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末木剛博氏 抜粋

  日本人の美意識

一般に「あはれ」といわれ『見るもの聞くこと、なす業に触れて、情の深く感じることをいうなり』と定義されている。またあわれは芸術全般の源であり、日本人の感情的、ものの考え方、美しく感じようとすることであり、日本の独特で特徴的なものである。平安時代には「あはれ」は多く哀の意味に使われ,哀感が美意識の主位をしめていた。
この哀感に余情が加わると「幽玄」という宗教的な深い沈潜の情となり、ここに芸術の理想を見出そうとしてきた。一切の無駄や贅沢を排除した冷たく寂びた状態のなかに無限を感じるのである。「さび」は繊細な感覚でもののあはれを知ると同時に、事実への執着を離れて心を軽くしする。寂びは哀感の一つの淋しさからから生じる美意識で、淋しさを通して無限を感じ無限感で淋しさを癒す、そうした解放された軽さを楽しむ状態である。

 「侘び」も寂びに似た美意識でものの乏しさ貧しさをとおして無限の豊かさを感じ取る。
茶道の「侘び茶」は華美を否定して「貧しさのなかにこころの豊かさを保つこととし、「藁屋に名馬つなぎたるごとし」で、乏しと欠如のなかに積極的に豊かさの美をみいだす趣味である。
「数寄」⇒欠け茶碗の「侘び茶」は「侘び数寄」につながり人への和敬の道徳をつくりだしてここに日本文化の理想がある。


 
 

 日本人のこの感覚、文化から私は外国人が不思議がる万博で並ぶ日本人に日本人の美意識を感じました。新聞のコラムにも「万博を成功させたのは入場者の叡智だ」書かれていましたが、暑さのなか長時間並んで待つことは快適にあらず汗しながらの苦行であり、「見るもの聞くこと、なす業に触れて、情の深く感じることをいうなり」の「あわれ」と「侘び」に通じます。大勢の儚い人々がひとときの並んで万博を見ようとする行動は金持ちも貧乏人の差も無いあはれと侘びしさの「侘び茶」の精神であり、そこから無限の豊かさと共有する連帯感につながっていく。

 並ぶ人々の表情も明るく苦行からの「侘び」を通して、「茶道」の招く人と招かれる人のようなしみじみとした情感、和敬の念と慈しみを持ち、そこから豊かさと美しさを共有する「数寄者」の列になっているのかもしれない。少なくとも数寄者が混ざりこんでいます。
 団体さん、家族連れ、外国人、恋人同士、老夫婦、身障者などさまざまな人間が、さままな運命を背負って並んでいて、千差万別の運命を持つ人が、並ぶという共通の意識で列をなし運命を共有するひとときが不思議で一期一会の情感を楽しみ、秒針のように過ぎ去る時間に「もののあわれ」の美意識を感じる。社会が巨大化して人間が脆弱化しる現代社会にこうした和の日本文化はとても尊く大切にしなければならない思想だと考えるのです。

すき‐しゃ【好き者・数寄者・数奇者】
大辞林でも 「すきしゃ」 を検索する
美についてWEB検索する。

1 ?物好きな人。好事家(こうずか)。すきもの。
「―の間に平七が細工求めたき旨申さるる仁(じん)出来(いでき)」〈露伴・風流魔〉

2 ?数寄の道に専念する人。特に、茶道についていう。風流人。

3 ?色好みの人。好色家。すきもの。

 日本の伝統文化 
華道、茶道、陶芸、俳句、短歌、水墨画、長唄、神輿、漆、書道、日本舞踊、盆おどり、川柳、着物、仏像、芸者、城、盆栽、日本庭園、浮世絵、日本画、神社仏閣、凧、うちは扇子、歌舞伎、能狂言、文楽、相撲、柔道、百人一首、かるた、花見、など独自な文化を持ち、一般的には礼節や和「他者」を重んじる国民性だと言われている。


 
 自作の陶器にミニ盆栽 自作の鮎の陶器

拙句
 釣竿に 休むとうすみ 大過なし
かとの群れ 水の中にも 日向あり  
遠目にも 花びら付けし 1年生

句作りの ペン先にじむ 弥生かな 
 
花咲けば 月は遠くの ただの月 

川遊び 足の裏にも 夏来たる   
鮎一閃 研ぎ済まされて 竿伝う
 燕の子 首かしげつつ 巣立つなり 
高原の テニスコートや 風光
おにぎりの 味の広がる 春野かな  
登り鮎 荒瀬高巻き とどろけり
菅笠に 雨の滴や香魚釣り 
浮雲も 洗ひ干される 梅雨晴れ間  
 

 エッセイ   日本人の叡智 2005.8

 さまざまな言語、風貌、さまざまなファッションと習慣を持つ世界中の国々の人が名古屋に集っています。会場への乗り物に乗っただけで日頃見慣れない「外人」さんが目につき、また会場内には至るところに肌と言葉の違うカップル、家族、親子、グループが歩いています。そして外国のパビリオンへ入ればその国の歴史や産業、風習などに触れることができて、海外旅行では味わえない民族の重みを感じることができます。
 外国館は巨大映像などが主の先進国と工芸品等の実演、販売が主の後進国とに大別できますが、モノクロ人間の私は後者に興味が湧きます。後者は産業を振興させる機会として自国の特徴とか、民族衣装をまとう現地の店員と「ハウマッチ」の触れがあり、地球という星に住む人間同士の平和と共存の大切さなど「愛、地球博」のテーマと生きているロマンを充分体感できるからです。
それらの得がたい体験が身近でできることは開催国日本人、とりわけ愛知県民にとり幸せなことではないでしょうか。また暑いなかで長時間並んで待つ人々のなかには価値観を共有す
る不思議な連帯意識のようなものがうまれて、苦行も楽しいとばかりに老人に折りたたみ椅子を貸したり、他府県、他国の人々と談笑したりしていて、人間の意外性とりわけ日本人の和やかな国民性と、万博を成功に導こうとする善意と知恵であることを感じさせます。 
 そしてそれらを確かめたくて再び出かけることになるのです。      
       
万博に 列なす民の 日永かな 順風

エッセイ おくりびと受賞

 2009,2,22日のテレビ「サンデープレジェクト1.000回」で、今日の日本の現状を憂うテーマ「なにを拠りどころにするか」に対して、コメンテイターの経済学者中谷巌氏は「日本の美意識」
評論家桜井よしこ氏は「他者愛」の発言をされました。内容を聞いていてお二人とも日本の良い文化、日本人の精神性を活かせ、復活せよと言う意味と理解して、当サイトのコンテンツ内容と同じで驚きました
 タイミングよく日本映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞して映画館は大盛況ですが、ノーベル賞受賞ともども謙虚に学ぶ姿勢をもつ日本人の特性の結果ではないでしょうか。
 映画はまだ見ていませんので推測ですが、日本の文化「茶道」には招く主と招かれる客人のそれぞれの作法「礼儀」がよく知られていますが、「送る」作法や礼儀も日本人のこころ、 精神性、生死観の表れと言えます。そして他人を尊重して送り出す日本人の美しいこころが外国の人々に理解されたことにも感動します。
 終局「人の死」に礼を尽くすこころとは、結局は生きることの尊さにつながることで、反戦の名画に勝っての受賞でしょう。
    

  ドナルド・ローレンス・キーン(Donald Lawrence Keene
肥田美佐子のリポートドナルドキーン 日本に永住 
 

ドナルドキーン氏に限らず多くの外国人の日本人評は「礼儀深さ」ではないでしょうか。
東日本震災被害の人々の節度ある行動が外国メデアに賞賛されました。無人島で一人で生活している人には礼儀や信義は要りません。他人と一緒に住むところには他人を意識した節度ある行動をとることが「礼儀」だと定義できます。
 ドナルドキーンさんは外国人と違う日本人の特徴を「自分を出さない」ことだと言われましたが、それは謙虚さや奥ゆかしさ、謙譲の美徳と言う意味と同時に、他人を尊重する、他人を立てる、敬意を払う、人様に迷惑をかけるな、などの他者への配慮や思いやり、生命をもつすべての他者に対する信義と愛情です。
西洋ではこのような他者愛は自己愛(エロス)を超越した人のステージで、アガペー(天上の愛)と言います。
ニグレンは「エロスは人間的な愛であって(自己実現の愛)原理的に自愛であり、自己中心性を脱することができず、利己主義に近づく危険がある。反対にアガペーは人間的立場に対する優越性をもち純粋に無動機の他者実現の道。」西洋の哲学者が説いた愛を日本人は平均的「半数以上」に美意識として持っていたのではないかなと思います。言い換えれば集団のなかで自己を出すことは美意識では醜、信義では恥という感覚でしょうか。
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ドナルドキーンさんが東日本大地震を契機にして「大好きな日本を元気づけるために移住する」決意をされました。ご高齢のキーンさんにとっては放射能汚染国への移住は大決心の要る行動で、日本人は感謝すべきであり嬉しいことです。
博士のご厚意に微力ながら報いたく、そのことをツイッターでつぶやいたりfacebookに投稿したりしていますが、当サイトでも日本人について改めて考え博士を紹介させて頂きましたが、博士の日本人に対する信頼を裏切らないよう、信義に恥じないように美意識を持ち行動したいものです。
また今回の大被害を受けて日本人の美意識は過酷な天災列島に大きな影響を受けていると感じました。繰り返される自然の脅威、畏怖から人の儚さにつながり、同病相哀れむで他者「同類、生物」への慈しみや連帯を受け継いできたのでしょう。
2011.6

「他者愛」のキーワードでGoogle検索してみてください。約 34,300,000 件中の一位に当サイトの「自己愛と他者愛」が表示されます。

     
   
「いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり 

最近日本人のなかに経済物質文明から逃避するような他者との関わり、ポリシーや価値観の共有「シェア」、支援等への参加などを生きがいにする行動が見られるようになりました。
その行動を顕著にしたのは未曾有の大震災、Facebookの登場,キーンさんの行動などかと思わます.。
ドナルドキーンさんの日本への帰化も、震災を契機として愛する日本人と生死を共有したい気持ちの表れでしょう。2011.6.30
「いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり
NHKのクローズアップ現代2011.6.28抜粋

 いま、消費者の間でモノやサービスを共有しようという「シェア」が広がっている。車を共有するカーシェアの会員数はこの一年で4.5倍。ビニール傘などの日用品の共有から、オフィス、一軒家のシェアまで、その動きは今、急速に拡大している。背景にあるのは大量消費社会への疑問。そして若年層を中心にした、「シェア」を通して「誰かと繋がりたい」という欲求の高まりがある。
 インターネットの普及によって、地縁や血縁とは異なる、趣味や好みを「共有する」コミュニティが誕生し、「シェア」の広がりを後押ししているのだ。さらに、「シェア」によって誕生した新たなコミュニティは、跡継ぎ不足に悩む農業を応援し未来の地域社会の形を探ろうというプロジェクトなどにもつながり、いわば「夢」の共有にも発展している。大量消費を追求してきた人々の前に現れた新しい価値観「シェア」。その可能性に迫る。

今在るものや夢とかポリシーまで共有したい、同類でありたい、分担したい、応援したいと言う行動を若い人たちが持ちだした。その心は合理性や物資的豊かさだけではなく、精神など人間そのものへの関心、信じあいたいこころ、自分もシェアして参加したり応援できる喜びを求めている。
NHK クローズアップ現代
 
 すべての人間を震撼させた天災  
 
 3月11日の午後三陸沖でマグニチュウド9クラスの大地震が発生。その10数分後に見たこともないような巨大な津波が沿岸に押し寄せて、まるで爆撃後の焦土のように地域や家族、会社、学校の絆を消滅させました。
 そのすざましさをテレビで報道されて被害を目の当たりしたすべての日本人を打ちのめしたのです。その上原発が損傷して深刻な日本列島の危機が世界に伝えられました。


 現在世界の原発専門家の協力を得て、手がつけられなくなった怪物を必死でなだめていますが、手探りで綱渡りをしている状況ではないでしょうか。
 この事故でイタリアとドイツが脱原発を宣言しましたが、日本では原発利権連合と目される人が首相を交代させる動きをしています。

 科学は1+1=2の世界ですが、科学をいかに人類に役立てるかは感情の動物たる人間であることに深い憂慮を感じます。今回の津波想定の考えられないような科学者や電力業界の甘さは、原発勝ち組の馴れ合いと驕りがもたらしたと断定できます。わが世の春を謳歌する政官財学の利権連合の面々に、天災の厳しさを具申することはできません。これは国の中枢にいる人たちが日本と日本人のための行動はできないということで大変恐ろしくて不幸なことです。
大きな推進の流れに逆らうことは私を含めてなかなかできません。
 家族愛や会社への忠誠心、また地元への安全神話を説明してきた手前だとか、勝つか負けるかの感情とかの自己愛を優先して、つい曖昧になってしまうことが人間の脆弱性です。言わば世界は人間欠陥に震撼したと言えます。


 このような自己愛に酔いしれている人たちは、人の手に負えないような利権怪獣でも手懐けられるという妄想を描きますが、当初の原発の危機認識が外国メデイアと大きくな差があったことは、隠ぺいではなく事実を理解できずに右往左往していたと推測できます。

 人間の脆弱性は1+1=?であって、原発そのものの危険度より不安定な感情「傲慢、怒り、妬み、勝ち組の優越感、
ノイローゼなど」の動物であることを認識すべきですが、その認識は悲しいかな人の上に立つ人ほど少ないようです。

震災から3ヵ月がたち暑くなって業界は電力の危機を煽り、そのためか脱原発を曖昧にする地方自治体が増えてきましたが、全生物は地震、噴火、台風、津波、隕石などマグマ活動する危うい地球で生活しています。人類は命よりお金を大切にする本末転倒な方向を目指す、危険な怪獣のリスクを抱える大量消費拡大経済を考える時期が来ているのではないだろうか?。

その昔に大きな天災で恐竜が死に絶えて小さなゴキブリやネズミが生き延びたと言われていますが、大量消費「恐竜」=欠陥人間が大層なオール電化等の盲信してはいないだろうか?。 
 
 自らの欠点を知らない動物はもろいものです。人類もゴキブリになれとは言いませんが、スローライフやエコ社会など欠点を知る身の丈に合った生き方をすべきだと思うのです。 

 「?人類」における賢明さとは謙虚に慎重に生きることでしか得られない訳ですから。

「上段の「シェア」から始まる人々の横のつながり」が脱物質文明だとしたら、また多くの人が亡くなられた大震災が、日本のためになる舵を切るきっかけなら少しは救われることです。

「復興支援善意の輪」をUPしました。

http://yorio-salon.sakura.ne.jp/newpage320.htm

  追伸2011.7.6
昨日の新聞で各地の「反原発訴訟」が殆どが危険はないと否決されてきたが、今回の原発
事故は今後の判決に影響を与えるだろうと報じられました。
政官財学の原発利権勝組連合に司法の認識も影響うぃ受けて甘かった訳ですが、
庶民は世の中の大勢に流さることは歴史が証明していますが、司法に携わる人も人の子
だったのです。戦争に進んだ愚かな大勢の教訓も人間は役に立てないことは
悲しい現実だと、その危うさ「欠点」を認識することしか方法はないのでしょう。
ここに哲学や芸術の存在価値がでてくる。
     
目次
礼儀正しかった日本人
武士道 君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、卑怯を恥とし富貴よりも名誉を以て貴しとなす
儒教 仁、礼、孝、忠、中庸の精神
信義 真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。人間の最も大切な心の一つ。「―に厚い」「―を重んじる」
情愛 他人の立場に立って思いやる深い心の情感。武士道精神の一つ。
情緒 事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起 こさせる特殊な雰囲気。「―豊かな作品」「異国の―があふれる」「下町 ―」
礼節 無人島で生活している人には関係のない言葉です。また欲望や自分の権利を主張する「求める」ものではなく、他人の立場を理解して礼を尽くす「与える」「他人を重んじる」「信義を通す」自分を律っして他人に接する和敬の念。
日本人の美意識 美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの日本人の心の働き。自然や故郷、他人に対しての調和的連帯意識がさまざまな美を醸成する。当サイトのテーマ「礼節」も言い換えれば飽くなき美の追求です。
調和と中庸 「徳」を突き詰めて考えたり先鋭化すれば悪徳になります。アリストテレスの倫理学で、「中庸」を徳の中心になる概念としている。過大と過小の両極端を悪徳とし、美徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。」
辞書にも「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、調和されたさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。」
活字文化 言葉は他人がいて自分が在る人間社会で協調して生活するための共通意識語,また善と悪のようなさまざまな規範を社会で明文化できるプログラム言語のようなものです
これらは法律で定められていないが、だから人として心しなければいけないこと。
2008.7 礼節は自由社会での戒律
当管理人が参加している「コミュニテイ広場」で友人Dさんの「イスラム教徒の戒律や敬虔さに鑑みて、現在の日本に信仰心は必要か否か」の日記に多くの賛否の反響があり、私も下記のようなコメントを記しました。

 「宗教は人々の心の拠り所になりますが、度が過ぎると弊害をもたらします。どのあたりが妥当か?手を合わせたり頭を下げる祈りは、自らを真摯にさせ自己を律する。この程度の信仰で良いのかも知れません。
 
 仏教の戒律は他の宗教にみられるように厳しくありませんが、それだけに社会の一員として法律で定められない社会道徳などのルールを、自戒して規範としなければならずこれが自らに課す戒律でしょうか。
 自由な民主社会のなかでは自戒は重要なファクターになります。自己愛を抑制して他人を意識した「礼節、信義、信頼、善意、謙虚」等の言葉に留意しなければなりません。留意することが他者「社会、地域、自然、他人」を重んじる「他者愛」につながります。

 他者愛はエゴなどの自ら律することで社会に規範となる秩序をもたらすものです。

 武士は命より信義、名誉を尊んでいたようですが、これは他者に真摯に対応していたことであり、庶民も他人のことを「人さま」と呼び、
人さまに迷惑をかけることを最も恥ずべきことだと考えていた時代がありました。”先生さま”とか”お巡りさん”も尊敬される立場でした。
 日本には日本の良いところが多々あり、昔は貴族社会にも庶民にも習い事を尊ぶ風流人が多くいて、その結果日本にはさまざまで豊かな文化が育まれて現在に至っています。「習う」という行動は「祈り」と同じ自らを律する謙虚さの表れです。つまり社会や他人を常に意識し、重んじて暮らしてきた現れです。

 しかし近年他者を重んじる風潮は廃れて自分さえ良ければの自己愛者が増え、社会の退廃を憂う事態になっています。
識者はこの風潮を「活字文化の衰退」「Artがヒトを人間にする」「社会に美しい秩序を欲する美意識の欠如」と文化的衰退を指摘しています。

 つまり文化の衰退が自己愛を超越できない精神の貧しい人を増加させているのです。通りすがりに簡単に人が殺されたり、弱者からひったくりする社会に心の痛みや悲しみ、社会の不条理等に怒りも何も感じない我関せずな人「自分さえ良ければと傍観している自己愛者」が増えていることがなによりの退廃です。

 高齢者の私が下記の信念でおこがましくも草の根で文化を訴えています。
1、仕事の定年はあっても社会の一員としての定年はない。
2、自己愛は結局は自らを滅ぼす愚考であり、
  他者愛が究極の自己愛である。
3、仏教の「因果応報」の教えで自己愛者は結局は、殺伐とした社会で自分や自分の子孫でツケ払わなくてはならない。
4、逆に他者愛者には広く愛する対象があり、その愛を他人と共有したい、知ってほしい、共に愛を分かち合いたいと、愛するものを絵画で描き、愛するものを土で捻り「陶芸」、愛するものを言葉で綴り「エッセイ」、俳句を詠み、キーボード「HP」を叩く喜びがあります。」

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  この投稿は私に一つの宝を与えてくれました。

 「自由社会での戒律は自らに課すべきもの」という考えで、当初から持っていたものではなく、コメントを推敲しているうちにコロリと出てきたもので、改めてて活字文化の意義を感じました
文字は漠然としている事象を推敲して明文化して個々の思想にでき、さらに定義したり整合性を高めて法に定めることもできます。
 
 従って時間を置いて「平常心になり」推敲を繰り返すことが大切で、文章のつじつまを合わせたり流れをよくすることに努め、ある流れが文章にできると、文章は一人歩きするように進み視界が開けてきます。
今まで見えなかったものまでが見え、自分の予期しない場所にまで到達することがある。こうしたものの積み重ねで人それぞれの考え方が「信条、思想」になり、目に見える活字で刻印しておく。

 社会から活字文化が衰退することを危惧する理由がここにあります。その上活字を含む習い事など、社会から学ぶことは何も無い考えの人の増加「文化の衰退」は、思想、信条、道徳観が貧弱になることは否めず、戒律をもつことまでは無理?ではないでしょうか。



     
     私の美意識
 昔は教会や貴族のお抱え画家が幅を効かせる社会の一部分だけの芸術であったが、19世紀に入り雇われる境遇に決別して新しい自然の懐で個性や魂表現を求める芸術に変貌した。「ロマン主義、印象派など」人間性喪失した現代において「自然」のもつ大きな存在感は芸術にますます重きをなすだろう。

「美」は一般に「良いこと」、哲学的な表現では、「美」と何かにおいて関係するものだと言える。
「芸術」は表現者側では、その働きかけに自分の創造性が発揮されること、鑑賞者側ではその働きかけに何らかの作用を受けることなどが芸術が成り立つ要件とされる。
  2007.1

芸術がヒトを人間にする。醜に対する美の追求は社会に美しい秩序を欲する。スポーツや科学もより良い社会の、追求であり芸術の創作行為として文化となる。企業の経営者はオーケストラの指揮者のような感覚が求めれ、政治家は美しい国を脳裏に描ける画家の感性が必要だ。活字は社会のあいまいな事象を明文化できるプログラム言語のようなものだが、罪とか罰は定義して法に制定できても美や善意、良識は明文化が難しく人の心に委ねられたいる。
従って人間は常に美と醜の価値基準を持たなければならない。私も美意識で当サイトをユーザー側に立ち、親切で見やすくお役に立つよう整えている。


     脆弱
     純真なエリート学生たちがはまった罠、オウムの錯覚は可愛そうでした。科学は一方通行的に進化して、いまや百歳の平均寿命も夢ではなくなりつつる時代ですが、個々の人間は永遠に迷える弱い存在です。ITは進化してHPが簡単につくれる時代になりましたが、ユーザーを優しく誘導してHPを気に入ってもらうことは簡単ではありません。究極にはユーザーとHP管理人とが心を通じあえれば理想でしよう。

「HPは人なり」の認識が必要で人となりを訴えるための優れたツールが文章力です。
 昔からのことわざ「言葉は心の使い」「言葉は身の文」は、言葉とはその人の人のこころを表す使者のようなものという意ですが、現代はHPがこころの使者です。その管理人のこころや信念をHPという現代の使者に託して反映させられるのです。

 そのこころとはユーザーに優しく思いやりをもって社会に役立とうという、社会の一員としての謙虚な姿勢です。還暦過ぎてからも自分の周辺には果たすべき礼儀はあります。ホームページの創作更新もそのうちの一つだと考えて老いたマスターが頑張っています。
 
  04,8,26,思い思いの夏去りぬ 弱者への礼節
  
 今年の暑い夏も事件や事故で多くの方が亡くなられました。集中豪雨,河や海での水死、殺人事件、交通事故等による不慮の死です。こうした現場では捜査員や救助隊が出動されるのですが、時々このなかで会話しながらの笑顔がテレビに映りだされることがあります。

 どんな意味の笑顔かは視聴者には分かりませんが、遺族や縁故者、また行方不明者の家族にとっては傷口を踏みつけられるような悲しい思いをされるのではないでしょうか。また北朝鮮の拉致行方不明者の写真の上にスポンサー名を貼り付けている民放も理解できなません。横田めぐみさんのアップの写真の目と鼻と口の辺りに3〜4社の社名を貼り付けて宣伝している。
社会のなかで不幸な人や社会的弱者を思いやることは大切なことですが、個人はともかくとしてテレビ局は公器として編集する時に不謹慎に思える場面をカットすべきではないでしょうか。
些細なことかも知れませんが日常的にこうした他人の心の痛みに無神経な放が流されていると、知らず知らずに大切な心を失い殺伐とした世の中になってしまいます。 
 今朝守山区からのお客さんが来られて「うちの辺りに赤とんぼが一杯飛んでいた」と言われました。仲田公園ではとんぼは見かけませんが、蝉はすっかり鳴りを潜め思い出したように鳴いても声はかすれて途切れてしまいます。夜になると秋の使者コオロギが静かな音楽を奏でるでしょう。
蝉落ちて次なる奏者羽ふるふ。 
 私もコオロギのように次に生かされているものとして筆をふるいキーボードを叩き句をひねっています。 他者愛と自己愛
 

  2003.7.teテニスクラブにポリシーを一部書き換えた
 
 当会には会則があり入会された方は遵守して頂くことが条件ですが、残念ながら現場「コート」では不信感を抱く言動が散見されます。会員の大半が私のホームページから入会して頂いている関係上、不快感を持たれることは看板倒れで責任を感じない訳にはいきません。
 よく見る光景の例えば1、運動のために参加されている人もいるなかで、聞かれもしないのにプレー中のパートナーのミスに、手を休めて相手ペアを待たせて持論を押し付ける。2、対戦相手ペアを物足りないとして強者ペア側が組み代をしようとする言動。3、負けた相手ペアにコートのブラシ掛を強要する。4、ダブルスなのにパートナーを無視して単独で走り回り、自分だけのパポホーマンスを演じる。
等々です


 目立ちたがり屋、仕切りたがり屋の上から目線ですが、当人は秩序を乱す弱いものイジメにつながる愚行に気がつきません。その上このような人は黙っているとエスカレートすることが特徴です。
  他人との関わりを重んじるサークルとかコミュニティ、また人間社会においては、他人を尊重することが基本です。過去には肌に合わないと脱会して自分のサークルを作った人もいましたが、自分を主張する人には正しい選択です。
 当コミュニティは16名中大多数の、他人を尊重できて「全員が楽しく遊ぶ」価値観を共有できる、常識的な方々により運営され、そうした土俵上に土足で上がるような言動が嫌われる原因です。
 また汗をかいている幹事の足を引っ張り中傷するような行動であり、ご意見は年に一度の納会で挙手をして発言することを規約にしています。 
2018.4.1
 04,11,13 イチロー、松井の礼節 社会への礼節
   
 イチローは国民栄誉賞受賞を,自分はまだ値しないと二度も辞退しました。また学校訪問などを通じて子供たちに夢を与えてその姿勢を宮本武蔵や求道者のようだ、と評する人がいます。
 松井は高校野球で5打席連続敬遠された時ふてくされたような態度はなく大人の受け答えをしたのみか、そのときの相手チームが優勝したとき相手の監督に祝電を送っていた。また父親と共にアジアの親のない子の里親になっていて不幸な子供たちと長年の交流を続けている。オリンピックのメダリストたちのコメントは親やコーチなど世話になった人々への感謝と、そのお陰で今の自分があると謙虚さが目立つ発言が多かった。

 昔から武道に心技体の大切さを言われてきたが、頂点に立つ者の理にかなう言でトップアスリートたちのコメントはそれを裏付けている。苦労して掴んだ彼らに共通するものは「謙虚」さであり、それは常に努力を惜しまないことにつながり、他人より一歩進んだ理論と能力、深く掘り下げた考えが身につく。心が貧しければ「井の中の蛙」で終わるしかない。

 「謙虚」を言い換えればそれは他人を意識した言葉に他ならず、他人「人間」を重んじる、人間関係を大切にすることで例えばイチローの辞退は「モチベーショが下がったらフアンに申し訳ない」と、フアンと自分との人間関係を考えた言葉であり彼のフアンへの礼儀を表している。また自分一人で成し得た成果ではないと自分の周囲の同じように努力してきた仲間やつながりを持つ人たちへの配慮は社会への礼儀とも言えるだろう。

 そうした謙虚さが感謝の気持を生み努力を惜しまない精神構造をつくり、ボランテア精神が育まれて全てが良い方向に向かう。謙虚と礼儀は無人島で生活して
いる人には必要のない言葉ですから、逆に言えば人間社会では人付き合いのための当然な心だと言えるのではないでしょうか。