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  仏で脱貧困運動 文化がこころに栄養をくれた 2013.2.7付け中日新聞朝刊

  貧しさが原因で社会から孤立する市民はどこの国にも存在する。15年前にフラ
ンスの俳優ロジェ・アンナ氏が思いついた「劇場の空席をなんとか社会に役立たせた
い」というアイデアが、大きな運動となり孤立した人々を社会に呼び戻している。呼び
戻せるのは金でも食料でもない、フランスの文化や芸術だとする考えであった。
 パリなどの数百もある劇場や映画館、文化施設の協力でチケットが配られて、オ
ペラやシャンソンに接する機会が増えた路上生活者たちは、心に感動という栄養を
与えられて、外出が増えたり同じ環境の人と励まし合ったりできる外の世界に関心
が向いて、定職につける人も増えた。

その数は延べ数で200万人に達して、協力施設は国立近代美術館や凱旋門、モン
サンミッシェルなどの観光地までが参加するようになった。
「社会復帰はまず外にでること、その切っ掛けになるのは芸術文化である」と事務局
は述べているが、さすがフランスらしいボンサンス(bon sens)な言葉で十分なシェ
アができる。

このような「人として成り立つのは食料やお金ではない」という視界の広い
豊かな発想、ボンサンスが、文化的な関わりのある一俳優さんから
生み出されて大きく成長したことに文化芸術の意味がある。

外にも出よ触るるばかりに春の月    中村汀女
外には時々息をのむ感動がある
下の絵は水彩画 地名(115オルドゥネ通り 、パリ、イル=ド=フランス)

日本の将来の設計図もものや金だけの成長戦略は歪んで行き詰る。生活保護世帯
が急増して孤立した人を増やしているが、
「すでに行き詰っている」若くて健康な人の社会に出る意欲を制度が萎えさせては
いないだろうか。

鳥瞰図のような広い視界でより良い社会の設計図を頭に描くことこそ、芸術文化の
役割でではないだろうか。
2013.2.21に日本で3人の死刑が執行された。この人たちは社会を恨んで自らが死
を望む凶行だったと言う。こころ貧しい文化の国は他人と争いが絶えず、また、自
分の人生を親のせい他人のせいにする歪んだ国民を増やすのではないだろうか。

他者愛と自己愛
当店の道路に面したウインドウに風景画を掲げています。月に1〜2度入れ替えるが
通行人が足を止めて見ていかれたり、リピーターも現れて店内の店主と目が合うと挨
拶をされたり、なかには店内へ入り画用紙や絵具の銘柄を訪ねる人もいて地域の
小さな文化的なコミュニテイになっている。

その縁で一人のリピータが3月から教室に入られることになり、2月26日の教室へ見
学に来られて皆さんに紹介した。
以前から「花は描いたことがあるが、このような風景画を描いてみたい」と興味を持
って頂いていたが、とても前向きで臆するもののない明るいお婆ちゃんで、80過ぎ
かなと思っていたが89歳で驚いた。さらに曰く「この歳になった私に先生と呼べる人
ができたことが嬉しい」私は母親のような存在の人に大変恐縮した。

そして芸術文化に触発される関心や感動は健康や長寿にも大きく関わっていること
を納得。ちなみにリピータと教室の生徒さんは大半が女性です。

 善男善女
 
無信心の私が娘の合格祈願に妻にひかれて熱田神宮に参った。正月とあって境は人で埋まり寒いなか商売繁盛、家内安全、私のように困ったときの神頼みなど、なかには真剣に病の快癒を願う人もいるだろう。しかしどの顔も晴れがましく穏やかで深刻な人は見かけない。

 着物姿のアベックも、幼児を肩車した若夫婦、息子に手をひかれる老婆など、どの顔も遊園地へきたような和やかな表情である。

 私はたぶん正月と神聖な社のせいだと考えた。それとも人々は案外冷静で気休め程度にしか思ってないかもしれない。神を信じる信じないより「参ろう、お願いしよう」という人間の謙虚な気持が善男善女、家庭的、平和という好ましいイメージを抱かせるのだろうか。

神前で は少なくとも「今年こそ銀行強盗をして大金を手にいれたい」とか「友人に恨みを晴らしたい」などとは頼まないはずだ。手を合わせることは人間を真摯にさせ る。それが表情を晴れやかなものにする信仰のよいところかも知れない。

 お参りが済むと妻は縁日にならんで鯛焼きを四個買った。「哲也とお父さんが大好きだったから仏さんに供えるの」と言って大切そうに抱えて帰りだした。    
      1989,1

 エッセイ 学びすと


  文章を書くことは文字で生活の折々の 「感情の整理」や「論理の展開」「真実の思索」を行うことです。

何でもないような生活の断片でも煮たり焼いたりしているうちに、思いがけない美味しい食べ 物が出来上がることがある。
文章の流れの悪い小石を取り除いたり、言葉を入れ替えたりしていると流れが良くなり一本の文章の道が出来る。

これは文章がある 意味を持つことでこの道に沿い言葉を綴っていると作者の思考を超えた思いがけない場所に出くわしたり、意外な人間の本性、自分の素顔を発見して驚かされる ことがある。
                                                
 ここからの文章は創作の楽しみとなっ て独り歩きするように成長して書くに値するものがポロリと産まれる。

この時点で饒舌を慎み原稿用紙二枚以内の”小品”に収めることが大切です。
気持ちが高 ぶって文章が肥大化すると読み手に嫌われます。水墨画の世界に”筆を惜しむ”精神がありますが、これは「余情」としてエッセイでも大切な要素です。また 「文は人なり」と言いますが、大上段に振りかざすのではなく控えめで
謙虚な表現が好まれます。

 例えば故意に難しい漢字を使いたがる人がいますが原稿を見ただけで読む気を無くします。日常に使われている読みやすい漢字を控えめに使えば、柔らかな仮名が生かされて漢字も引き立つはずです。水墨画の余白「白」を生かすことで墨が生かされる真理と同じです。

 そして実生活でも他人を踏み台にして自分を生かすのではなく、他者「他人や社会など」を活かしてこそ自分が生かされる、生きる場ができることに気づくのです。


  


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