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  08,3 自己愛と他者愛
  

人はまず 自分のことを第一に「自己愛」考えます。しかし社会のなかでは周囲の人に対する礼儀や感謝、気配りも必要です。特に女性、老人、子供、障害者、もの言わぬ 動物などの弱者に対する思いやりは、人間を人間たらしめる最も大切な精神であり、その精神は自己愛の対極にある他者愛として位置つけられています。

 Artに関心をもつことは地球とか大自然に向き合うことですから、地球環境から社会、生物、動物と人間などに与える愛が萌えてきます。

外にある大きく広いものに向けらた他者愛、または関心ということになり、他者を意識した
礼節や調和うを好みます。その経緯を経て人間としての信義を尊び恥を知ります。
 
 この反対軸の自己愛者はうっかりすると文字通り自分中心の歪んだ価値観を持ち、矛盾と邪悪性を抱えることになります。礼節や信義、恥という言葉は他人を 意識した言葉ですが、自分が良ければよい利己主義者は、無人島で住んでいるかのように他人を意識しません。

 エゴイズムは出世の風見鳥として役に立つ人には 異常な気配りはするが、その反動で役に立たない人は見下して、他人との信義や礼節は意に介しなくなります。

大会社、大きな家、大きな車をステータスとして 人の価値基準を大小高低で判断する価値観を持ちます。


 国の中枢の政官に不祥事が絶えなかったり一代で金持ちになった政治家などは、「当たらずも遠遠からず」でしょう。

 また自己愛者は「自分は又は自分の子供はよその子より優れている」という盲愛、過信、驕りをもちやすく⇒周りから崇められて当然だというわががまな権威 主義、権力志向者になり⇒権力者に従わない部下などには過剰な反応をします。

 他人を踏み台「虐げる」にすることに躊躇も罪悪感も無くなり、識者は贈収賄や セクハラ、パワハラなどを犯しやすい性格だと定義している。その上歪んだ価値観は自己の運命を社会や他人のせいにする「自己破滅」の過ちを犯します


 これは生体で異常増殖するがん細胞そのものです。つまり他者愛が結局は自己のためであり、自己愛は結局は自分を滅ぼす愚行だと定義できます。

 また他者愛 は見返りを求めないから過信や傲慢さ、他人のせいにする邪悪性はなく「あばたも笑窪の異性愛は別です(^−^;」、深めるほど広くて大きな世界と連帯でき ますが、上記のような歪んだ自己愛は共存する他者や社会を否定した邪悪で孤独なブラックホールのような自己破滅行動に向かいます。


現代の親殺し、子殺し、 自分の死刑を望んで無差別殺人に走る若い人たちは、自己「孤独」からの出口を見出せない歪んだ閉塞感や絶望感に押し潰さた姿ではないでしょうか。

 
 外(と)にも出よ 触るるるばかりの 春の月中村汀女

寒い冬が去り暖かな春になると大きな月が手が届くような低い位置にある。子供たち出ておいで明るいお月さまがすぐそばにあるでしよう。外の世界の自然には感動が一杯あるからね。
「私の独断的解釈です。」

エッセイ 戒律 2008.7.
  
  宗教は人々の心の拠り所になりますが、度が過ぎると弊害をもたらします。どのあたりが
妥当か?。手を合わせたり頭を下げる祈りは、自らを真摯にさせ自己を 律する。この程度の
信仰で良いのかも知れません。 またこの問題は、「幸福論」という大きな命題につながって
簡単には結論はでません。


仏教の戒律は他の宗教にみられるように厳しくありませんが、それだけに社会の一員とし
て法律で定められない社会道徳などのルールを、自戒して規範としなければならずこれが
自らに課す戒律でしょうか。

自由な民主社会のなかでは自戒は重要なファクターになります。自己愛を抑制して他人を
意識した「礼節、信義、信頼、善意、謙虚」等の言葉に留意しなければなりません。留意
することが他者「社会、地域、自然、他人」を重んじる「他者愛」につながります。


他者愛はエゴなどの自ら律することで社会に規範となる秩序をもたらすものです。
武士は命より信義、名誉を尊んでいたようですが、これは他者に真摯に対応していたこと
であり、庶民も他人のことを「人さま」と呼び、人さまに迷惑をかける ことを最も恥ずべきこ
とだと考えていた時代がありました。”先生さま”とか”お巡りさん”も尊敬される立場でした。



  日本には日本の良いところが多々あり、昔は貴族社会にも庶民にも習い事を尊ぶ風習が
あり、その結果日本にはさまざまで豊かな文化が育まれて現在に至ってい ます。「習う」と
いう行動は「祈り」と同じ自らを律する謙虚さの表れです。つまり社会や他人を常に意識し
、他人のレベルに自己を高めて共有したいという現 れです。

しかし近年他者を重んじる風潮は廃れて自分さえ良ければの自己愛者が増え、社会の退
廃を憂う事態になっています。

識者はこの風潮を「活字文化の衰退」「Artがヒトを人間にする」「社会に美しい秩序を欲す
る美意識の欠如」と文化的衰退を指摘しています。


  つまり文化の衰退が自己愛を超越できない精神の貧しい人を増加させているのです。通
りすがりに簡単に人が殺されたり、弱者からひったくりする社会に心の痛 みや悲しみ、
社会の不条理等に怒りも何も感じない我関せずな人「自分さえ良ければと傍観している
自己愛者」が増えていることがなによりの退廃です。

高齢者の私が下記の信念でおこがましくも草の根で文化を訴えています。


1、仕事の定年はあっても社会の一員としての定年はない。

2、自己愛は結局は自らを滅ぼす愚考であり他者愛が究極の自己愛である。

3、仏教の「因果応報」の教えで自己愛者は結局は、殺伐とした社会で自分や自分
の子孫でツケ払わなくてはならない。


4、逆に他者愛者には広く愛する対象があり、その愛を他人と共有したい、知ってほ
しい、共に愛を分かち合いたいと、愛するものを絵画で描き、愛するものを 土で捻
り「陶芸」、愛するものを言葉で綴り「エッセイ」、俳句を詠み、キーボード「HP」
を叩く喜びがあります。


エッセイ小さなこと1993.10 
 
  一つのことをいい加減に済ますと全てがいい加減になりやすく、結局その人はいい加減な人間になってしまう。

例えば待ち合わせに5分ぐらいの遅れはたいしたことではないと考えている人は、5分にとどまらず10分、15分と遅れる人である。

 逆に言えば5分ぐらいのわずかな時間はどうにでも都合のつけられるわずかな時間であり百円や二百円ぐらい、一度や二度ぐらいの感覚は三度四度につながって知らず知らずに自分をダメにする。

 自分を大切にすることは自分に厳しく生きることで、自分の家族や友人に対しても大切に接していることに他ならない。

 逆に自分に厳しくない人は自分という人間を粗末に扱うだけでなく、自分に接する全ての人をいい加減に対応していることに他ならない。例えば友人がずるい行 動をしたとき@何も感じないA不快を感じるが傍観するB友人をいさめる。の三つのうち友人を粗末に扱っているのは不正を傍観する罪を背負うAであり、真に 友人、地域、社会を大切に思い真摯な付き合いを望んでいるのはBである。@は欠陥人間として論外。

 堅実に暮らしてきた人がある日に突然殺人者に変貌することは稀で、大部分は日頃の”いい加減さ”が、例えば会社の金をくすめて少しずつ膨れ上がり、返済 のためにサラ金で借りたり競馬で元をとろうとさらに墓穴を掘り、追いつめられて銀行強盗をしたり、豪邸に押し入り家人に見つかり、慌てて殺人を犯していま う。

 また日常的なイジメや暴力も、始めは小さくても次第にエスカレートしてレベル二になり、それで変化がなければ三が死になる過程を踏む。そのダイナイズム を押さえることは加害者には無理で、それが集団となればオウムのようにモンスターのような暴走を生む。まさに人格崩壊、自分で意識できない転落の構図をた どる。

  人間は小さくて弱い愚かな存在です。だから五分とか百円というどうにでもなる小さなことを大切に考える。

それは決して小さなことではなく簡単にできて大きな結果を生むことと言えるでしょう。
まさに少しの努力でも長く続くことで成果を得る。営々とする生活そのものです。