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理容に関するエッセイ

店主の自画像
1971 

Room of a storekeeper and a visitor
招く側と招かれる側の茶道のこころ
http://yorio-salon.sakura.ne.jp/newpage8.htm
 
     
ホームページの勧め 自分を表現    学びすと人は考える葦だ
小さな人間の勧め自分の身の丈を知る  短文エッセイの勧め推敲する習慣
俳句の勧め季語には自然が溢れている  礼節の勧め安心安全
テニスの勧め人付き合いを学ぶ  水彩画の勧めArtは愛だ

 エッセイ 小さな客
  剃刀を素手でつかみに来る赤ちゃんは少し知恵がつきだすと大人を疑いの目で見つめだす。親に抱かれて理容室へ入ってくると白衣を着た技術者がいて消毒の匂いがする。にぶく光る刃物があり怖い顔したおじさんが立っている。この医院の雰囲気に幼児が警戒心を持っても不思議ではない。医院でよほどひどい目にあったのか私と視線が合っただけで殺されるような悲鳴をあげて泣く子がいる。

 そのうち医院とは違うんだ。頭を綺麗にするところなんだということが分かり半べそでなんとか髪を切ることができるのである。
 3〜4歳になると緊張の面持ちながら一人前に理容椅子を専有する。小さな客は正面の大きな鏡に写る技術者の顔を不安気に窺っていて、この幼児の心理をうまく利用して仕事をすれば簡単に済ませることができるのに、私はついその幼顔が可愛くて話しかけてしまう。

 そうすると子どもは緊張が解けて話しに乗り、喋れば同時によく動くようになる。一旦そのようになると慌てて技術者の表情を引き締めても手遅れだ。子どもは”乗った”状態になり動きは止まらない。

 最近の母親はどんなに子どもが動いても知らん顔して週刊誌を読んでいるから、私は「よい子だから動かないでね」と猫撫で声で話しているが、表情は子どもをにらみつけなければならない。だからどんなに可愛い子ども客であっても私は自分の顔をいかめしくして仕事をしょうと思うなだが、そのせいか最近は愛想のない中年の顔になってしまった。1991,5
   Amazonとは
 待ち人 1989
   息子夫婦の悪口を言うことだけが目的のような老人客。動くことに少しも気をつかってくれない赤ちゃん。新興宗教に凝りその効能を熱く語って入信を勧める社長。店内で髪を切る切らないを言い争う親子など、理容室はモラリストを自認する私にはもってこいの職場である。
 春がきて山形から当地へ出稼ぎにきていた客人が「国へ帰る」とわざわざ当店に挨拶に訪れた。私は仕事の手を休めて入り口に立つ陸奥の国の客人に訊ねた。
「こちらではよく儲かりましたか?」
 するとその客人は嬉しそうに相好を崩して
「いえ儲かりません。儲かりませんがわたすの帰りを待つ家族がいるもんですから帰るんです」
 私は素朴な人の素朴な言葉に心を打たれた。遠くに離れていても人と人はお互いが心を通じ合えることができる。彼の職場には帰るあてのない仲間もいたのだろう。だが自分には自分の帰りを待つ家族がいる。安らげる家庭がある。
 このとき私は人間同士の信頼感は「幸せ」の原点であり家族はその基本にあることを感じた。
 家族たちへの土産を大事そうに抱えて帰る彼の背中に、まだ見たこともない彼の家族たちの笑顔が写っているように感じた。
口開けて 鮎釣る亭主 待つ家族--花咲けば 転居を告げる 理容客
 エッセイ 時事放談
 
当店のカット椅子の前には小型の液晶テレビが置いてあり、そこから流れるニュースなどについて店主と客人は仕事中にさまざまな議論をする。

 巨人フアンの客「ドラフト制度は反対」中日フアンの店主「良い選手が平等に入るから賛成」客人「他のチームも巨人のように金をかけて若者に好かれる人気チームにすればいいんだ。努力もせずに良い選手を手に入れようとするのは虫が良すぎる」店主「人気チームだけが強くなっては勝負の面白さがない。

 そのためのドラフトだ」客人「日本は民主主義の国だから弱いチームが消滅したってしょうがない。企業だって弱肉強食の世界だ」店主「金儲けの企業と子どもたちに夢と感動を与えるフェアなスポーツは違う。フアンあってのプロ野球だろ。だいたい一チームだけ生き残って試合ができるか。客人「巨人と西武でできる。」 
  
 店主「ニチームぐらいで連盟と言えるか、もっと全体の発展や維持を考えるべきだ」客人「そういう全体を考える人は社会主義の国へ出ていってもらわないかん。自由に競争させて企業でも強くなるんだ」   

 店主「自由主義の国でも老人や子どもたちなどの弱者への配慮は求められる時代だ。そうした良い社会につながるのがスポーツや文化だ」  この議論はその時のひいきチームの成績如何では延々と続くことになる

 耳垢のはなし 2008.2.19日の中日新聞から
 
耳垢にはカサカサした乾型と湿った湿型の二つのタイプがあり、このタイプを決定するのが遺伝子の「ABCC11」です。人類はもともと全員が湿型であったが、ロシアのバイカル湖のあたりでDNNの一個の塩基が別の塩基に置き換わって乾型が生まれた。

 乾型はロシアから東アジアに広がり、湿型の縄文人の住む日本に弥生人として稲作などの習慣とともに入り込んだ。長崎西高校では生徒が全国の高校生から爪を送ってもらい、そこからDNDを抽出して都道府県ごとに乾型の弥生人の足跡を追跡しました。全国的なデータは完成前ですが、北九州に入った弥生人は西日本に定着して、沖縄や北海道にはあまり行かなかったことがわかる。

 つまり乾燥型の耳垢の人は弥生人である確立が高く沖縄や北海道には少ないことになります。これは近く学会でも発表されるそうです。また指導した新川詔夫北海道医療大教授は「耳垢型決定遺伝子」の発見者で、薬がよく効く人効きにくい人にも関係するそうです

   
 サインポール1888
 

 理容室の店頭でくるくる回転しているサインポールは万国共通の看板で、赤線が動脈、青線が静脈、白が包帯で全体が人間に似せて作られている。昔は外科医が人体の一部の手術として行っていた名残で、一目でそれと分かる特徴はほかに類を見ない。

 理容業は日本人の大半が利用する職業で、親に抱かれてくる赤ちゃんから家族に付き添われてくる老人、目つきの鋭い人から目元涼しげな女性、八百屋の親父さん、教師、院長、住職、派遣社員、大社長からニートまであらゆる年代、業種の人々が集まる。

  明治の頃に日本に伝わって以来、道具類は電化されたが仕事の内容はたいして変わらない。この合理化の難しさは逆にいえば資本家の進出を拒むだけでなく、機械文明社会のなかで血の通う人の手による温もりのある職業となる。技術者と客との肌を接した一時間ほどの触れあいは合理化社会のオアシスである。

 こう して長年仕事を続けていると心を開いてくれる若者や親戚以上の付き合いのできる客ができて、この世は人と人の世界であることをつくづく感じる。その意味で人間を模したサインポールは理容室にぴったりの看板である。1988.10
 
黒髪に 落花付けきし 理容客
  08,4,12,ある日の客人との会話
  
 ある日店の客人が「うちもホームページが見られるようになった」とアドレスを聞かれたので名刺をお渡ししました。後日来店されたときにその客人いわく「孫娘に(じいちゃんのいく床屋さんのホームページを開いてくれ)と手渡して、二人でしばらく見ていたら(じいちゃん、この人いつ仕事をするの?こんな趣味の多い人見たことないわ、)と呆れかえとった」と話されました。 

 私は「そのお孫さんは何歳ですか」と尋ねると「13歳や」
「13歳では驚かれるかもね。私は67歳ですから二十歳から5年づつ趣味をしたとすると9つの趣味の数になりますよ。私の性格は”いい加減に趣味をするのだったら初めからしない方が良い”考えですからたまたまこうなりました」と言い訳がましく答えました。
 すると「わしは74だけどわしでも呆れたわ」と言われ、亭主はこの言葉を深く噛みしめました。

 亭主が休日に家庭を顧みず趣味に興じられたのは妻と娘の代償の上であったことを、そしてお客様のお陰であることを感謝、思い出せば釣りに出かけたときのおにぎりは美味しかった。よくもまあ握ってくださったと感謝でただただ頭を垂れるのみの昨今の日々でございます。m(__)m; 2008,4,
久しぶりに捻りました。花まつり そぞろ味見の 客ばかり
         
 
 朝子ちゃん
 
 当店の真向かいにあるクリーニング店に朝子ちゃんという幼女がいる。この子が私の顔を見ると泣き出すことに不自然さを感じていた。車道を挟んだ正面だから家に出入りするときなどに目線が合うと、手に持っているオモチャをほっぽり出して血相を変えて家に逃げ込む。

 また道路の四つ角でバッタリ出くわすと、まるで化け物か怪獣に出会ったように恐怖で表情を引きつらせながら「ギャー」と泣く。

 私は始めのころは二歳の幼女の仕草が可愛くてわざと顔を出したりしてきたが、次第に異常さに気分が悪くなった。そして思いあたる原因を考えてみた。
 二ヶ月ほど前に私は朝子ちゃんの髪をカットした。そのときはどの子もそうであるように私を医者だと間違えて泣いたのだが、その後遺症にしてはひど過ぎる。妻は私の鼻の下のヒゲが原因だから剃れという。

 家族が調髪に来店した折にそれとなく聞いて納得がいった。朝子ちゃんは現在外の世界が珍しくて雨の日でも店の忙しいときでも出ていこうとして、そのときに家族は 「怖いチョキチョキのおじさんがくるよ」といって当店を指さして怖がらせていたのだそうな。
聞いて納得したがそれにしても知らないうちに私は鬼か化け物扱いされていたわけである。
 しかし私も子育てのころは店内に乳母車を置いて子供をあやしながら仕事をした覚えがある。しばらくは鬼を演じようと思った。
散髪児 鬼見るごとく 汗し泣く
 一期一会 1887
 
 私の店の近くに大企業の社宅がありそこの住民は知的でおしゃれのセンスがよくて都会的な雰囲気あり、奥様たちは文化教室の習い事に通い、私の妻はその優雅な生活ぶりえを羨ましがっていた。

 だが歳を経てようやくその誤りに気が付いたようである。一流社員は転勤が多くて子供が高校生ぐらいになると単身赴任か子供の下宿探しが待っている。また老人や病人を連れての転勤や、なじみのない土地で葬儀をしたという話も聞く。

 それに比べてわが妻は雨が降ろうが桜が咲こうが動かなくてよい。また接客業だから友人が多くて休日ごとにテニスが楽しめてようやく平穏さを感謝できるようになった。

 春が来て社宅の小学三年の少年が別れを告げに来た。「ぼくお父さんから転勤を聞いてまっ先にツツミさんのことが頭に浮かんだ。だって絶対にお別れを言いたかったから」私に何事も話してくれる少年はそう言った。

 「そう転勤するの、寂しくなるね」私は毎年のことだから多少社交辞令で答えたところ、少年の瞳に見る見るうちに涙が溜り私は自分を恥じた。そして少年が好きだった店の本をプレゼントしながら心をこめて「寂しくなるね」を言い直した。

夏祭り
 
 
「ヘアーサロンツツミ」のある仲田本通り商店街は長年夏祭りが開かれている。 車道は夕刻から遊歩道となり金魚すくい、盆踊り、神輿が練り歩き、各商店の店頭は夜店の裸電球が点いて祭りを盛り上げる。当店も理容に関するヘアーブラシやシャ
ンプー、業務用の整髪料などを売ってきた。また繊維会社にお勤めの顧客に婦人服を借りて売ったり、駄菓子店を営む顧客にお任せしたりして夜店が歯抜けにならないよう夜店を続けてきた。

ある夏の日の客人同士の会話です。
ツツミの客A『私は最近この辺りに越してきたんですが、夏には毎年お祭りがあるそうですね。子供たちが楽しみにしています』
  客B『うちの外孫たちも毎年祭りに合わせて泊まりに来ますよ』
店主『先日一人の青年が来店した折に「おじさん僕誰だか分かりますか、子供の頃に町内の子ども会でお世話になった神谷です。この春に就職して日進町に住んでいるんですが、この辺りが懐かしくて来ました」といって、それか
ら日進から車で何年も来てくれますよ』

  
 
ことなかれ主義の現代社会は地域の行事や子供会の運営などを疎む風潮にあるが、大人や親が子どもたちの楽しい夢や思い出づくりに汗することは大切なことです。
 なぜなら大人の背を見て育つ子どもたちは大人になった時に自分の子供にも楽しい思い出を作ってやりたいと、地域の連帯など他人のために汗する健全な社会づくりをするようになる。それらが代々伝わっていく文化を住民が持てば、理想的な人間社会と言えるだろう

1993.7
                                                                         踊る子は 子なりに低く 手をかざす    
  理容俳句
  ◎少年の 冷たき夕刊 受け取りぬ
◎福引の 鐘の音聞こゆ 商店街

ひと花を 頭飾りに 理容客
春来たり 転居人去る 理容室
◎黒髪に 落花付け来し 理容客
◎春眠や 店にしみいる 鋏音
◎泣きべそで 散髪せし児 卒業す
◎裾刈りの 青ささわやか 社会人
◎一年生 なりの決意で 散髪す
◎春眠や 顔剃る客の 顔伸びし
 

◎頭髪に 炎暑を溜める 理容客

◎理容客 ずり落ちそうな 三尺寝
◎散髪児 鬼見るごとく 汗し泣く
◎剃刀を つかみ来し児に ひや汗す
◎理容客 帽子を取りて 油照り
◎蚊の止まる 叩くに迷ふ 客の面
◎痴老院 奉仕散髪 秋の暮れ
◎秋の暮れ 点け忘れるは 理容灯

裾刈の 青さに春の 気配かな

首筋に 刃先冷たき 理容室 
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