプト戦は日本のサッカーが変貌を遂げたことを証明しました。早いパス回しが組織として機能しオシムの言う美しいサッカーとして感動を与えてくれました。この感動は手を使わない厳しいルールのなかで技を競いあうことでもたらされるのです。
 ボクシングは手だけが使えて頭、足、肘などは使えません。競技中に深いダメージを受けて亡くなる選手が、世界で後を絶たないくらい危険なスポーツです。一見過激に見えるプロレスや格闘技などと比べても、事故死の差は歴然としていてスポーツのなかでは最も危険であることは定説です。その試合中に肘で目を突けというようなセコンドの指示は、考えられない暴挙で日本男子に「卑怯」を恥とする文化が無くなった感がします。
 亀田一家を売り込もうとしたテレビ局やジムは、金儲けのためにパホーマンスなどで偽装された虚像で国民を騙す詐欺行為をしたと言えます。
 亀田一家の虚像は私も一時期マスコミに踊らせて騙されました。またオシムの美しい勝利にも良い意味で騙されました。オーストラリアに負けたときに相手との体格差に「体格の小さい日本人では100年は勝てない」と絶望していましたから。
 私の好きな四大スポーツ「ボクシング、野球、サッカー、テニス」として当サイトにもUPしていますが、今回の件で思うことは「スポーツで勝利を得るためにはシンプルに戦うことが重要で、それが美として観客を魅了する。見せるに値するスポーツとなる」点です。ルールや節度を守れないことは勝敗以前の問題です。と同時にうかつに踊らされた自分の未熟さは常に反省です。反省をすることでひとつの格言を得ました。「Artやスポーツは常に自分の未熟さを発見する場。」満足したら終わりです。 m(__)m;
07.10.14 亀田一家
>この欄で何度も取り上げた亀田一家の11日に行われた試合は醜態と言わざるを得ません。私は親兄弟のパホーマンスを、試合を盛り上げるためのパホーマンスだと容認していましたが、この日の試合は嫌悪だけでそれを否定しなければなりません。
 それはパホーマンスではなく彼ら一家の社会やフアン、スポーツを軽視した傲慢な行動だと言わざるを得ないからです。戦っている大毅の反則行為はセコンドの父や兄と所属するジムの影響を受けます。新聞には敗戦が濃くなった終盤には「肘で目を突け」というセコンドの指示もあったと書かれていますが、これはもはやスポーツではありません。格闘技に転向すべきだという意見もありますが格闘技にも厳しいルールあります。つまり無法な彼らの戦うスポーツ相手はどこにもいないことになる。
 日ごろ汗をかいて努力してきた技はなんのためだったのか?。スポーツはルールのなかにのみ感動があり、それを周りの大人が教えなけれればならないのに煽っている。今後はその点を自分自身で考えなければならないが、彼ら一家にとっては社会のルールに従うことは、自分との戦いのようなものになるかも知れませんが、しかし社会がルールある社会として成り立っているから今の自分がある。つまり自身もそうした社会の一員として存在していることに気がつけば、ルールや節度はおのずと大切にできるでしょう
2007.5.23 、不快な亀田8ラウンドTKO勝利
 2007.05.23に東洋太平洋ライトフライ級2位、インドネシア・ライトフライ級チャンピオンのイルファン・オガーと対戦した興毅の試合には失望した。体格も順位も上なのに期待されているKOをあせるあまり、相手を押したり、肘で顔を上向かせたり、また右フックではなく右のグローブで体格の小さい相手の頭を押さえて転倒させダウンさせようとするきたない試合だった。8回のダウンもパンチでクリーンヒットしたのではなく押さえて転がしたようなもの。そうしたアンフエアをレフリーは注意もせず、その上早すぎるKO宣言をして、テレビの解説者まで場内の雰囲気に迎合して喜んでいる。
 ボクシングは格闘技だからときには派手なパホーマンスをいいが、上位の選手は受けて立つプライドやフェアーが欠けていては本末転倒でスポーツの感動はない。
過去の名勝負
 私はマービン・ハグラー(米)67戦62勝(52KO)3敗2分が好きで、当時25戦25勝25KOというとんでもないアフリカのハードパンチャージョン・ムガビ(ウガンダ)の挑戦を受けて 11RKOで勝った試合が忘れられない試合だった。アフリカの野牛とライオンの戦いのようで、8回ぐらいまで五分五分だったがそれ以後ハグラーが六部四分の優勢となり、この二分の差が極限のレベルにある選手に生じたことが結果につながった。その中継されたテレビ映像を録画して最近まで保管していたが、何回見ても名勝負の感動を味わえるほどでした。彼のすごいところは常に当時の最強の挑戦者を避けないで戦って戦績を残したことです。
 (ウイキペデイアから)
マービン・ハグラー(Marvin Hagler、1954年5月23日 - ) サウスポータイプのプロボクサー。1980年から1987年まで統一世界ミドル級王者として君臨。マサチューセッツ州出身。
彫像のように鍛え抜かれた体に加え、完璧なテクニック、タフネス、ハングリー精神までも兼ね備えた名選手。その強さはミドル級史上屈指とも言われる。レナード、ハーンズ、デュランと共に「黄金の中量級」時代を盛り上げた。

王者となってからも無類の強さを発揮。最強の挑戦者を相手に12連続防衛達成(内11KO)。中でも、トーマス.ハーンズやジョン・ムガビとの死闘は名勝負として語り継がれている。 磐石な強さを誇ったが、13度目の防衛戦でレナードに敗れ、そのまま引退した。
ウイキペディアで世界のボクシング - Wikipediaを見るとさらに感動が深まります。

 
昔の名勝負が今はYouTubeで見れる時代。手に汗握る、これぞボクシング!!全画面で。
 
06,5,15 ボクシングも芸術だ!粟生隆寛とは - はてな ボクシングニュース@情熱の円 ダイナミック・グローブ

粟生隆寛、KO率95%の元WBA中南米王者を撃破!! 

 ボクシングを称して芸術だと言った人がいますが私の審美眼からしても同感です。パンチ力と防御、さらにそのコンビネーションに秀でた選手は、空振りしてバランスを崩すような無駄な動きは少なくて、軸がしっかりしているから攻守に隙がなくじわじわと相手を追い詰めてとどめを差す工程が芸術的なんです。  
 テレビが普及しだした昭和30年ごろからボクシングフアンになり、戦後白井義男から今日まで幾多の名選手を輩出してきた日本ボクシング界でしたが、日本で行われた世界タイトルマッチなどでホームタウン.デシジョン「home
town
decision」「自国の選手に自国から選ばれたジャッジが有利な判定をすること」が多々見うけられた時期があり、解説者までもが疑惑の判定に異論を唱えない状況で、当時協会宛に「人気が衰退する」旨の手紙を出したほどですが、やがてキックボクシングやK1に押されてテレビから消えていった歴史があります。<BR>
 スポーツはフェアに戦って感動があるわけで、えこひいきでチャンピオンにして全ての日本人が喜ぶと考えている関係者に過去の過ちを犯さないよう願っています。

 誰かの前座試合に出ていた新人の試合をテレビで見ましたが、パンチ力がありボクシングセンスが良くてまさに芸術を感じさせる試合運びでKO勝ちしました。関東方面の新人で髪はサッカーの中田英寿のようなショートで茶髪でしたが、ネットで探したが名前は分かりませんでした。ご存知の方はメールください。いづれ世に出る選手であることを想定しておきます。
「名前が分かりました。」史上初の高校6冠を達成した日本フェザー級2位の粟生「あおう」隆寛(22=帝拳)
i◆報知新聞社後援 プロボクシング ダイナミックグローブ(3日、後楽園ホール) 粟生が驚異の70連勝で日本タイトル挑戦への切符をもぎ取った。日本フェザー級2位の粟生隆寛(22)=帝拳=が日本対メキシコ対抗戦のメーンでフランシスコ・ディアンソ(34)を3―0の判定で破りデビュー12連勝。アマチュア時代からの連勝を70に伸ばし、今秋に日本フェザー級王者・渡辺一久(23)=角海老宝石=へ挑戦することを確実にした。私が応援している選手です。
06,8,3亀田、疑惑の判定過去の名勝負Yahoo!ブログ検索 - 「亀田興毅」の検索結果
 初回にダウンしたわりにはよく頑張った。しかし終盤の11回はチャンピオンが反撃して、12回もダメージが足に残り亀田はクリンチで逃げて負けを予想していた。だが勝ちの判定になり疑惑に感じたが翌朝の新聞の採点表を見たら疑惑は確定的になった。12回は8-10ひいき目に見ても9-10であり、これをジャッジの一人は10-9と亀田につけていた。10対10の採点をとらない方法だが11、12回ははっきりと差のついた回だった。
 3〜40年前にも「ホームアドバンテージ」による疑惑の判定が続いたときに、プロボクシング協会に「こんなずるいことを続けていると衰退する」旨の投書をしたが、案の定業界は人気低落しそんなときに亀田は救世主のように登場した。
 大阪で話題になり入札して世にでた亀田を協栄ジムとTBS局が手を組み買って売り出し中だが、負けは負けにしないとスポーツとは言えない。なんのためにファンは12回をハラハラ応援して見ていたのか。王者の値打ちを主催者が自ら落とすという相変わらずな体質である。また番組開始から一時間半宣伝と生い立ちを見せていた局はあまりにもファンを馬鹿にしている。
 プロボクシング界は昔から巨額な金が動くことで黒い噂が絶えずWBC、WBA,IBF、WBOなど乱立して争い、ジャッジの教育や権威を維持できる状況にない。サッカーのFIFAように世界の競技者を統一する権限がない。その上WBAの会長が今回父親に特別なベルトを用意していたことは疑惑は深まるばかりだ。スターは創られるものだが判定までも捏造されては公器といわれるテレビ局の偽装ではないがろうか。
 過去には業界への遠慮なのかテレビの解説者など関係者の勇気ある発言が無くあいまいにファンの抗議を無視してきたが、感動とチャンピオンはフエアープレーのなかにのみ有るというファンの気持を理解できない愚を再び犯そうとしている。
 亀田に惜しむ点は右ジャブはよく当たっていたが単発だったこと。右ジャブから踏み込んで左ストレート、続いて右フックからさまざまな攻撃バリエーションにつながる技がなかった。ガードを固めて接近してもパンチを打たないで相手を押して後退させる無駄な体力を消耗させていたが、ジャブからのワン、ツウー、スリーで懐に入るボクシングの基本がない。相撲で「プッシュ」はよいが押してどうなるのか、無駄以上のマイナスでしかない。
    追伸 TBSに判定結果と一時間半後の試合開始に抗議電話殺到
06.5.8 亀田親子結果を出す。        亀田3兄弟オフィシャルホームページ
 5月5日の子どもの日にプロボクシング界の亀田兄弟がそろってKO勝ちしました。三兄弟ともそれぞれボクシングの良いものをもっていて世界チャンピオンも夢ではないと期待できますが、自らの手でここまで育てたユニークな父親の存在も人気の原因ではないでしょうか。
 母親のいない家庭は子育てに暗い部分があります。また昨今二親揃っていても子どもに手を焼く親が多いなか、学校や他人など人任せにせず自分の手で育てようとする親子関係がまず気持が良い。夢多き昭和の時代にはこうした父親像は珍しくなかったが、昔していたボクシングしか教えるものがないとスパルタ教育を実行することは、現在の個人主義的社会では懐かしくて稀なる存在です。
 決して科学的でもない独自な練習方法も笑えない純真さと情熱があり、リング上でも家庭でも粗野に思えるような父親でありながらそれを一途な親の情熱に感じさせ、いまどき子のためにきれい事を捨ててこれだけ汗をかく父親がいるだろうかと感心します。
 子どもたちに「親孝行したい」と言わしめる結果と勝利は、父親の愚直な愛情が子らに十分に通じていることで私はこの点に「美しさ」を感じました。亀田親子流の礼儀として美は「感動」につながり、合理化、競争社会のなかから感動を汲み取ることができることは、一服の清涼剤であるとともに他者への豊かな情緒を育くむことでもあります。
 野球、ボクシング、サッカーなどスポーは今年も楽しみですね。