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  離合集散、権力志向、打算、裏と表、風見鶏、建て前と本音、パホーマンスと詭弁、美辞麗句、保身、などの意識が強いと政治屋と呼ばれて、 信義や道徳を軽んじる先生として嫌われます。

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2012.7   3大偽装

 
最近当店の客人と次のような話をした。世の中には隙あらばあの手この手で他人を騙そうとする組織がある。例えば、

新興宗教のフレーズは「幸せ」であるが、そのために仕組れたことは不安を与えることにある。最大公約数的な「最近身近な人が亡くなりましたね」と聞けば、親族友人、ご近所で一人ぐらいは亡くなっていて、当たった!で霊感を信じたり、泊まり込みの体験サークルのような環境下で、音響や映像を駆使して目耳から植え付けていく。

不安を与えれば不安を鎮めたり逃れるために宗教が登場して入信することになるが、入信行動はすでに洗脳された盲目的状態にあり教祖に意のままに操られることになる。


マルチ商法のフレーズは「利益」で利益を得る仕組みを弁舌とパホーマンスで信じさせる。独特のサギ的素養があり堂々としたまさに名優で、この時点で馬鹿馬鹿しいと去る人と、ころりと信じる人とに別れる。
 次々と新たな手口マルチが発覚して被害額が報じられるが、過去に騙された人でも、「今度こそ信じられる、本物だ!」と考えて被害を重ねているようである。

 この二つの詐欺による「集金システム」は同類で共通の素養のある人物が代表に収まる。

こうした話題のなかで私は「自分のため」の行動をしているのに「国民のため」をフレーズにする国会議員たちも似たようなものではないかと言った。彼らは弁がたちパホーマンスを得意としていることもよく知られた事実である。


「政治屋」「国民のため」「100年安心の年金」,」いづれも庶民には耳障りが良い言葉だが、この三つに共通することは、声高に訴えれば訴えるほど嘘っぽく聞こえることだ。やましい心を隠そうとするからパホーマンスが大袈裟になっていく。この理屈が解らない人が実に多い。

 自分のためを「国民のため」と偽装することは、私たち国民はその程度にしか見られていないことで、さらにその程度の議員に利用され騙されていることに気付くべきだ。

 昨年は未曾有の大震災、今年の梅雨は経験したことのない豪雨被害、社会は格差で大卒の就職もままならない、企業はリストラして対応する時勢に、政治家だけが何百人もいて、離合集散、分裂、足の引っ張り合いに明け暮れている。

 原発も「日本のため」に勧められてきたが、いつのまにか国家の中枢を仕切る政官財の巨大なシロアリの利権システムが構築されていて、それを偽装する隠ぺいが次々と発覚した。 原発稼働か否かの問題以前に、このような「偽善的自分の利益のため集団」に原発が委ねられていることに、不安不信感を感じない人がいるのだろうか?。また真に国民のための利害のない行動をとれる議員が何%いるだろうか?

2012.7 ヒトさまに迷惑をかけるな
 脱原発か否かで国論が割れているが、先日政治家を動かせるような経済界のドンが「日本が原発を停止しても中国が拡大していて、事故が起きれば日本も被爆するから停止する意味がない。」言われたが、果たして意味がないのだろうか。

 昨日の新聞に「日本の再生可能エネルギーの遅れ」が載っていた。世界の投資額を見ると中国が510億ドル、日本は6位の90億ドルで、識者は「設備容量でもビジネス面でも開発は大幅に遅れている。」と無策な政府を非難。

 福島から放出された放射線は地球を一周したらしいが、ヒトさまに迷惑をかけないという昔の日本人のつつましい意味がある。 また日本と中国の投資額の差を知れば、原発利権に執着してきた無策で恥ずべき発言でもあり、モラルまで大きく遅れているようだ。

 2011,12,4, 騙される国民  
 

 「放射性降下物」放射能のこと、「事象」原発事故のこと、「高経年化」原発の老巧化、「蒸留水」汚染水、「燃料の損傷」燃料が溶けて落ちて構造物まで溶けても損傷、「廃スラッジ」ただの汚泥のように聞こえるが高濃度放射性汚泥、「バックエンド」核廃棄物の処理業務全般を言うが意味不明に暈してある、など、国民を誤魔化すことが前提で原発行政が進められている。

 このような体質は被害想定など正しくできないことは当然だ。あの忌まわしい戦争を美化してきた過去の反省など全くできていない。

 国民はこの騙しの現実、一部の政官財集団に日本が支配されていることを忘れないで投票すべきだ。それらは愛すべき日本が彼らに蝕ばまれて病んでいるようで悲しい。 

2011,11,27, 大阪秋の陣、ダブル選挙 
  
 大阪秋の陣は橋下維新の会が勝利した。「独裁」発言に揚げ足とられながらの勝利は、市民は既存政党政治を否定したと捉えるべきだろう。
今年は東北地震の混乱のななから、原発村を始めとするさまざまな利権構造、政官財の馴れ合いが露呈した。その責任は長年の政権与党自民党とそれを許してきた国民にある。

 今日の日本の格差社会などの疲弊した一因は、政官財だけが潤う長年のトライアングルの利権構造にあると言わざるを得ない。従って改革の必要性は誰もがも認めることであるのに、国政はこの期に及んでも尚権益にしがみついて抗争している。

 そんな渦中の選挙で橋下維新の会が党推薦候補に勝利したことは大きい。国民より党利党略を優先するような馬鹿げた政治家に国民はうんざりしている。その上彼らの高い目線は市民の鬱積した心理を理解できてないネ。

 その証拠は平松氏の橋下の悪口を言うだけの選挙演説です。悪口で市民を手懐けられるという思い上がりであり、大阪府民を侮辱した行為ではないか。何故質の高い主義主張の論戦をはらないのか?。誹謗中傷などの悪口を言えば自分の値打ちが上がるとも思っているのだろうか。橋下の若いパワーを評価しながら、自分はこのような改革をすると言う情熱がない。

 閣僚の後を絶たない失言問題にも見るように、政界という世界はまったくお坊ちゃまの多い世間知らずな世界だ。平松は自らの愚行で墓穴を掘ったと言える。

 つまり政党政治は渦中の選挙でさえ市民目線になれずに、柵や数の論理、ゴーマイズムが充満しているようです。

 国政の改革を国民が直接に改善できないもどかしさは、少しは明るさがでてきたと思いたい。
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ある日私が「政治家はまず第一には自分のため、次が属する党のため、三番目に属する派閥のため、国民は4番目だ」と当店の客人に話たら「マスターはまだ甘い。四つ目は献金をする大企業のため、五つ目は権益に関わる省庁、国民は六番目だよ。」と言われて恐れ入りました!。m(__)m

人は誰でも自分を第一に考えるが、政治家にはその論理は通用しない。なぜなら選挙の時は「自分のためを隠して国家や国民のため」を”公約”している。「第一」の公約に反するだけでも大罪なのに、その後の二〜五までの裏切の拡大は何と言うべきだろうか。 \(◎o◎)/ !  
 2011.6.1 
 
 昨夜のNHKテレビ7時のニュースで「管総理の退陣」問題を取り上げていた。賛成反対の両コメントが報道されたが、静岡の県知事さんの「この非常時に政局を優先させてなにをやってるのか、井戸のなかしか見えてない」にシェアする。自民党は原発を勧めた責任政党であることを忘れたのか、民主党の協力要請を断り汗もかかずに、東電と民主党にのみ責任を負わせて揚げ足を取ることだけに汗をかいている。

 まずは原発利権連合の馴れ合いを国民に謝罪をして国会議員の給与半減、定数削減など復興対策を掲げたらどうか。政界は自己愛を超越できない人ばかりの集団なのだろうか?。

 2011,4,23  科学が発達すればするほど人間は脆弱になることを、最も
危惧することは、健全な人間の知恵である。
 
 2011,9,26 脆弱で幼稚な人間は自らの欠点を知る動物であるべきだ。 

 3月11日以後の地震、津波、原発事故の経緯は多くの人を打ちのめした。また良識
ある人々は人間の愚かさとより早く、高く、深くなる都市文明の進化?について震撼とした。
科学は1+1=2の仕組みで一方的に進化をするが、感情の動物である人間は100年前も
今も全く変わらない。 次々と明らかになる原発利権連合の馴れ合い、甘い津波想定、
驕り、勝ち組意識、優越感などの癒着はまさに脆弱で幼稚な人間の姿です。

私は8月31日に当ブログで「最悪のシナリオ」を投稿。9月1日の防災の日にNHKスペシ
ャルで「巨大津波都市を襲う」が放送され、タイミングと題名がドンピャで驚いた。しかし地
下鉄地下街への被害が論じられていなくて心外だった。

専門家が「名古屋駅まで津波到達する」「沿岸で津波の被害に遭わないところは無い」と
言いながら何故?。 この疑問をブログに投稿したら、防災の仕事をしている人からメ
ールがきました。内容は専門家と称される人の盲点および不信感で、「普段通勤して
いると足元の穴が見えないことも有り得る」と言われた。

私も専門家の視野の狭さは想定していたが、低きに流れる水についてまさかという
思いです。 またNスペは避難優先ばかりで津波を防ぐことは論じられなかったが、
東海、東南海、南海の三つが連動して起きると、東京、大阪、名古屋の3大都市が
津波に襲われる訳で、日本の人口と経済の7~8割が壊滅の恐れが生じます。

東日本地震時の重油、へどろの津波が地下鉄へ入れば、高圧電気張り巡らされて火
が着き、炎熱津波は全市に広がります。 特に駅周辺は何層もの地下が深くて、
その周辺の高層ビルは地下でつながり、ビルと地下道は煙突効果で想像を絶
する被害の能性もある。3大都市のこのような被害は未曾有を超えたまさに日本沈
没ではないか。命が助かった人であっても少しも喜べない抜け殻のような日本になるでしょう。

従って津波を少しでも減らすことができないかを日本の英知を傾けて考えるべきだ。
例えば伊勢湾には伊勢湾台風後に高潮防潮堤が造られたが、現在Google衛星画像
で見ると中堤が企業誘致するためか広大に陸地化されている。残る鍋田堤、知多堤
もおなじように高さをかさ上げした陸地化を計れば堤防の崩壊はない。

また船舶の開

口部をなるべく狭すればスーパー陸地で半減は可能ではないか。ただ外側は津波の
被害が拡大するので、周辺の工場などは新陸地に移動する。

さらに言わなければならないことは政治家もある意味では専門家です。風見鶏など
独特の嗅覚をもち、地元では名士とか先生と呼ばれる環境から政治屋的な素養が
きている。野田内閣から早々と失言で大臣が失職。その他 金銭疑惑で失職する議
員が後を絶ちませんが、政治家の人間性を想定すれば上から目線の驕りなどの
人間的幼稚さが素養として在ると言わざるを得ません。

また電力業界のやらせなど偽装された原発安全神話は、呆れるくらいおぞまし
い人間の姿です。日本の国家の中枢はこのような俗悪な人々で支配されては
いないか。われわれ馬鹿な国民にも責任があります。愛すべき日本が彼らに蝕まれて病んでいるようで悲しい。 そうした観点から私は愚かで脆弱性を持つ人類が、身の丈に合わ
ないような物質文明を求める異常さを訴えたく思うのです。

ものを多く作るための原発は物質文明の行き止まりを感じるのは私だけでしょうか。
「いま手のひらの上に有るもので満足する」ブータンの人々の方が精神的に豊かです。
際限のない物欲と自己愛に向かう異常さに国民は暗澹たる気持ちで生きている。大
都市東京はその坩堝と言って良く、少しの雨で帰宅難民ができることは限界を超え
た重病都市で、都市災害と政治経済のダメージは測り知れません。早急に穏や
かなエコ都市に分散ないし遷都と、政治の仕組みを考えるべきです。

NHKスペシャル http://www.nhk.or.jp/special/onair/110901.html#
Googleブログ=http://yorio66sueko.blogspot.com/

Webサイト=http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/

 2011,4,15 馴れ合いがもたらした原発事故 
 大地震は人間にはどうしようもない天災ですが、今回の原発事故は軽々に想定外の地震
だとして責任逃れをしてほしくないですね。

なぜなら事故後の関係者の右往左往ぶりとレベル7という深刻な放射能被害は、宇宙のちいさな星、地球に乗っかって不安定、不条理のなかで生きている生物だという謙虚な認識がなかったからです。人がコントロールできないような巨大な怪物を「安全」と言って飼いながら、いま手がつけられない危険な状態をなんと説明できるのでしょうか。

 原発は賛成と反対の歴史を経て、政官財の原発賛成組は安価安全だと推し進めたが、それは大嘘だったわけです。嘘でないとするなら人間の無知と驕りと欲望の結果でしようか。

 巨額の金が動くところに欲の皮がつっぱった政官財の人たちが集まります。徒党を組むように思惑を持つ人々が群れをつくればしがらみができて馴れ合います。

 しがらみは本来は川の流れを落ち着かせる柵の意味ですが、近年は正反対のマイナスの意味で使われることが多くなり、河口堰のように特定の人の利益を得るだけで、長良川全体はしじみや魚を減らして犠牲になるようなものです。

 政界でも一番に自分のために票と金につながる後援者への便宜を優先し、二番目に所属する政党の党利党略を優先し、三番目には属する派閥に阿る。四番目は情報源の官僚に媚び、五番目は献金先の大企業を優先して、国民はようやく六番に登上で、長年のこうしたしがらみ政治が今日「地震前」の疲弊した日本をもたらしたのだろう。 

 このような政官財の馴れ合いは建設資金を抑えて、その分を献金や箱ものづくりにまわして政官財の蜜月を図る。だから「もし事故が起きたら」なのどの発想はないし、その上危険な場所は下請け任せだから初動体制そのものの想定もなかったのだろう。まさに曖昧さを馴れ合ったのです。

  また当事者たちは「馴れ合いやしがらみの危険」を重く受け止めていないことも問題で、ほんの僅かな被害予想数値の甘さが、天災より恐ろしい生物が棲めない国家的被害を招く怖さを、大きな代償を目の当たりにした原発賛成組は反省をすべきでしょう。
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しかし「運が悪かった」という考え方しかできない人には、悲しいかな自覚や反省は望めないと考えざるをえない。
 
 2011,4,12 知事選挙
  このたび多くの新人知事や県会議員が当選してテレビで所信を述べていました。長年続く景気の悪さに加えて東関東地震での震災の影響等で、全国的には閉塞感から既成政党離れを感じられます。 所信表明でこの点に触れる人がいなかったのが少し寂しい思いがします。

つまり組織後援者に囲まれた御礼の弁で「支持母体とのしがらみ」について「応援して頂いた皆様のお蔭で当選できましたが、まず第一には県民全体の幸せを考えさせて頂くことを信条とすることにご理解を賜りたい」


 しがらみとは川の水のながれを整える柵の意味だが、近年は物事の真実をしがらもにより歪めるマイナスのイメージとして使われます。庶民のしがらみは温情として理解できますが票や金「利害関係」につながる一部の人との馴れ合う政治家は、明らかな欺瞞、偽装された悪人と言えます。

 なぜなら「国民の代表者としての役職」でありそのような公約で当選していて、利害のための職業議員と呼ばれるような活動は、金とか名誉の欲望を満たす自己愛職業議員に辟易としている民意が
年寄りほどしがらみは増える若い人はしがらみは少ない、こらは事実。


 2010.8.30 鳩山元首相の思惑
 今回の小沢対管の党首争いは国民にとっては熱中症になるくらい不快指数の高さです。世論は「いつまでも争っている場合か!」と7割があきれ返っています。
 その絵を描いた鳩山元首相は今回の小沢支持に対して次のように弁明していました。
「小沢先生は民主党を勝たしていただいた恩人であり、私を首相にしていただいた大恩人であるから、今回は私が支持することは当然の大義である」
このようなもっともらしい発言をされましたが、本当に大義(最高の道徳)でしょうか?。

 選挙で劇的に政権が変ったのは国民が今までの自民党の派閥による談合政治に嫌悪した結果であり、ブレーンを持つ元首相がこの分析をできないはずがない。
 つまりは大義なき争いを詭弁を弄して、小沢氏を選挙の神様として大義ある戦に無理にするための行動です。

 その思惑は民主党内での自分及び鳩山派の存在価値を高めるためにキャステングボードを握るためで、政界では常套手段ですがいつまで経っても、ていたらくだといわれた旧自民党型権力亡者の姿です。

 国民が示した「派閥自民否定」の民意や、今日の日本の危機的状況で苦しむ国民生活を無視して、まったく個人的な権力温存に鳩山小沢派が奔走している訳です。小沢を道連れにして降りながら、今度は担ぎ上げて恩を売ろうとする節操のなさ、変わり身の早さ。権力だけの風見鳥。

 また権力者に媚びる小沢派の面々も「いまこそ国民のために強いリーダーを!、難局なときに一致団結を!」と最もらしく叫んでいますが、実は自分が権力集団の中心にいたいためのパホーマンスを演じているだけです。まさに虎の威を借る狐のような、国民そっちのけの恥ずべき偽善者たちです。

 権力とはこのような下心を持つ邪悪な集団に担がれるから権力者と権力集団が出来上がる訳で、担がなければ「はっきり是々非々の意見を言えるなら」小沢氏はただの人です。従って担ぐ彼らこそが国民そっちのけの邪悪な権力政治屋集団の元凶だと言えます。

 その元凶「偽善的政治屋」を誰が担いでいるのでしょうか?。一人の権力者の顔色を窺うような強権的集団に国家を委ねて、自由に意見を言える民主主義が損なわれませんか?。国民が詭弁を弄する偽善者を担いで国が良くなる訳がありません。

 
 ある日私が「政治家はまず第一には自分のため、次が属する党のため、三番目に属する派閥のため、国民は4番目だ」と当店の客人に話たら「マスターはまだ甘い。四つ目は献金をする大企業のため、五つ目は権益に関わる省庁、国民は六番目だよ。」と言われて恐れ入りました!。m(__)m
 
写真は先日出かけた夏の京都です。悠久な歴史と文化を前にすると、さらに小さな人間たちの大義なき争いに感じられます。( ゚ω゚;)
   2010,7,21 きよく正しく美しく
 梅雨空のなかの参議院選挙では与野党お互いが相手の悪口を言い合って足の引っ張り合いをしていました。相手を悪く言うことで悪人に仕立てて、自分だけは国民のための善なる政治家であるという訴えですが、人間としての無節操で政治家としての品格のなさにむなしさだけを感じる選挙でした。
 当然街選車や街頭演説は意味のない迷惑な騒音にしか聞こえません。

 政治家や官僚が密かに自分たちだけは優雅に暮らせる制度をつくってきた事実は国民を裏切っていることですが、彼らに他人の悪口を言う資格があるのでしょうか?。

 その上こうした政治家の応援街頭演説に拍手する聴衆も疑問です。民主主義は民意がストレートに届きますが、民意が必ずしも正しいとは言えません。うっかりすると民主主義の欠陥「衆愚の選択」を犯します。
 従って候補者の軽薄な演説は衆愚に迎合した、人の良い爺さん婆さん向けの大衆演劇型演説を敢えてしていると言えるかもしれません。

 お隣の中国は一党独裁の強みで着々と長期戦略の布石を打ち経済発展していますが、日本はこのような権力争いに明け暮れて頻繁に政権が変わります。これは国民のための政治より自分の権力のための争いを税金を使って延々としている国であり、その無駄と無策を衆愚の選択で容認している恥ずかしい国と言えます。
 政治の貧困は国民の貧困で先人が血の代償で得た民主主義は、主権者である国民が民主主義の責任を負っているのです。現在の日本の現状は新卒者の就職難、若者のホームレスの増加、自殺者の増加等の戦後最悪のなかで、主権者には「いい加減に地域エゴ、業界エゴで自己愛投票している場合か!。」
 また全政治家には「いつまでも権力金力争いをしている場合か!」と言いたい。

 伊藤忠商事の丹羽相談役は社長に就任したときの理念を「清く正しく美しく」が企業の基本姿勢だと言われたそうですが、清く正しくは理解しやすいですが美しくとはどのようなものでしょうか。

 美しいサッカーとは、サッカーを集約した勝利に導くシンプルで機能性の高い力強いバランスに美しさを感じます。

 利益を追求する企業も透明性や情報開示、また社会的責任や企業ポリシーなど美しくシンプルな体制が経営に必要だという意味に取れます。

 日本という国家は国家を集約した機能性に優れた力強さや、弱者に優しい社会体勢、私腹を肥やす偽善者を先生と呼ぶことを恥じるバランスのよい美しい日本と言えるでしょうか?。すべての国民が平等で洗練された社会秩序が整う美しい国家でしょうか?
 
 マイHPに識者の言葉「Artはヒトを人間にする」を冠しています。その他美談や美しい行為は他人を和ませます。
 また個人の美意識は、その対極にある醜さ偽善、恥、悪、我欲を戒めたり嫌悪する意識を育てます。
 美しい日本を求める前に一人一人が美を尊び醜を嫌悪する美意識が必要ではないでしようか。
 また「清く正しく美しく」の陳腐に思う言葉が、人の繋がる社会ではいつの世も原点にあったことが嬉しい。

 
 選挙結果はねじれて混迷を深め国民はさらに疲弊しそうですが、雨の休日に絵を描きました。選挙ポスターの貼られた絵ですが、下校の子供を追加して情感を試みましたがなんとなく元気がなく寂しい絵ですね。100年前の風雪に耐えた古民家と幼い学童、ポスター 消火栓。風刺が効いているかな〜。

 左から右に角度の違う線が無数にありますが、遠近感を決める大切な線で角度に注意です。
 前作と同じ大正村の古民家、紙はシリウスF6 ペン描きに墨使用。
 
 2010,2,12 国民の品格
 政治家は国民の代表ですが代表の意味をよく考えると、国民が豊かで公正平等に暮らせる社会秩序をつくる代表と言えます。
 そのために選ばれている、また選んでいるという原則を国民と政治家
は忘れてはいけないと思います。
 
 今回の小沢さん問題を原則に沿って考えてみると三点のことに留意すべきです。
、第一には、政治家には国の舵取りを任せるために特別な権限を与えられいる。第二には与えられた特別な権限を利用した金に関わる不祥事が過去に絶え間なく続いた事実。第三は権力に媚びる集団に担がれた権力者の傲慢さの三っつです。

 一とニについて言い換えると、政界とは国民から委ねられた特別な権限を利用して、個人的な利益をもくろむ恥ずべき偽善者が後を絶たない世界と言えます。

 第三を換言すると、この偽善者たちが偽善のもくろみを遂げるために権力にべったり寄り添い、持ち上げて担いでいる邪悪な集団の存在です。担がれる方も満足気に「上から目線」になり、不遜な天皇発言などにみられるように、国家の中枢が集団ダイナミズムという強権的エネルギーにより、反論させないできない「ブレーキの効かない」集団になっていく不安、不信を国民が持っています。

 「コラ!キサマ!」と国民が国からののしられた上に、多くの血を流した悲惨な戦争はまだ60数年前に終わったばかりですが、この時期の日本は集団ダイナミズムの大きな暴走の流れに国民の主権が押しつぶされた教訓がありました。

 先日の世論調査では72%の国民が、ことの真偽より偽善者に担がれる権力集団に不信をもった数字だったのでは推察します。

 従って国の中枢に関わる特別な権限をもつ政治家は「疑惑をもたれない」ことを第一の責任として掲げるべきで、疑惑を招いた場合には国家の中枢にいる者としての潔さをポリシーとすべきです。
 国民も選挙ではこうした個々の政治家の資質や、詭弁に隠された本質に留意して投票すべきですが、現実は業界や地域エゴで担いできた過去の衆愚の選択の反省が必要ではないでしょうか。私には権力に媚びる偽善者と同類に写ります。
2010,1,21 権力者と権力を担ぐ集団とどちらが悪質か?。
 民主党の支持率がとうとう不支持率を割りました。数ヶ月前の劇的なチェンジに多くの国民は希望を抱きましたが、予定通りと言うには余りにも悲しく情けない結果です。

 この原因の大半は権力の傲慢にあるのではと思います。「権力をもつ強い人間ほど(家庭では父親、会社は社長、社会のなかでは政治家と官僚、政党内ではボスなど)謙虚になるべきだ」という格言がありますが、政界だけはそんな人物はいないことが断言できますね!。

 栄枯盛衰の諺は傲慢さの末路を現していますが、世界中のOO帝国や権力者の興亡は、実に人間全体の愚かさの歴史です。
 歴史は傲慢に物言わかった(なかには擦り寄る)自己愛的集団の愚かさを現していると言わざるを得ません。

 いまの民主党は庶民から眺めると異常な姿に写りますが、天皇家への発言や検察批判する傲慢な権力者に、国民の代表がものを言わないばかりか媚びる面々の姿がテレビに映しだされることに異常を感じるのです。

 黙っているだけなら可愛いが、暴走しがちな権力者を国民の前で屁理屈で擁護する人たちは、「国民の代表」を偽装する偽善者であり、自己保身だけがポリシーの自己愛者たちなのです。

 権力願望を持つ人が現れるのは、権力に擦り寄る偽善者たちの集まり「政界」だからであって、一番悪意性の高いのは権力者を担ぐ権力の中枢で離合集散する、権力の風見鳥集団の存在ではないだろうか?。
 ある意味では権力者はこうした集団より純粋です。
 
 そしてその偽善者を地域エゴをもつ自己愛的庶民が選んでいる。
09.8.31 歴史的衆議院選挙の結果
 昨日の第45回衆議院選挙は風が吹いたというより地殻変動が起きたような歴史的結果になった。民主308[+193]自民公明[-191]で与党は地滑り的大敗で自民党は16年ぶりに下野して新政権が誕生する。
この結果を検証すると、長年の政権与党である自民党は派閥政治「力の政治」を行うことで、次第に謙虚さや初心を忘れ国民心理に無知になり民意を理解しょうとしない傲慢さが大敗の要因になったと思われる。
 権力志向を持つ派閥とは、有権者を裏切り自分たちだけが美味い汁を吸うだけの派閥「強者」のことで、苦労している国民「弱者」と強者弱者の格差がつきます。

政治家の資質としてまた人間として、弱者「国民」を思いやる心を持たない政党は、とんでもない論外の権力集団でしかないことになります。
 
 
民と乖離した傲慢を感じる近年の事例。

1、社保庁を初めととする数々の不祥事を起こした上に未解決なのに今回の選挙のキャッチフレーズを自民党だけが守れる「責任力」とした感覚。

2、政権を投げ出すような政治家を派閥の思惑だけで2度も選んだ感覚。つまり派閥は自分の保身や権力に動くだけで目線は国民に向いていない。

3、その点や日本の今日の現状「格差や保険制度の破綻」を招いたことを与党として詫びることもせずに、党首二人は民主の悪口を言うことで自己を正当化しようと、拳を振り上げる壇上の姿はもっとも恥ずべき国民との乖離であつた。

4、従って彼らがテレビに映されるほど、彼らの声を聞かされるほど不快を感じて支持率が落ちるのに。最後の日まで 壇上に立ち品格を落とした感覚。

5、「反省をしてお詫びをしますからもう一度チャンスを下さい」と頭を下げることから選挙演説はスタートすべきだったが、相手の悪口を言い拳を振り上げる演説がいかに国民から乖離した傲慢さと愚行かを知るべきでことごとく国民感覚とズレている。

6、こうした反省のない傲慢な政府に、国民は裏切られて虐げられていることで、弱者である国民は鬱積した不満があった。

 31日の中日新聞朝刊で、具体的な要因を問われた麻生さんは「有権者 に聞いてみないとよくわかりません」と答えていた。
2009.8. 責任力

自民党が「責任力」を選挙のキャッチフレーズにして麻生さんが「自民党だけが責任をとれる」と訴えています。
自民党の支持率下落は国民の任せられないという不信感の現われですが、

「民主党では国政の責任が取れない」と選挙前に名指しをして、まるで自民党なら責任を取れると言わんばかりで、そうした国民の気持や空気にまったくノー天気な行動です。

 まず自民党のこれまでの不祥事、一時は83%の不支持な不徳を詫びることが責任ある行動ですが、演説を聴いているとそんな気配はまったくありません。

「国民の皆様には大変な不信感を与えたことを与党として深く反省していますので、今一度自民党にチャンスを与えてください。」と頭をさげるのが筋であり、筋を通せば信頼につながります。

 そうした民意や国民感情を無視して、民主党を悪者にこき下ろすことで自民党の信頼を回復できると考えているとするなら、いかにも有権者を馬鹿にした態度です。民主党の責任は今後与党になったときに問われることですが、選挙前に責任をを摩り替えるような姑息さは呆れるばかりで、過去に自民党を支持された方々は政治家の演技に騙されないようにしてください。

 またお互いの不祥事を攻撃しあっていますが、それでも尚不祥事が露呈した民主党に国民の風が吹いている現実に自民党は謙虚に恥るべきではないとでしょうか。

09.6.18 国民の83%が政治に不満。

 14日の中日新聞全国世論調査によると「政治に不満」を持つ人が83%もいることが分かった。また行政を担う官僚への不信感が78%に達し、政治不信に加えて官僚も信じられない日本の現状があらわになった。


 これは与野党にかかわらず、現在の日本の政治そのものに国民がうんざりしているとを表していますが、その原因を想定すると。
 今日までの日本の政治は多数派という民主的手法を、表向きには「国民のための正義」を装いながら自己中心的権力集団にすり替えてきたことに国民は怒っていると考えます。

 過去の政党政治は常に党と派閥に離合集散が繰り返されてきたが、実は自己保身の権力工作であったのです。小泉さんがそのような「自民党をぶっ壊す」と言うフレーズで国民に喝采を浴びたことも、権力におもねるだけの偽装された政党政治に国民がうんざいりしていたかがわかります。「ぶっこわすも偽装でした」

 また現在の世襲問題もしかりで「親が政治家だったらその子供は議員になれないとしたら、職業の自由を侵す憲法違反と差別」と反論した議員がいましたが、これはもっともらしく聞こえますが問題をすり替えた詭弁です。政治家は常に「自己保身」を最優先に考えて巧妙に問題をすり替えます。
 何故世襲が問題か?

@権力、金力につながる既存のしがらみ後援組織を引き継ぐことは、しがらみが足を引っ張り国民のために行動はとれない!。

 多数派組織を維持するためには資金が必要で、当選してまず第一にすることは国会議員を偽装した国会商人としての金儲け。第二に自分の地元地域のため、第三に大組織の党に阿ね、第四に属する派閥に阿ね、第五に権益をにぎる巨大組織の官僚に阿ね、第六に献金をしてくれる大企業に阿る。つまり組織にへりくだるだけが主な政治活動で国民のための行動は第七番目以降になることは容易に想定できる。
A権力金力に繋がりかねない後援会組織を手放さないこと自体が、候補者の金と権力志向を示している。

 過去にアンフェアだからと組織を袖にして、しがらみも関係もない地区に転居して立候補した二世議員は誰もいない。それを欲する事実が動機として重要なフアクターになる。
B既存の組織を持たない新人は不利であり公正な選挙とは言えない。

C組織を動員する金のかかる選挙も問題で、当選した国会議員の金にまつわる不祥事が跡を絶たないことは周知の事実。

D今日さまざまな偽装問題が噴出していますが、巨大な利権をもつ国の中枢にいる政治家の「我こそは国民のための政治を」を掲げる偽装が、最も性質の悪い社会に悪影響を与える嫌悪すべき偽装であると言わざるを得ません。その弊害は諸悪の根源として官僚や市民にも伝染して、社保庁の不祥事をはじめとした戦後もっとも大きな国民の不幸と不信感を与えて83%の数字になった。

E最近の選挙はピラミット型の後援会による馴れ合い選挙に、地元住民がようやく目が覚めたようですが、まだまだ古い因習から抜けきらない恥ずかしい自己中地区がある。

 心の狭い自分のことだけしか考えない自己愛者が増えたら世の中どうなるか。社会的弱者を思いやれてこそ人間でしょう。

 つまり政治家の多くは権力願望をもつ自己愛者であり、その不遜な願望を隠して国民のため「他者愛者」を演じるパホーマンスの得意な芸人と言ったらいい過ぎでしょうか。

F金のかからない選挙はできないことはない。議員がテレビにでて議論する番組が人気がありますが、議論を通して問題が分かりやすいから人気があるわけで、地区ごとの候補者がテレビでマニフェストを発表してお互いが質疑応答して論戦をはっていただきます。

短時間に効率よく論戦をはるため、また放送等は専門家の知恵が必要ですが、一方通行的で迷惑なだけの街頭演説や街選車よりよほどまし。議論は誰がどれほど勉強しているか、感情的か冷静か、人間性はどうかなどが論戦を通じて判断できます。

 その上政界の掃除ができ風通しもよくなるでしょう。

 Gアパートの若い住民でも純粋に情熱と才能をもてる人がテレビ討論や国政に参加できる、そんな活力のある日本を熱望します。

自己愛と他者愛  人を人間にするArtの入り口
09.1.15.離党した渡辺議員の本心
 
今年は100ねんに一度の厳しい冬ですが、派遣労働者たちには各方面から暖かい手が差し伸べられています。空きがある社宅や公団を宿に提供されたり、ワークシェアリングの動きが出てきたり、支援する組織が現れたりして日本人の社会に対する対応能力や人情に少し安堵してきました。


 考えてみるとあの敗戦から奇跡の復興を遂げた日本人は、もともと適応能力に優れた民族ではなかったか。そしてこの状況を試練とか好機として捉えれば、不況の脱出も意外に早いかもしれない。
 ノーベル賞を貰うような人は特別な人ですが、本質を捉えた適応力やバランス感覚は我々一般人でも学習して手が届くような気がします。

 この能力をもっとも期待したいのは政治家ですが、昨日渡辺議員が「麻生政権より日本のための政治」を掲げて離党しました。

 ある日私が「政治家はまず第一には自分のため、次が属する党のため、三番目に属する派閥のため、国民は4番目だ」と当店の客人に話たら「マスターはまだ甘い。四つ目は献金をする大企業のため、五つ目は権益に関わる省庁、国民は六番目だよ。」と言われて恐れ入りました!。m(__)m;

 さて渡辺議員の本音は何番目でしょうか。世論調査では6割が行動を支持していますが、こうした事象の本質を捉える能力は国民にとりとても重要です。

 それは彼の今後の行動で示されるでしようが、政界は狸が多くてう〜む!腹のなかの本音は難しい!。
08.10.6  体たらくな国民


今の自民党は世間から「体たらくな自民党」と言われています。なぜこのような党に堕落したか?。それはそのような自民党を選んできた体たらくな国民に責任があります。

 戦後自民党は派閥の数の論理でものごとを決めてきましたが、派閥「多数派」の力を得ることは派閥に属する人間を傲慢にします。それでなくても地元では殿さまお姫さま扱いで、尊大な先生方が謙虚に公正さを尊び国民のための政策を最優先するとは考えられません。

 派閥のパワーの最優先は自分の利益であり、次が派閥の思惑、三つ目は党の利益で、国民はその後になります。

 現在食品偽装で大騒ぎですが、私は最大の偽装は政治家のエゴを隠した「国民のため」を装う偽装だと考えています。国の権力中枢に君臨する組織が、組織ぐるみの偽装を長年にわたり続けてきたことは、マスコミで報じられる昨今の数々の不祥事など因果応報の結果であり、モラルハザード社会の諸悪の根源だと言わざるを得ません。

 しかしこの結果について文句は言はいえません。なぜなら選んだ国民も自己や地元の利益、後援会などのしがらみ「エゴ」で選んで、自分さえ良ければの、他人や国全体を無視してきたからです。
 つまり派閥政治とは悪事を企んで徒党を組む自己愛者ばかりの集団と変わらないことを、今日の「体たらく」は教えています。

 先日5人の総裁候補の街頭演説がありましたが、この点を自覚自戒する候補者は誰もいない上に、派閥で首相が内定していながら時間と経費を無視したパホーマンス「国民への偽装」を声高らかに演じ、早々と本日一人の大臣が失言辞職しました。 \(◎o◎)/ !

 それにしても任命権者はどのような物差しで大臣を選ぶのでしょうか。ボスの森さんの後押しがあったとのことですが、任命権者の責任を通り越して自民党そのものの辞職を求めたいくらいです。
 民主党の体質や小沢さんの壊し屋を懸念する人がいますが、社会や自民党はすでに壊れています。
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 また小泉さんが引退して潔いところを褒めようとしたら次男に潔く跡目を譲りました。\(◎o◎)/ !よほど美味しい世界なんですね。いまや自民党は4割りが世襲議員だそうで、この現実は国民は六つ目であることと体たらくであったことを証明できるのではないでしょうか。

他者愛とは 世襲政治家一覧
07,9,15 安部総理退陣
 9月12日の安部さんの退陣は日本だけでなく世界のメデアも驚き、その唐突さに辛らつな批判と危惧を表しました。身内の与党からも子供っぽい、無責任、前代未聞の恥、等々の批判があり、安部さんにとっては総裁に選出された時だけが祝福された時で、それ以後の「美しい日本」の組閣から辞任までは民意からのズレを感じさせる行動ばかりでした。

 それにつれて思うことは首相を支える取り巻き、ブレーンは何をしていたのかと疑問に思います。ブレーンもまた安部さんと同じ民意を汲めない殿様、裸の王様、雲の上に存在のような人たちばかりだったのでしょうか?。

 一国の首相は「人が良い、育ちが良い」だけでは勤まらない。物事を判断する(感覚)を辞書でひくと(2)美醜・善悪など物事について感じとる心の働き。感受性。」とあります。

 (2)を言い換えればグットセンス、ボンサンス、感覚の良い人のことであり人それぞれの美意識です。自分の行動と社会を常に美醜善悪「道徳観」で判断する感覚ですが、その感覚を片方の車輪として、パワー「物怖じしない逞しい精神」を両輪にできる人物が理想でしょうか。しかし離合集散と風見鳥の多い権力志向の強い人の集まる政界は最も道徳心の薄い世界かも知れません。

07.7.10 世襲議員
以前にこの欄の「独りごと」で強い権力願望をもち中枢にうまく取り入ってのし上がる「風見鶏」の本心を取り上げましたが、そのときに願望を持たない二世議員のほうがおっとりしていて国政への純真さがあるかもしれないとコメントしました。

 しかし安部総理や「主たる事務所」問題の赤城大臣の甘い対応、体質を眺めていると、国民の大多数を占める庶民とはかけ離れた雲の上のような存在で、とても庶民感情を汲み取れるとは思えません。とりわけ長年の政権与党の自民党には、風見鶏や偏った「かけ離れた」議員が多数参集しているようで失望を禁じ得ません。


07.6.30 続社会保険庁
腐った膿はまだまだ出てきます。歴史に残る底なしの国家的不祥事です。
 ミスによる未照合年金が山積して、ミスに紛れて、またミスを装い自分の懐に入れても発覚しないくらいひどい状況だったのでしょう。

 その上この穴埋めをするために作為的に「未払い期間」は作られたと推測すれば、まさに”国家の振り込め詐欺”事件で開いた口は塞がりません。実際の数字を明らかにできない政府には「美しい国」のカケラもない衝撃的な国家不信を催します。

 政権与党はこの問題を相当前から知っていながら、余りの根の深さに歴代内閣は先送りしてきた。つまり年金受給者は高齢者ばかりだから一人でも死ねば儲けもの。その未照合な分が一つづつ消えていくわけだから誰もが死ぬのを待っていて被害を膨張させた。

 今回さすがに政権与党は責任を感じたのか給与やボーナスの一部返納を決めましたが、これについて与党内からも「首相はこんなに軽いものではない」と批判が相次ぎました。しかし未払い年金問題は安部さんの返納する気持より軽い問題でしょか?。
 何か問題が起きると税金で補填すれば良いという今までの「親方日の丸」より一歩前進です。返納したくない人が屁理屈を言って払わないパホーマンスに写ります。

 歴代長官の退職金や議員や職員を含める返納は、口先だけのパホーマンスとはと違い実行する重みがあります。責任の所在があいまいな本事件でこうした目に見えるケジメをつけることが必要です。
 これで終了としないことを自覚するなら、「返納」は何分の一かの責任の取りかたの一つとして評価できるのではないでしようか。「足りない部分だけ税金で補填させて頂く」という公僕の謙虚さがあれば不祥事は起きないでしょう。
 しかし強硬採決するような自民党を勝たせたのは国民であり因果応報の姿ですかね。
07.6.10 社会保険庁
 いや〜腐った膿が次々と出てきますね。政治家は権力の風見鶏であることは定説ですが、官僚もまた自分たちの「厚遇」の風見鶏ばかりのようです。そしてその厚遇細工の上手な人が出世する。つまり職員が生涯に渡り厚遇された美味しい汁を呑めるような環境作りを組織を挙げて容認している世界なのです。権力の中枢にいる人はそれが簡単に叶うから鶏の数が増えるんです。

 「出世」の例として「予算」を多く取れる人がその一つですが、多く取るためには仕事は遅くして滞ったほうが良いから暗黙に怠慢を奨励することになる。このだらけた長い間の習慣は当然職務の士気や気概は低く記載ミスが多発しても不思議ではない。

 その結果膨大な数にのぼる記載ミスの照合に無理が出て、組織的かつ意識的に偽装行為があったと推定します。基礎年金番号制度も苦肉の策であったかも知れない。また2〜3ヶ月の短い未払い期間などは国民は諦めるだろうと足元を見た偽造記載であったかも知れない。

 風見鶏は利己主義者であり他人のことなどは眼中にないのが本心です。従ってモラルや正義感に疎くなるのは否めません。例えば今回も「国民が支えあう社会の基本」を崩壊させながら、罪の重さを自覚できてないことが良い例です。口先だけならどんなことでも言えますが大切なのは行動です。
 釈明会見は辟易して、それで済む問題ではありません。組織的怠慢は犯罪であるという意識と、ケジメや罰の形を行動で国民に示すことができない点が問題です。

 「かも知れない」無責任な推測をしましたが、国民の不信感はこれくらい大きく信頼できないことを知っていただくため敢えて申し上げました。
07,3,29 美しい選挙
 昨夜のU22サッカーシリア戦は日本のチ−ムがうまく機能して良い勝ち方をしました。 敵将に「日本は美しいテニスをした」と言わしめるような戦いでした。スポーツは芸術だといわれる所以ですが、人間の行動も常に美意識を持つことは、醜い行動をとらないために大切なことです。

 地方選挙がたけなわですが相変わらず日本の選挙は組織固めと街宣車の騒音が無遠慮に家庭、商店に飛び込んできます。そしてこの騒音はやがて金切り声にヒートアツプしますが、外国メデイアも驚く騒がしい方法を善しと思っている人はいるのでしょうか。
 当店の客人はうとうとと春眠中であったり、また赤ちゃんは怖がるため眠らせて来店されます。客人の洗髪中に電話があり、濡れたままの客人を待たせて慌てて出ると「OO候補をよろしく」。、、、 (ーー;)
 「今手がお空きでしょうか?」とこちらの都合を訊ねる礼儀もない。「最後の最後のお願いです」と言わて「頑張って」と答えるのは相当な忍耐が必要です。 (>o<;)
 
 私は以前から候補者たちのテレビでの討論が良いと訴えています。地域ごとに2時間も電波を借りれば相当な政策についての公開質疑ができます。誰がどのような政策をどれくらい勉強しているかが、討論を通じて理解しやすいでしょう。その上諸悪の根源だと言われているピラミット「組織を維持する金」も不要です。

 もう少しスマートで美しい選挙があるはずなのに、改善できないことをうがった見方をすれば「旨味がなくなる」?でしょうか。

水彩画追加UP

------ネットの記事------------------
全く同感です。名前の連呼など、迷惑なだけで意味がありません。まだ昼夜のリズムが出来ていない赤ちゃんや、その世話をしているお母さん。夜勤や徹夜明けで昼間寝ている人。静かに穏やかに暮らしたいと思っている人。これらの人の権利(静音権)を犯す権利など誰にもありません。

どんなに防ごうと思っても、音は暴力的に家の中まで入ってきます。名前を連呼することで、自分に投票する人が増えるなどと思っているのなら、ずいぶん市民をバカにした候補者です。私自身は"拡声器を使って"の選挙演説にも反対ですが、「名前の連呼」は、含まれている情報量もゼロですし、何の積極的価値もありません。私は選挙の度に選挙事務所に抗議の電話をします。

匿名は嫌なので、きちんと名を名乗って論理立てて「迷惑であること」「市民の生活を守るべき立場にある人が、自分の利益(当選)のために、人に迷惑をかけることを行うことは矛盾していること」等々説明しますが、最後はたいてい「選挙妨害だ」と言って電話を切られます。こちらの地元では、もうすぐ選挙があります。今度は公開質問状を送る予定です。

嫌なことはきちんと抗議した方が良いですよ。決して「自己中心的」な考えではありません。」

07.2.22 追伸 風見鳥のグットタイミング 
 2月19日のテレビ、ニュースステーションで、安倍内閣の中川幹事長が週2回行われる閣議において閣僚の私語など内閣の緩みがあると苦言を呈せられたニュースが報道された。

 「普ちゃん」と呼び肩にに手をまわす閣僚もいて、このことに古館司会者と加藤コメンティターは「議員さんは普段は立派なことを言っておられますが、大臣になると皆さん自分のことしか考えていないようで、態度が大きくなり失言などがおきるが、何故こんなことになるんでしょうか?」「組閣は論功行賞であると言われていて、今一内閣の方向が見えない」と呆れていましたが、その回答(風見鳥が多い)を教えてあげた〜い。!
 当サイト管理人の独りごともたまには当たります。 \(^o^)/
 一度この鳥を水彩画で描きたく思いますが、風見鳥は本心や真実を隠すため上手に偽装、迷彩してカムフラージュされていて見分けがつかないのが難点。普通の顔をしているからやっかいだ。いかし行動は概ね調子が良い人で他人の陰口が多く馴れ馴れしく近づいてくる人当たりの良い人は要注意です。
 
 マルチ商法など、儲かる話に飛びついて全国で何十億円の被害など、たびたび報じられる巨額な詐欺事件がなぜ後を絶たないのか。
 被害者の方々は過去の新聞を読まれてないのかと思うくらい簡単に騙されていて、しかも経験豊かな高齢者が?、人の良いのもほどほどにと感じます。彼らは騙すために当然親切そうな善人の仮面をかぶり近寄ってきますが、表とは全く違う裏の顔がある詐欺師の心理「親切」を想定すべきです。
07,2,15  風見鳥
 先日安倍内閣の支持率は39・1%、不支持が40・9%と逆転ししました。事務所費問題など相次ぐ閣僚らの不祥事が続きましたが、これも含めて安倍内閣の発足当時から想定できた結果です。

 安倍氏を支持する集団によって安倍総裁が誕生し、組閣はその論功行賞であると当時は言われていました。つまり政策や人物で選んだのではなく、自分におべんちゃらを言い、権力に媚て擦り寄ってくる権力志向者を大臣にしたんだから当然です。
権力志向者の目線は国民には向いていないと考えるべきです。口では「国民のための政治」と言っていますが、行動を眺めていると権力者自身の基盤を強固にしているだけだと言わざるを得ません。

 これは自分を特別に優れた人物であると思い込む「歪んだ自己愛者」の行動で、政界にはこの類の人が多くおられるようです。自己愛者は優れた自分は尊敬される議員や偉い大臣になるべき人物であるという特別な権力志向をもち、その椅子を得るためには恥や道徳観などは意に介しません。そのつど上手い理屈をつけて「離合集散」を繰り返して一般的に「風見鳥」と呼ばれる人々です。

 風見鳥は権力の風の吹く方向をいつも細心の注意で観測してすり寄り、徒党を組んで存在感のある多数派を形成しますから、国民のための政治は期待できません。

 また一度権力の座に座れば権力者として自身の力を計るため権力をやたら使いたがります。歪んだ自己愛者「幼児的発想」ですから当然自分は権力を行使できるとして、また自分の権力を試したい欲望に駆られて行動しますが、当然言動は尊大横柄になり失言などの不祥事は時間の問題になるのです。
 このような「歪んだ自己愛者」は政界に限らず、会社、病院、組合、フェアーでマナーを重視するスポーツクラブなど組織と名のつくところにはどこにもいるようです。
07,1,30 芸術がヒトを人間にする。
 1月25日の中日新聞夕刊、文化欄に画家で学者の千住博氏の「芸術がヒトを人間にする。」コメントが載っていました。「事件のたびに論じられる人間性欠落は、文化的芸術的発想の欠如にある。美を求めたり創造する行為は芸術だけでなく科学、政治、スポーツ、社会道徳など人間としての文化的生活に直結するものである」という内容です。
 当サイトを似たような趣旨で運営している私にとって全く同感です。
 花を美しいと感じる人は絵画に描き写真に撮り壁に掲げようとする。その行為は単に色彩の鮮やかさを見るためだけでなく、花のもつ生命力や桜のような散り際に感動したりして、その感動を他人と愛でたり、お互いが美しさを尊び共有したり、それらの想像力のコミニュケーションが進んで文化が育まれる。
 これが他人を意識した文化的でより良い社会にする芸術創作行為と言えるでしょう。芸術的イマジネーションを膨らませてコミニュケーションを計ることにより社会と科学は発達してきた。
 美はあらゆる人間の行動に調和と節度をもたらす。節度を乱すものを嫌悪すべき醜として、スポーツ選手の理にかなった無駄のない美しいフォームであり、企業の社会的責任を自覚できるバランス感覚であり、社会人としての節度をもった人間を育てる。

 これは単に絵を描く人だけが文化を創れるという意味ではありません。昔からもっていた侍の信義、礼儀や、詫び寂びの境地など日本人の美意識を意味します。外国人が感心していた万博で整然と並んで待つ日本人にも、私は調和を重んじる日本人の美意識だとHPに掲載していますが、これらは俳句、華道、茶道など日本の文化に親しむ多くの人が持っているのです。

 私は考える。会社の社長や知事市長などはオーケストラの指揮者の感覚が必要だ。政治家に美しい日本を脳裏に描ける文人の感性があれば、真に豊かな文化を共有できる「美しい国」になるだろう。
 最近一つの真理を発見しました。出世された立派な人たちに何故不祥事が多いかの答えです。トップに登りつめた人は強い権力志向をもち、権力に離合集散する風見鳥として流れを読み、権力に媚び「友人を裏切り」ライバルを踏み台にしてのし上がってきた人だから、調和だの信義、道徳、美学などはあるはずがない。

また教師の揚げ足をとっていろいろな要求をする親が増えているが、権利だけを主張し義務を果たさない風潮だけでなく、自分の子供を人質にして要求するような嫌悪を感じます。子どもに対する教師の立場は社会的に弱く、警察も教育委員会もあてにできず教師が単独で対応して休職者が増えている問題などは、組織としてしっかりした道徳観、真善美の芸術的発想で対応すべきではないだろうか。
 
 当サイトで美意識をもち取り組んできたページを「私の美学」としてUPしました。
07,1,21 危機管理意識 前回の震災エッセイ「首都 東京」
1月17日は阪神、淡路大震災の12周年になります。毎年この時期はマスコミが特集を組みますが、現地のWebリンク仲間からも当時のなまなましい情報が送られてきます。一般には知られていませんが、阪神高速道路高架の崩壊は本震のあとの余震で倒れたのだそうです。

 3〜4年前に東京都の巨大地震の被害予想が報道されましたが、死者数は確か18.000人の予想数で疑問に感じて「神戸中地震」の題名でエッセイを書きました。

 内容は「大地が割れて人や牛馬が飲み込まれるような大地震ではなかった。亡くなられた方はいずれも人間が造った構築物での圧死であり、その点で東京は世界一の構築物の密集地です。また当サイト「小さな人間の勧め」にあるように、自然の中の小さな人間を意識する者として、耐震基準や防災への取り組みなど机上の論理に傲慢さと疑問を感じています。

人間驕るべからずですが時として自然からそのことを痛切に思い知らされます。しかしいつも「想像を絶する天災だった」の一言で片付けてきたのが小さな人間の姿です。


 「必ずくる大地震」は専門家の一致する意見ですが、特に東京は日本の首都で政治経済の中枢ですから、被害は桁違いになり桁違いの特別な対応が必要です。被害予想も想像を絶する数字を想定内で発表すべきです、。日本の中枢が壊滅的になる前に、復興資金の何百分の一で済む首都機能分散を、責任の所在をはっきりさせられる専任大臣を新設するくらいにして取り組むべきだと思うのですが一向に行動に移せない。

 頼りとする政治家の大半は目線が国民に向いていないことは周知の事実「不祥事が絶えない」ですから、問題が起きれば相変わらず「想像を超えた、、」のせいにと考えているのでしょうか。
 
関東大震災 - Wikipedia   関東大地震写真
06.12.9 出世志向と権力志向
人間が出世願望をもつことは当然のことですが、特別強い出世志向はそれだけ単純偏狭になると言わざるを得ません。考え方が先鋭化して狭い視点だけでものを見て広い観点が持てないことになる。

 従ってこのような人は@心にもないおべんちゃらを言い、そこから嘘つきになり、さらに裏切りも平気になり、その分道徳観や信義はどうでもよくなるA自分を特別な人間だと誇大妄想して、過信、驕りに陥る自己愛者。B強い出世志向は権力志向と同じで権力者への憧れがあり、出世のためなら土下座も辞さないし、自分が媚びへつらったように周囲のものにも自分に媚びへつらわせようと、また自分は崇められるべき存在だと強権的になる。C少しでも上に立てばその地位を利用して配下を作り徒党を組んでボス的存在を群れで誇示し、そのための裏工作など異常な努力で策を弄する。Dこうして権力を手に入れれば、目の前には熟した果実が幾つもぶら下がり、その目的に手を伸ばさない訳はない。

 年の瀬の今日談合などで地方のトップが次々と逮捕されていますが、ダンゴ三兄弟ならともかく、全国17都市のトップが因果応報の罪を白日の下にさらしました。これらを考えますと出世する大半の人の目線は市民、国民から離れ、私利私欲にのみ活動する自己愛者ばかりだと言ったら失礼でしょうか。またこのような人に限って「私くらい県民の皆さんのことを考えている人はいません」「天の声とは何ですか」という厚かましいパホーマンスを演じますが、名役者?の狸ばかりです。

 逆説的に言えば「真に市民や国民、生徒、友人を大切に考えている公僕は出世できない」この真実を私の格言集に登録したい気持になる最近の世相す。

◎ 徒党を組む⇒あることをなすために仲間が団結する。「―・んで謀反を起こす」
◎ 群がる   ⇒同じ意味。

 この二つの言葉に何故か悪い印象をぬぐえませんが、仲間が多数派を意識すると集団ダイナイズムから権力志向が強くなり傲慢、馴れ合い、見て見ぬふりなど道徳観が麻痺した集団になるからだと考えます。当然苦言を呈する人もいなくなるから、まさに不穏な輩の群れとして因果応報の罪を犯すことになる。
 逆に「孤高」という言葉には悲しい響きがありますね。今日の道徳崩壊社会を招いたのも孤高だったからで群がるなかに孤高な人はいません。

◎ 孤高 ⇒俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま。「―を持(じ)する」

06.11.20 いじめの責任は親か教師か国か
 いじめは昔からありましたが生きることに厳しく、復興する将来の希望と庶民的連帯があり今日のような深刻な問題に発展しなかった。貧しさは登るべき道をはっきり示すが、豊かさと自由のなかでは人は迷へる子羊となる。現代は豊かさの負の遺産「数字を追うあまりのモラルの欠如」が進行中。

@幼児に何万円もする殺人ゲームを買い与えて夢中にさせ、小学生には携帯を持ち頭は情報過多で仮想か現実か、生か死かの区別に疎くなり、人間関係や社会性が未熟でうまく対応できない。
Aテレビで食べ物を粗末にしたり後輩をいじめて笑わせて喜んだりして品格と節度のないマスコミを黙認している社会。

B子どもたちは「跳ね返す強い相手」にいじめはしない。打たれ弱い子に優越感をもち自分の影響力を試す心理があることも知るべきです。わが子を打たれ強くすると同時に、一つしかない命の大切さ、ペットを飼うなどして家族で可愛がりその死を悲しむ情緒を育てる。「核家族化」で祖父母の愛情と死別を体験できない点などを考えると、家庭での情操教育がいかに大切か、それを自覚する親が少ない。
C子どもを守るのは親だという信念がない。その上教師に責任転化する無責任さ。親が子を守らずして誰が守るのか。人任せ、学校任せ、携帯をもたせて給食代を払わない親は五万といるなど、何かが起これば他人のせいにする無責任社会で、社会のコアになる家庭の形が崩れ、家庭崩壊⇒道徳崩壊につながっていく。子は親の背を見て育つもの。自殺する子の真理も他人のせいにしているとしたら悲しいことだ。

 またわが子がいじめられないかを心配するだけで、いじめる側を心配を親がいないことも問題だ。幼少のころから「人さまに迷惑をかけないこと」と「悪いことをしたら地獄に落ちる」「弱いものいじめをすることの卑怯さ」を身をもって教え、それを背中で示すくらいの父親が少ない。
 
C学校の「履修問題」にもみられるように受験志向だけの教育だったことが露呈した。企業、マスコミ、家庭も同じように数字だけを追う価値観を長年持ち続けてきた結果が、モラルハザード「道徳崩壊」と言われる今日の現状である。

D優秀な教師は生徒に目が向いているが、管理職志向「権力志向」が強い教師は校長や教育委員会に取り入り要領よく出世する。現実はこのような自己中心的な「自己愛管理職」に支配されている教育界、また日本ではないだろうか。だから「お詫び会見」などの不祥事が絶えない。
D弱者を思いやれる真の豊かな社会「道徳観や信義を重んじる社会」はどうしたらやってくるだろうか。
当サイトは「小さななモラルを大切にする」がテーマですが、それにしても政府は造反組を数合わせだけで復党させようとしていますが、国民への信義はそれで立つのでしょうか?。
 国のトップが言葉では立派なことを言いながら「美しき日本、教育」行動は国民を裏切る打算だけで、モラルハザードの元凶になっている。
06.3.6 議員さんたちの目線

議員を長年続けると感覚が庶民感情から離れていく理屈は今までは理解できましたが、今回の経験の少ない若い議員さんたちの無神経さは考えさせられた。議員の資格を得ると国民を上から見くだす目線になるのだろうか。

 重鎮といわれる議員がテレビで「東大出だから大丈夫と思っていた」と言い訳していたがアホか言いたい。「良識」を横文字でグットセンスとかボンサンスと言うように、第六感的な「良い感覚」「調和、バランス」であり、議員経験数や有名大卒の頭とは違うものだという認識がない。東大以外の中学、高校、大学卒の人たちは良識が劣るという考えで呆れた。

 また派手なパポーマンスは人格の稚拙さや論理の欠如を大げさな表現で補う行動であり、自らの不足を露呈していて恥ずかしいことも分かってない。

 テニスで腰を低くして打つとネットの高さがよくわかりネットミスが少ないショットが打てるように、舞台の上から見おろすような目線の角度だと国民の正しい感情は計れない。小さな人間とか社会の一員という庶民と同じ低い目線が、真の国民の思いや願いを判別できるというグットセンスを持ってほしい。
 追伸 品位を保つべき国会でヤジや罵声を飛ばし語気を荒げたりする役者型パホーマンスを得意がったり、お互いが先生と呼び合う感覚の議員を選んだ地元の有権者の、恥を感じる良識がもっとも大切なグットセンスである。 

05.12.19 耐震偽装の証人喚問
 14日に行われた耐震偽装の証人喚問で、民主党の馬淵澄夫議員の質問は良かったですね。証拠となるような資料をよく集められたと思うと同時に、のらりくらりと答える内河所長を舌鋒鋭く追及する様は元検事?か遠山の金さんのような迫力と感動がありました。

 上に新設した「政治家WEBリンク集」から馬淵さんのHPを訪れると6人の子供さんがいらっしゃいます。昨今のルールやモラルを守れない憂うべき世相はどこの親でも腹立たしいはずで、馬淵さんの怒りの鉄拳だったのではと独りで納得しました。そして鉄筋一本や二本ぐらいはのごまかし「小さなこと」が、知らず知らずのうちにエスカレートして止められなくなり、歴史に残るような大罪に広がった見本のような事件です。

 ゆえに私たちは「人間とは」「社会とは」などのしっかりした「信条」が必要だと思います。それを言葉で明文化したのが定義だと言われています。
 
目覚めれば 窓白々と 雪の朝        雪おろす 事故に老爺の 虚空かな
05.9.17 小泉劇場の劇的勝利


 驚きました。ひょっとしたら単独で過半数はと思いましたが、戦後政治の歴史に残るような劇的な変化を遂げました。今回の選挙を劇場型と揶揄する人がいますが、個々の議員さんたちの選挙方法も土下座や涙、ハガキの署名、握手、自転車、集会等のパホーマンスでまさに劇場型です。そうしたしがらみで成り立つ浪花節的手法は厳しい日本の現状では改革すべき悪しき慣例です。

 各議員さんは地元では一国一城の「殿様」ですから地方の殿様では大局的な真の日本のための行動は取れません。

 選挙結果についてある殿様のコメント「国民が覚醒しないと日本は大変なことになる。破滅する、、、。」つまり国民の厳正な審判だと感じていない訳でまさに殿様、裸の王様です。その殿様が真に小泉劇場を深刻に考えるのなら政治家として命を賭けて選挙に臨むべきで、そのために大同団結したりして危惧する強権的自民党に対峙できる行動をとるべきです。またその結果についてもまず非力を国民に恥じて政治家として謝罪すべきではないでしょうか。
 
 今後の小泉さんの強権政治を心配する意見もありますが、このような殿様たちが主導してきた過去の政治に国民はいかにうんざりしていて変化を望んできたかの表れです。危惧しながらも変化を望まなければならなかった過去の政界を謙虚に反省されるべきでしょう。
 
05.9.7 偽善の証明---「洗脳の手口」は「教祖の理想郷」へ
新興宗教が信者を洗脳する手口は「左手で不安を煽り右手でそれを鎮める。」二本の腕を巧みに操りマインドコントロールします。「われわれが正義で相手は悪だ。われわれが勝たなければ日本は大変なことになる。年金が破綻、強権政治で戦争に突き進み、国債などで国は破産し国民は地獄に落ちる。」街宣車の演説はまさに先鋭化した教祖的説法です。「パホーマンスを演じる役者」

 回りくどい理屈を言わずに誰でも理解できて一番簡単ですぐに実行できる身近な無駄があります。「議員の定数削減1/2」「議員年金廃止」です。全国民から喝采を浴びるこのテーマをなぜ数多くある政党や議員がとりあげないのか?国会議員が多すぎるから分派のような派閥ができて足を引っ張りゴタゴタする。また受け取る年金額が掛け金の割合から格段に有利な制度を自分たちで作っていて、棚に上げて争点をはぐらかし国民の不安を煽るようなことをして、その上に自己を正当化している。

 こうまでして当選したい「議員」にはよほどいいことがあるのでしょう。世襲が無くならないことでいかに美味い世界かが想像できますが、自らの身辺を正してから消費税など国民に負担を求めるべきではないでしょうか。 
  
05.9.3 「こじつけ劇場」の選挙戦
  「政治改革なくして構造改革はありえない」という政治スローガンが昔ありました。それを風化させてきた先生方が選挙では別人のように「われこそは国を愛し国民を守る騎士なり、自由の女神なり」と鉢巻して手をあげ絶叫して涙まで流し、お互いが言葉をエスカレートさせ相手をこき下ろしていますが、私には恥ずかしい姿に思えてなりません。

 なぜならお互いが相手を非難していることは二者択一でどちらかが詭弁「道理に合わないことを強引にこじつけて正当化しようとする弁論、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。」を弄していることになり、にもかかわらずようもまあ落涙までしてもっともらしく演じられるものだと感心します。

 派閥は既得権益をもぎ取ったり守るための集団で、その集団の存在価値を高めるため、また力を認めさせるためもっともらしい理屈をこね難癖をつけて正当化し落としどころで決着を計りますが、今回は「落しどころ」を誤ったようですね。

 また一人一人の議員もそれぞれ地元、業界、後援会などがバックにあり、その思惑をいかに隠して正当化できるか。そのような思惑で理屈を言い出したらきりがないわけで、先のスローガンではないが世襲も含めたバックにうごめく集団のしがらみをなくし、日本全体の視点で「落下傘部隊」⇒「実行できる体制」を構築できるかどうかの選挙。国民の関心の高さはこの点にあるのではないでしょうか。
05.8.27 100円ショップと郵便局
 二年ほど前に近くの千種郵便局で小包を送りました。客を二列に並ばせて二人の中年の小包係りが対応していました。私の前に並ぶ客が外国小包のため係員が手間取り隣の列はどんどん進みます。私の後ろに並んでいた人も並び変えて終えて帰られました。私は「銀行のATMのように一列に並ばせるべきだ」と文句を言って帰りました。

 後日100円ショップへ行った時にレジーのアルバイト風な女性が一人で対応し私は二番目に並んでいました。その列が混んでくると近くの陳列台で仕分けしていた従業員に「ooさんレジーをお願いします」と声をかけその女性が走って奥のレジーに立ったらアルバイト風の女性は二番目で待っている私を見て「二番目のお客様からそちへ」と誘導してくれました。

 高校生のようなあどけない女性でしたが細かい部分までマニュアルがしっかりなされている会社に感心し郵便局の対応と比較した次第です。
     
05.8.20 続解散
この一週間にいろいろなドラマがありました。辞職した人、移動した人、新党を立ち上げた人、なかでも刺客登場は刺激的でした。

 ホリエモンさんも話題になりましたが以前の球団経営の時とは違う新鮮さを感じます。言い換えれば政界の古い体質にいかに辟易しているかということです。

 殆んどの議員さんは票につながる後援会や支持団体、地元エゴ、業界エゴなどの既得権益で動いていますが、それを隠して「国民のため」と拳を振り上げて正義の主役を演じている役者に多くの国民はしらけているから新鮮に思えるのでしょう。

 それは最も無駄な国会議員を減らして国民の負担を減らそうと手を上げる議員は誰もいないことでうなずかれます。

 少なくとも堀江さんはそうした過去の「負」は背負っていません。その上彼には無駄を省ける合理的現代感覚が備わっているようですから「構造改革」は適任者かも知れない。また自分の将来や政治に無関心だった若い世代に夢を与えられるかも知れない。
 私も社会が良くなる夢を追って「たわ言」を綴ってます。
  
05.8.13 小泉解散
 郵政民営化とそれに続く解散について世論調査はふたつに割れているようです。にも拘らず造反した反対派の議員たち「特に派閥の親分」は国民が100%反対しているかのような感情的、誇大な言葉で相手の暴挙をなじり自己の正当性を美辞麗句を使って通そうとしてますがみっともない姿に見えます。

 国民から選ばれた立場の公人は経済界が概ね理解を示していることも含めて客観的冷静に世論が二分していること、何故反対なのかだけを説明すべきで、相手を悪者にして自分を正当化しょうとする態度は、国民に詭弁を弄することで偽善者の姿ではないでしょうか。派閥でさえ二つに割れるような問題を親分は新興宗教の教祖のように「我こそが正義で他は皆悪者」の論理を展開してはばからない。

 派手なスタンドプレーをするほど自分の論理の稚拙さを露呈しているわけで、言い換えれば美辞麗句で自分を飾ったり補わなければならないその程度の人物と言えるのではないか。「今何故解散?」の問いも長年続く派閥、癒着、院政、数の論理、金まみれ、天下り、膨大な赤字国債、汚職などの叫ばれながらできなかった改革が、数に媚びない「強硬」な小泉さんによりようやくできるかも知れないチャンス、千載一隅の時機到来だと言い返せます。八方美人や飾り物の首相では前進はできません。

 選挙の争点は民営化の賛成か反対かですが、換言すれば長年の政権政党で淀んでいる自民党を大掃除することに賛成か反対かなのです。それができずして借金大国を解消できるような改革は望めません。

 民社党も派閥の弊害を引きずる反対勢力と同じで、数のみを追う「漁夫の利」をもくろんでいるとしたら浮かばれないでしょう。
 その他の野党は全く存在価値がない。これも改革すべきです。
04,10,26 政府の対応が遅い新潟中越地震
  連日震災のTVニュースが報じられて見ていて心が痛みます。阪神大震災より被害は少ないもののSOSの文字を発信せざるを得ない極限状態が何日も続く現状に政府、自衛隊は何をやっとるかと言いたくなります。
 台風と地震国である日本の広範囲な災害マニアルを実行できるのはトップの国であって枝葉の未経験な自冶体では敏速に対応できない、このような時こそ国は税金や国の組織としての機能を困っている人々に敏速に的確に使うべきなのに、3〜4割の責任しか果たしてないように感じる。

 自衛隊は仮想敵国などという有るか無いかわからないものに待機をしていれば良いというものではない。国民を守るために創設され日々訓練しているはずの自衛隊が何故老人や乳児などの悲痛な訴えに四日間も大規模な作戦に手を出し惜しんでいるのか納得できない。
2004.1、23 学歴詐称   


 以前にも名古屋で似たような事件がありました。あらためて思うことは人間の心の弱さ愚かさと、また肩書きや外見にこだわらなければ当選できないと、私たち有権者はその程度だと見られていることです。なぜ中退がいけないのでしょうか。中身に自信がないから肩書きで補おうとしているのでしょうか?。また政界はそんな人々の集まりの場でしょうか。



 政治家を志す人は嘘のない自分の経歴が国民との信頼関係を築く第一歩だという認識を持つべきではないでしょうか。その上利権に触れる機会の多い職務上、一般の人々より高いモラルの自覚が求められます。その意味で仮に「うっかり」だったにしろ軽率のそしりは免れるものではないと思う。くだらない外見より中身にこだわるべきで同じテニスの愛好者、スポーツマンでまだ若く、いざぎよい行動をとられて再起されんことを願う。ただこれが作為でなされたとすれば再起は?です。このような人に子どもたちの将来を任せることはできない。

 この欄で個人に意見を言うことは初めてで、同じ愚かな人間として「同じ境遇に立たされたら私は彼のような行動は採らなかった、と断言できる自信はない」他人への攻撃は私の信条に反してじくじたる思いがありましたが、あえて一般社会のモラルで判断してはいけない国会議員の名誉のために独り言を申し上げました。

 ちなみに私は中卒です。「家業(理容店、手に職)を継ぐのに高校は不要」と、親の実に簡単明瞭な一言でしたが、なんとか人生の大半を趣味を楽しみながらまっとうな生活ができたことは、その一言はまんざら的外れでもなく親に感謝すべきです。そして省みれば人生とは不思議で味わい深い世界ですね。「演歌の歌詞やTVドラマそのものです。」こんな一言があります。「万(よろず)の事 あまりよくせんとすれば 返ってあしくなる」

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