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Web個展Web solo exhibition
「Yorio world」
  2013.10   
 動物の形 Form of animal




 



造化の神はそれぞれが多様性で生存できるように形も成り立ちも個性を造った。空、海、川、森、山、池、田、米び つの中にまで生物たちは棲む。画像のサギは東山動物園に棲む野生のサギで、動物のエサをくすねて生きている。大型の青サギは白クマの深い水槽に沈んだサカナまで隙をみて横取りするパホーマンスを見せ、展示されている動物よりすごい野生に感動する。  

    
動物に関するエッセイ 
パンダの子育て
テレビで「ムツゴロウのゆかいなパンダ物語」を見た。パンダは双子を産んだ時に母親は一匹だけを膝の上で育てる習性がありもう一匹は死ぬことになる。人馴れした飼育場のパンダが双子を生んだ場合は人の手により二匹とも育てて自然に返そうという記録の番組である。
 生まれた直後に捨てられる運命の子パンダを人間が拾い飼育室で育て、少し成長したころにその子パンダを連れて檻に入り隙をみて取り替えるのである。、
 目が見え歩けるようになると二匹の子パンダは初めに育てられた”親”を慕って「追い鳴き」をするようになる。母パンダが外の運動場出た時は育てられた弟 パンダが追い鳴きし、人間に拾われた兄パンダは飼育人に追い鳴きをする。この時期を見計らって弟と母パンダの居る檻に兄パンダを置き去りにして飼育人は外 へ出ると兄は飼育人を慕い追い鳴きをする。檻の中から飼育人の居る外へ出たがって鉄格子に顔を突っ込み激しく鳴く。するとその声に母パンダの遺伝子がうず くのか、膝の上の弟を傍らに置いてむっくらと起きて歩き出し鉄格子に頭を突っ込ませている兄の後ろから身体を咥えて頭を出そうとする。
 この時の無理に引きずり出すことはせずに、角度を変えて頭が抜ける位置を探して慎重に取り出す親の行動は感動する。
 こうして兄弟はひとり立ちするまで母パンダに同じように育てられ野に返される。信頼できる飼育人だけが成せる技だが二匹の子パンダの乳を欲しがる時の鳴き声は同じだから親は本能的に騙されるのだろう。
 ムツゴロウ氏は感極まった表情で「動物はすばらしいですね!」氏のこの「は」は動物より優れた知能を持ちながら愚かな行動をとる人間への悲しみが言外に込められているような気がする。
燕の巣立ち 
子燕や うながす親は 遠からず 順風

 親つばめが子燕にうながすことはただ一つ、巣立ちです。近所に毎年つばめが巣営する家があり水墨画を描くためにビデオカメラで撮ったりして観察をしてい ると、ヒナの小さい頃はいるのかいないのか分からないが、巣立ちの頃にになるとどれが親なのかヒナなのか分からないくらい成長します。
 判別するために近づこうとすると一羽が飛び立ち私の頭をかすめるようにして羽音を頭上でさせるのですが、この羽音が結構大きくてビックリするくらいです。手に掴めるような小さな生き物がすごい行動ですね。それで親は判別できます。
 巣立ちの頃の親はエサをくわえたまま近くの木や電線に止まります。子燕は巣から落ちるくらい鳴き騒ぎ落ちないように羽と爪でバランスをとり、巣立ちの予 行練習になるわけですが、私が感心するのは親の止まる位置が、子燕にとって決して遠い位置ではない場所に止まっている点です。子燕が決意できるような位置 を知っている。そしてその位置は少しづつ遠くなっていくのです。 
 いや〜動物の本能は素晴らしいですね。
 絵を描くための動物写真はビデオカメラに限ります。10分も撮れば何百の静止画が可能ですし絵になる動きのポーズも簡単に取り出せます。、
 ご先祖さま
 名古屋市東山動物園で日本猿がサル山から脱走した騒動があり、塀をかさ上げし2010年4月13日がリニューアルオープンでした。
  たまたま定休日で出かけると一般カメラマンに混じりテレビ局が取材に来ていて、飼育係りも様子を眺めていました。現場「下の写真」を眺めると灰色部分がかさ上げした塀部分ですが、これだけ高低差があれば素人でも高い鉄柱から低い塀に跳躍しやすいと感じましたね。
 今回塀をかさ上げして鉄柱の頭に踏ん張れないような無数の突起をつけたそうですが、設計の段階で気がつかないことが気になります。
 まさに人は人間が考えるほど利口ではなく、動物は人間が考えるほど馬鹿ではない。です。
 当園は市民のアオシスとして旭山動物園に倣い今後もさまざまな工夫や改修が計画されていて市民には楽しみですが、改修に先立って動物の能力をみくびっていた人間の浅知恵を、脱走猿「ご先祖さま」が知らせてくれたことは幸いなことでした。(^−^; 脱走したのが猛獣でなくてよかった!。\(◎o◎)/ !
  写真右の向かって右が人間に一泡吹かせて反省を教えた感謝すべきご先祖さまです。

 ムコドノの脱走。名古屋の東山動物園の檻のない猿山から猿が逃げた。脱走騒動は今回が二度目だが、前回の人間の反省をあざ笑うような猿の能力である。
ムコドノは野性猿で勝手に猿山に入り込み、先住の7匹のメスに8匹の子を産ませた猛者。??(? ???) 日本猿は成人すると群れを離れる習性があるとは言え、衣食住で昼寝付、7匹のメスに囲まれた桃源郷を捨てたご先祖さまの行動は驚く。
真似ができないね。 ( ゚ω゚;)安住は生物の生きる本能からすると頽廃かも知れない。ムコドノはしいの実などが多い隣接する植物園で60名の刺客から悠々と逃げてスリルを楽しんでいるようだ。前回はヒトが反省して写真のように灰色部分の塀をかさ上げしてその上鉄柱の上に針のような突起をつけたが、野性の能力はそれを凌ぐ跳躍力で,「人間はヒトが考えるほど利口ではなく、動物はヒトが考えるほど馬鹿ではない」。2012.10
社会人に巣立できない飼い主
あ る朝愛犬チビ太をつれて千種公園へ散歩に出かけると紐につながれていない犬「マルチーズ」がいました。(チビ太は犬が大嫌いで自分より小型犬でも出逢うと 情けないかなシッポをまいて私の後ろに隠れます)マルチーズは隠れるチビ太を見て勝ち誇ったように寄ってきて逃げ回るチビ太をうなり声をあげて追いかけ、 飼い主の中年の主婦は慌ててつかまえようとしますがつかまりません。
 私は思わずコラーと大声をだし「捕まえられないものを離すな」と怒りましたが、主婦は「いえ捕まえられますよ」とか「ただお友達になりたいだけなのに」とこちらが悪いかのような言い訳をしました。( ̄□ ̄;)! !

 公園で「うちの子は大丈夫」とばかりに自慢げに離している人をよく見かけますが、こうした興奮状態になると犬は畜生丸出しになりつかまえられないことは 愚かな飼い主に何度も経験を強いられてきました。すれちがうだけで吠えたり飛びかかろうとするしつけのできてない通り魔のような犬もよく見かけます。

 帰宅してから私はその言い訳した主婦にとどめの反撃を加えられなかった回転の悪い自分の脳ミソを悔やみました。(T△T)
 「あなたは見知らぬ私から『仲良くしよう』とまとわりつかれたり身体を触られても喜べるんですか?」と。
 しまった、しまった、ためしに触ればよかった。「爆笑」  (;^_^
 05.7.25
蝉の巣立ち
夏になるとどこでも聞こえる蝉の声。千 種公園の一本の木の下に蝉の幼虫が巣立った無数の穴を発見しました。見上げると樹上には鈴なりに抜け殻がぶら下がっていて蝉の世界の生のドラマを感じま す。幹の下の方でで脱皮しかけに蟻に襲われて朽ち果てた幼虫を見たことがありますが、彼らも必死に出来るだけ他の幼虫より上に登る必要があるんですね。

 指が入らないような小さな穴にはまだ幼虫がいる可能性があり小枝などを入れるとつかまってそっと出すことができます。それを自宅のなるべく大人の背くら いの樹木、なければ屋内の柱やカーテンなどに止まらせると夜中に脱皮を始めて夜明けとともに飛び立ちます。

 お父さん!この感動の巣立ちを子供さんに体験させてあげて ください。きっと生き物の神秘に触れて、老後は大切にしてくれるでしょう。

05.7.30
 
環境エンリッイメント
 集団で生活する動物園の猿園に高木を植えたり蟻塚を作ったりエサを隠したりすると、猿たちは本能を刺激されて表情が生き生きし、檻の内のストレスや異常行動が軽減されることが分かった。「環境エンリッチメント」。
 衣食足りて礼節を知ると言いますが、生物の安穏はうっかりすると精神が緩んで目的を失い異常を来たすという事実です。動物の本能や習性はさまざまですが 共通しているのは「子孫繁栄」であり、そのために食欲、性欲、母性等の本能が備わり、その本能を活性化させるためには日々の「興味」「刺激」「反応」「学 習」「競争」「工夫」なども生体にとっては大切なことになってきます。
 従って檻で飼われる動物のように衣食住足りることは生物にとって反自然的で子孫繁栄に不適当、不健康でストレスをかかえる不幸な状態といえます。
 これは同じ一員である人間にも当てはまり、物が溢れている豊かな自由社会を「檻」のように感じて無目的、無気力、ノイローゼで苦しんでいる人々がいる。 最近の若い世代に見られる異常さ「ひきこもり、親殺し、凶悪犯罪の多発」は貧しい社会にはない現象です。
 イラクやアフガニスタン、東南アジアの貧しい国の子供たちをテレビで見ると、ゴミの中から金目の物を探しだしたり、幼い弟を幼い兄が抱いたりして外に出 て生きる糧を探すこと必死です。屋内にこもっていては生きられないのです。貧乏は生きることを厳しくして目の前の登るべき道をはっきりと示します。ひとり 立ちしようとする世代の者が自分の居場所が定まらないことに不安を感じることは想像に難くありません。
 池を渡るゴリラは棒で深さをさぐりながら渡ったり、蟻塚の細い棒などはよく知られていますが、工夫して進化することは生命の根源であり、釣りの仕掛けや銀杏採の道具を作って自然のなかで使う「試す」ことは狩猟本能だけでなく、趣味を超えて大切なことだと考えます。
 現代の衣食住完備したなかでなにを目的とするか?。人は
自然の一という自然観、「小さな人間」「儚い生物」という人生観が必要で決して強くも大きくもない。そこから第一歩が始まります。そのためには外に出て他人、自然、スポーツ、文化に接っすることです。
 生物の究極の本能「子孫繁栄」をより確実なものにする工夫や、そのための環境エンリッチメントを理解して、趣味を学び健全な精神を育むことが人の究極な営み、自分の居場所が定まる生きる目的、と言えるしょう。
 結論として子孫繁栄のより良い社会環境は 外にのみあります。社会の一員として個人だけの幸せを「求める行為」から、自然保護や恵まれない人々へのボランテア、癒しとなるような芸術表現、社会奉仕 など「与える行為」に転換する。これが万人の健全な精神を育むヒトの環境エンリッチメントであることを信じて、当サイトは更新し運営しています。
  動物俳句
 
「春」 234

かとの群れ 水の中にも 日向あり  
囀りは 空の広さを 確かむや     
若鮎の 河口堰超え 助けむか
燕の子 首かしげつつ 巣立つなり  
登り鮎 荒瀬高巻き とどろけり
水濁す かと水遁の 術使ふ
奥美濃の 燕返しは 山河背に
信号も 禁止も無視す 燕かな
山路行く 足音緩む 初音かな
小燕や うながす親は 遠からず
 
「夏」 567

菅笠に 雨の滴や香魚釣り 
長雨に 蝉の初鳴き まとまらず   
鳴けばなほ 清流深む 河鹿かな     
 とうすみの止まる釣竿 大過なし   
蚊の止まる 叩くに迷ふ 客の面
鮎狙ふ 鷺に習はむ 気の長さ
鵜の篝 闇の千年 炙りだし
釣れぬ日は 合掌して食ふ おとり鮎
鮎一閃 光りて竿の 重くなり
生命の 不思議の始め 孵化メダカ
解禁日 鮎より強し 釣り場取り
美濃皿に 絵をなす鮎の 骨残る
 
「秋」8910

野鮎には 聞こえぬ囃子 川下る 
鮎錆びて 河原に風の 波ばかり 
初鳴きの こおろぎ沁みて 長湯かな 
秋刀魚焼く 匂ひ残りし 妻の髪
疑はず 浮き引く鯊の 天地かな    
釣られても ハリ取られじと 小鯊かな 
人馴れす 仲間疑ふ 遠き鹿

菜虫取る 亭主に妻は 素直なり
幼犬を 家族に逢はす 墓参り
鮎落ちて 川は無人の 夢の跡
かなかなや 最後の一人 竿しまふ
鳶の輪と 浮子の波紋の 秋日和
かなかなや 夕餉の煙 山あひに
「冬」11121
初詣 角の切り口 癒えてをり    
擬餌使ふ 鮟鱇何も 食はぬ顔
寒鯉の 動けば軋む 水の面 
目が合へば 老猫ものを 言う寒さ
 鮟鱇の 擬餌のあほ顔 うなずかる
石段を 三段跳びす 寒