人生に美意識を持つことの意義 2015.1 |
私は朝一番に開錠してコートへ入ることが好きだ。周囲を金網で仕切られたプレーの世界は、真っ白いキャンバス「画用紙」を前にしたような爽快な感じがする。
まず一番には夫婦揃っての健康への感謝、その次に自分が我流で取り組んできたテニスの技の結果がどのようにプレーで発揮できるか、展開するか、その構想を練ることは絵を描く行動に似ている。 強い弱いがはっきりと出るテニスサークルにおいて、メンバー全員の和を計ることも幹事の重要な仕事であり、その結果が今日のキャンバス上にどのように展開されるのか、サークル運営も真っシロな画用紙に絵を描く行動に似ている。 従ってコート内には二枚のキャンバスがあり、自分なりの芸術的創作的なパホーマンスとして表現することになる。 ]
サッカーやボクシングをArtだと言ったコーチがいたが、この世はプレーを楽しむ「生を営む」舞台であり、信条を表現するキャンバスであり、人間関係を学ぶ道場のようなものだ。その土俵づくりは正に日々の経験、工夫やアイデア、前向きな創作であることがキャンバスにつながるのだろう。
人生に美意識を持つことの意義は、人の行動に愛と調和をもたらすものです。何故なら対極にある醜なるものを嫌悪する、恥じる、狡さや搾取に悲しくなるからです。
ルールを守るスポーツの楽しさや、選手の理にかなった無駄のない美しいフォームに感動するだけでなく、醜を恥じて社会人としての節度をもった人間を育て、コミュニティを楽しむ環境になり、企業の社会的責任まで自覚でき、文化的で穏やかな国民になりうる。
日本的にも柔道、剣道、茶道など道を付けて精神修行する感覚は昔から有ったが、文化的な習い事は「他人を尊ぶ」「他人ファースト自分セカンド」の考え方の帰結で、上から目線の「自分ファーストな人」に習い事はあり得ない世界だろう。
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ゆえに「人生はキャンバス」現在も継続して楽しんでいるテニス&くホームページづくりでも、二つの美意識として創作できれば人生は楽しい。「他人を敬ういにしえの文化」作りに邁進中です。
「Artはヒトを人間にする」
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2008.9.1 飛びあがって打つ「エア.ケイ」 |
18歳の錦織圭「にしこりけい」が71年ぶりの16強進出。世界4位を撃破!。彼の武器は飛び上がって振りぬくフォアの強打で、勝利を決めた最後のショットも「エア.ショット」だった。
米国でつけられたニックネーム「エア.ケイ」空の圭。
その雄姿をニュースでチラッとみました。
13歳で才能を見出されてアメリカのテニス英才教育施設へ留学して、そのなかでも選ばれリ生徒になると、その生徒に専門家からなるプロジェクトが組まれます。精神面、肉体面、技術面、戦略面など6〜7人のプロがついてマンツーマンで日々特訓する。
アメリカにはさすが資本主義の本家でそれをビジネスとしていることがすごい。
しかし反面私の好きな4大スポーツのメジャーな大会が、一般のテレビで中継を見られなくなったのは残念です。BSとケーブルテレビ「スターキャット」には入っていますが、WOWOWは見られません。スポーツ団体はビジネスとして安易に有料テレビ局から独占契約金を得ようとしますが、長くて広い視野に立った人気という点からは庶民が見られない状態はマイナスです。
この飛び上がって打つ強打を一般のテレビで見られれば、全国民が飛び上がって歓喜し、テニス人気も飛び上がる。
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2008.7スポーツにおける突然死 |
数年前にスポーツ中の突然死についての報じられた記憶によると、年代別などさまざまな統計の仕方がありますが、中高齢者では一位がジョギング、二位ゴルフ、三位水泳、四位ゲートボール、テニスは7位?ぐらいだったと記憶しています。
しかし高齢者は猛暑のなかでは準備運動を15分以上して血液を身体の隅々まで行き渡らせることと、水分、塩分、マグネシュウムの補給と休憩に留意すべきです。マグネシュウムは睡眠不足や発汗で減少し、その反動で血管を収縮させりるカリシュウムが増えて危険が増しますので、体調が優れないときは無理は厳禁です。
ちなみに「1マメ類、2ゴマ、3わかめ、4野菜、5魚、6しいたけ」に多く含まれます。詳細は「スポーツ中の突然死 ランキング」で検索できて学ぶことができます。
一般的にはテニスの趣味はプロのゲームの影響か「ハード」というイメージがありますが、上記のように意外な面があります。また皇族のイメージがあるのか「リッチ」と言われて驚くこともまたしかりです。
事実は庶民的な身近に楽しめるスポーツでで、近くには安い公営コートが多くあり、二人からプレーでき、夫婦、親子、祖父と孫など家族の絆も深まります。
趣味は身近で家族で値打ちに楽しめることが第一の条件で、テニスはこの3拍子が揃う数少ない趣味です。遠方に出かけたり高価だったりではでは長続きしません。
若いころに覚えれば一生の趣味になり、定年後でもダブルスが主体ですから4ゲームのワンセットマッチにすればそれなりに楽しめます。私の趣味のお勧めキーワードは「庶民性」でテニス、俳句、水彩画がベスト3です。
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2008.7. 炎天下のテニス |
21日は日陰になる例の高架下が予約できず吹上午前でした。夏休みに入り都合の悪いヤングママさんもいましたが5名の参加。連日熱中症の記事が載るなかでのテニスは、他人は狂人かと思われるひともいるでしょう。
事実高齢者は十分警戒して8,30にコートに着いて2時間ほどの軽い運動をするつもりが昼までプレーしてしましました。
心がけたことは水分補給はこまめに行う点です。そのせいか意外に楽なプレーができた。この意味を考えると熱中症は必ずしも「暑さ」+「運動」=熱中症にはならない。運動しなくても汗をかいてその上水分補給を怠り暑さがこもる「発散できない」ことが危険に思います。そのためには上はスポーツシャツ一枚、休憩中は熱放散できる団扇が必須。一枚のシャツは当然汗で濡れますが、風が吹いたり自分が走ればシャツは風を受けて冷水になりひんやりとして気持が良い。また一汗かけば身体が軽くなることも事実です。
風のない暑い日に身体が重くて気分の悪いときがありますが、汗が出ににくて熱が内に籠った状態が危険ではなかろうかと想定します。この調子でまだしばらくはテニスライフを楽しめそうです。
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2008,8 雪の降る日のテニス |
今年の冬のある例会日は朝から雪が舞っていました。しかも熱田区の場所もわからない港南コート。そのなかでメンバーが5人集まり、うちの車でナビを使ってでかけました。
際に線路がある工場地帯でしたが、壁打ちもあり、2面に雪が舞っています。
妻は早々とフード付きの雨具を着用しましたが、その他は「これくらいは」といつものウエアーで練習を始めました。
しかし雪が雨まじりになり妻はいつものバックからゴミ袋を探し出して、一人のヤングママの頭にかぶせて後ろでむすびました。それを見ていたもう一人の女性も「私も」と所望して
、普段おしゃれな雰囲気の二人の女性は、見たこともない”雨中人”になりました。
呼吸ができるよう口の辺りを切り取りボールを追っかけています。このような日だから、隣のコートは人はいませんが、通行人はあきれ顔で、工場から人が眺めていましたね。
練習を始めれば楽しくて、少々の雨でも中断できないことは皆さん体験されていますが、テニスは面白いことを実証する一日でした。
「外にも出よ 触るるばかりの 春の月」外には感動するものが多くあり、外に関心を持って屋外にでよ、という有名な俳句です。
人生は一度で終わりです。手軽で安くて楽しい趣味をどんどん増やしてください。
今日も名古屋は猛暑ですが打ち水効果を望んでの冬の思い出でを書いてみました。
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2008.7.サービスの好不調 |
私のサイトに「サービスを定義する」項目があります。サービスはコーチが球出しして教えられないショットで、本人が感覚的に掴み取らなければならない難度の高い技です。それだけにイマジネーションやモチベーションを常に高くもつことが大切で、そのイメージを文章に綴り定義できないかという思いで書いたものです。
体重をラケットに乗せ、ラケットのヘッドスピードを上げるために、頭上でコンパクトに手首を返す。そのためにどのような角度で、フォームで、一連の流れのなかでジャンプするか。
7月1日の例会で5試合ぐらいしましたが、初めはノータッチエース連発でサービスゲームをキープできましたが、最後のゲームでジュースを6パイほど飲まされ結局は負けてしましました。
後味の悪い敗戦は跡に残る性格で憂鬱になります。帰宅してからこの原因を突き止めましたが、コートのなかではギャラリーの視線を意識するのか修正ができない。
今後はゲーム中に軌道修正できるよう、突き止めた感覚と理論を逃がさないように深く反省でした。
サービスにはサービスのベストな理論があるはずですが、その理論を目に見える形で表したものがプロのフォームだと言えます。そしてそのフォームは理にかなっていて無駄のない流れるように美しいもの。軸がしっかりしていてバランスが良いフォームで打てる人は=上級者です。
従ってわれわれ愛好者は上手くなりたいと試行錯誤しているのなら、目に見える上級者の美しいフォームを真似することのほうが上達の近道ではないでしようか。
写真はジュニア世界大会のスナップですが、彼らの顔は完全に天を向いています。私はここにサービスのキーワードがあるように思います。
独断的「サービスを定義する」はこちら
もう一つ「ラケットは意外に短い」という事実です。私たちはつい自分の手にラケットの長さを足した感覚で振り回しますが、実はスイートスポットは、その感覚の半分近い位置にあり、握る手から約40センチ足した部分です。
全てのショットをスポットで捉えるか否かは、テニスにおいて最重要ですが、意外で簡単な発想で一歩につながります。
一つの技術をどのように捉えるか、捉えて定義した理論を身体に覚えさせるためのアイデアや発想は、人それぞれの「感覚、センス」となる。
こんなことを書きましたが言うは易し行うは難しです。
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2008.7 親子テニス |
先日父の日にゴルフ派の娘が気をつかってか「テニスをしょう」というので妻と3人で遊びました。後日娘はメールで「パパは上手いと思っていたが、運動おんちだと思っていたお母さんの上手いのに驚いた」と言ってきました。
自分「初心者」の思うように打てない下手さに対して、母親の上手さに感心して継続の力を知ったようでした。そして「明くる日はあちこちが筋肉痛で痛くて痛くて」と、平気な高齢者の親たちとの差にあきれていました。
私はいつも妻の向上心のなさに気をもんでいましたが、初心者を感心させられるものがあるとすると、それは継続の力でしょうか。
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花見テニス |
日本人は農耕民族だったせいか古来より屋外での花見を好み、現代でも桜に対する深い感慨を持ち桜だよりは全国に刻々と報じられている。私もそんな血を受け継いでいるのか、テニス仲間と十年来花見とテニスのできる場所を探して運動後の美味しいビールを味わってきた。 テニスは一人では成り立たないスポーツだから、楽しいスポーツライフを望む人はいやでも仲間づくりを心がけて、その仲間との継続した付き合いをしていく必要がある。つまりテニス愛好家は日々人間付き合いの学習をさせられていることになる。
勝敗にこだわって判定に文句をいう人や他人のミスに口やかましい人などが、少しずつ礼節を学び他人を重んじるようになる。その結果が花見の宴の人の輪になるわけだから、その時期がくると私はわくわくしてお膳立ての労をとることになる。
人付き合いは親子に始まり夫婦、兄弟、親戚、友人、主と客人、男と女、隣人、同僚、若者と老人などまた国と国の付き合いなど人生そのもので、この関わりにはさまざまな学びがある。その上人それぞれの信念は年齢とともに変わっていくものであり、とすればその学びは生涯に渡って継続すべきで、換言すれば他人と接することは人生の主目的、それくらい大切に考えるならば、おのずから他人の長所がよく目について美酒は身近なものになるだろう。1998.4
酒好きは 人好きなりぬ 花の下
一本の 縁に集う 花むしろ
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