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 粋とは何だろうか?
もちろん歴史や先人の重み!
腰にぶら下げた瓢箪
和服と背中の団扇
めりはりのある動き
芸を極めれば美であり
他人と共有できることを子孫に受け継ぐ。
 
     
男は男の女性は女性のを表現する踊り。
「粋」とはなんだ?野暮の反対と言えば分かるかな?
粋な計らい 粋な柄 粋な和服 粋な身のこなし 粋な別れ=粋な郡上踊り 、優雅で
品の良い形と動き、(動きは遠慮しているより、思い切りよく、大げさで良い)。ただしリズムから外れないように。このあたりの感覚や美意識、粋や風流への感慨は人情・趣味に通じ、色気がありあか抜けがしているいわゆる「通人」である。
このようないにしえの平和文化を共有してネットで後世に伝えられることは、管理人冥利に尽きる。粋な踊りの絵を描き,粋なHPをつくり粋な人生を送りたい!

昔から伝わるお祭りや盆踊りは豊作祈願で興されたと考えかちだが、実は風流を尊ぶ通の人による「粋な計らい」であったことは驚くべき発見であった。
32夜にわたる踊りの歌詞を眺めると男女の恋の逢瀬を楽しみ、男女間の思いが面白おかしく表現されていて、豊作や無病祈願の歌詞では無く、人生を楽しむ通人の遊び心の産物であり、当時の日本人の豊かな感性を感じる。

日本人の美意識
男は男らしく浴衣のすそを上げ勢いよく、女は女らしく小首を傾げてつつましく踊ったのでしようネ。
フランス万博で浮世絵が当時の印象派の画家に多大な影響を与えたことはよく知られていたが、私は浮世絵からそれらを感じられなかった。
しかし「盆踊り」での新たな感慨から改めていにしえの浮世絵を眺めてみると、続々と琴線に響く生活感のある作品がでてきてその真髄の影響をを受けた。

踊りからの新たな感慨とは「粋や風流」にあることが理解できたが、郡上文化が市井の人々により現代に営々として受け継がれている現実が、今の時代には尊くて美しく粋に感じられて、管理人は郡上踊りにいまごろ目覚めたのです。2015.8.


徹夜踊り期間の宿の予約がとれない時のマル秘対処の仕方はこちら



 

歌詞は上から、「かわさき、春駒、三百、やっちく、げんげんばらばら、猫の子、
さわぎ、郡上甚句、古調かわさき、まつかさ」
の全10曲

難しく感じる踊りもありますが、共通する動きと組み合わせの違いを理解すると覚えやすい。手の動きが一番多い
=上にかざす、前後に振る、手を叩く、肘を曲げる、水平に開く、足と同調、方向を変える、 左右に振る、拳を左右に開いて閉じる

=曲げる、伸ばす、捩じる、向きを変える、 顔、頭部=見上げる、傾げる、前に下げる、=前に蹴る、膝を折る、後ろに下がる、前に出る、飛ぶ、膝を折りつま先を打つ、
斜めに歩く

 
 
  
 
  1かわさき

 
1番目に謡われる郡上踊りの代表的な曲 

 郡上の八幡出て行く時は雨も降らぬに袖しぼる
天のお月様ツン丸コテ丸て丸て角のてそいよかろ
郡上の殿様自慢のものは金の弩標に七家老
心中したげな惣門橋で小駄良才兵衛と酒樽と
金が出る出る畑佐の山で銀と鉛と赤がねと
向小駄良の牛の子見やれ親が黒けりゃ子も黒い
愛宕三月桜でくもるくもる桜に人が酔う 忘れまい
ぞえ愛宕の桜縁を結んだ花じゃもの 祭り見るなら
祖師野の宮よ人を見るなら九頭の宮
音頭とる娘の可愛いい声で月も踊りも冴えてくる
お国自慢にゃ肩身が広い郡上おどりに鮎の魚
雪の降る夜は来ないでおくれ隠しきれない
下駄の跡 咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば
花が散る 秋葉三尺お城のふもと今日も鳴る鳴る時の
鐘 安久田こんにゃく名皿部ごぼう五町だいこに
小野なすび 嫁をおくれよ戒仏薬師小駄良三里に
無い嫁を 見たか聞いたか阿弥陀ヶ滝の滝の高さ
とあの音を 今夜逢いましょ宮が瀬橋で月の出るころ
上るころ 泣いて別れていつ逢いましょか愛しい
あなたは旅のかた 花の愛宕に秋葉のもみじ月が
のぞくか吉田川 歌も続くが踊りもつづく月の明るい
夜もつづく 踊らまいかよ祖師野の宮で四本柱を中にして
愛宕山から吉田の流れながめ見あかぬ宮瀬橋
鐘がなるのか撞木がなるか鐘と撞木と合うてなる 郡
上はよいとこ住みよいところ水もよければ人もよい
めでためでたの青山様は菊の御紋に葉も茂る
郡上の八幡葉菊の御紋四万余石の城下町
わかれわかれて歩いておれどいつか重なる影法師
散ると心に合点はしても花の色香につい迷う 娘島田に
蝶々がとまるとまるはずじゃよ花じゃもの
わしが出しても合わまいけれど合わぬ所は
ごめなさリょ 山に抱かれて流れに沿うて踊る絵の町歌の町
わしの心と向かいの山はほかに気はない松ばかり
桜三月あやめは五月菊は九月の末に咲く
梅が咲いたと都の便り郡上は雪じゃと返す文
恋しやさしや雪駄の音は主はどなたか知らねども
遠く離れて会いたい時は月が鏡になればよい う
たいなされよ向いのお方歌でご器量は下がりゃせぬ
歌でご器量がもしいち下がリゃ時の相場で上げてやる
もはや川崎ゃやめてもよかろ天の川原は西東

郡上のナ八幡 出て行く時は(ア ソンレンセ)
雨も降らぬに 袖しぼる(袖しぼるノー 袖し)
ア ソンレンセ
(雨も降らぬに 袖し)
(以下唄ばやし、返し言葉略)

天のナお月様 ツン丸コテ丸て
丸て角のて そいよかろ
郡上のナ殿様 自慢のものは金のどひょうに 七家老

心中ナしたげな 宗門橋でこだら「才平」と 酒樽と
金がナ出る出る 畑佐の山で
銀と鉛と 赤がねと
向かいナ小駄良の 牛の子見やれ親が黒けりゃ 子も黒い

日照りナしたとて 乙姫様の滝の白糸 切れはせぬ
郡上のナ馬どこ あのするすみの
名馬出したも 気良の里
泣いてナ別れて 松原行けば松の露やら涙やら

忘れナまいぞえ 愛宕の桜縁を結んだ 花じゃもの駒はナ売られて 
いななき交わす土用七日の 毛附け市

雪のナ降る夜は 来ないでおくれかくしきれない 下駄の跡

咲いたナ桜に なぜ駒つなぐ駒が勇めば 花が散る

郡上のナ八幡 出て行く時は三度みかやす 桝形を
天のナお月様 かかあ盗まれて雲の間から かかァかかァと
私しゃナ郡上の 山奥育ち主と馬曳く 糸も引く

嫁をナおくれよ 戒仏薬師
小駄良三里に 無い嫁を
重いナだしては くれるか様もわしも忘れる ひまがない

お国ナ自慢にゃ 肩身が広い

郡上踊りに 鮎の魚泣いてナ別れて いつ逢いましょか愛しい
あなたは 旅のかた

もはやな川崎ゃ やめてもよかろ天の川原は 西東

上は水彩画 右は粋な浮世絵  
  2春駒

 
威勢がよくて人気あり。踊りが佳境に入ると櫓と踊り手が掛け声が入りテンポが速まる。 

 (七両三分の春駒、春駒)
郡上は馬どこあの磨墨の名馬出したも気良の里
私ゃ郡上の山奥育ち主と馬曳く糸も引く
金の弩標は馬術の誉れ江戸じゃ赤鞘郡上藩
駒は売られていななき交わす土用七日の毛付市
なんと若い衆よたのみがござる今宵一夜は夜明けまで
馬は三歳馬方はたち着けたつづらの品のよさ
小駄良才兵衛と朝顔の花今日もさけさけ明日もさけ
日照りしたとて乙姫様の滝の白糸切れはせぬ
村じゃ一番お庄屋様の小町娘の器量のよさ
踊り子が来た大門さきへ朱子の帯して浴衣着て
二十五日は天神祭りござれ小瀬子の茶屋で待つ
東殿山からのぞいた月を映す鏡は吉田川
様は三夜の三日月様よ宵にチラリと見たばかり
親のない子に髪結てやれば親がよろこぶ極楽で
様が様なら私じゃとてもかわる私じゃないわいな
親の意見なすびの花は千に一つの無駄がない
川の瀬でさえ七瀬も八瀬も思いきる瀬もきらぬ瀬も
はやす太鼓が瀬音に響きゃ鮎も浮かれて踊りだす
揃た揃たよ踊り子が揃た二番すぐりの麻の様に
村じゃ一番お庄屋様の小町娘の器量のよさ
郡上の八幡よい木がござる鏡見たよな水もある
踊り助平が今来たわいなわしも仲間にしておくれ
おさば押せ押せ下関までもおさば港が近くなる
踊り踊つて嫁の口なけリや一生後家でもかまやせぬ
音頭取リめが橋から落ちて橋の下でも音頭とる
踊り上手でしんしょ持ちようて赤いたすきの切れるまで
遠く離れて咲く花待てば散リはせぬかと気はもみじ
思うことさえ言われぬ口で嘘がつかれるはずがない
島田娘と白地の浴衣ちよっとしたまに色がつく
からむ朝顔ふり切りかねて身をばまかせた垣の竹
肩をたたくは孝行息子すねをかじるはどら息子
声はすれども姿は見えぬ様は草場のきリぎりす
様が草場のきりぎリすなら私しゃ野山のほととぎす
いやな雪じゃとはね返しても義理が積れば折れる竹
花は咲いてもわしゃ山吹きのほんに実になる人はない
愛宕山から春風吹けば花の郡上はちらちらと
今日は日がよて朝からようて思う殿まに二度出会うた
人は一代名は末代とおよしゃお城の人柱
音頭取りめが取りくたびれてさいた刀を杖につく
   

七両三分の春駒 春駒)(ホイ)郡上は馬どこ(ホイ)あのするすみの名馬(ホイ)出したも ササ 気良の里(七両三分の春駒 春駒)

(以下掛け声、返し言葉略)
私ゃ郡上の 山奥育ち

主と馬曳く ササ 糸も引く
金の弩標は 馬術のほまれ江戸じゃ赤ざや ササ 郡上藩

駒は売られて いななき交わす土用七日の ササ 毛附け市
なんと若い衆よ たのみがござる今宵一夜は ササ 夜明けまで

日照りしたとて 乙姫様の滝の白糸 ササ 切れはせぬ
村じゃ一番 お庄屋様の

小町娘の ササ 器量のよさ

踊り子が来た 大門さきへしゅすの帯して ササ 浴衣着て
二十五日は 天神祭りござれ小瀬子の ササ 茶屋で待つ

東殿山から のぞいた月を映す鏡が ササ 吉田川
様が三夜の 三日月様を宵にチラリと ササ 見たばかり

親のない子に 髪結てやれば親がよろこぶ ササ 極楽で

様が様なら 私じゃとてもかわる私じゃ ササ ないわいな
親の意見と なすびの花はせんにひとつの ササ無駄はない

郡上の殿様 自慢のものは金のどひょう弩標に サ 七家老

揃た揃たよ 踊り子が揃た二番すぐりの ササ 麻の様に音頭取めが 取くたぶれてさいた刀を ササ 杖につく

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上は水彩画 右は粋な浮世絵
 
  3三百
 
(ハヨーイヨイコリャ)
今年始めて三百踊りおかしからずよ他所の衆が
誰もどなたも揃えてござれ小豆かすよにゴショゴショと
おらが若い時ゃチョチョラメてチョメて薬鑵(やかん)かけるとてびくかけた
越前ぼっかの荷ならそこへおろすな鯖くさい
買おておくれよ朝鮮ベッコウのかんざしを村でささぬはわしゃ一人
どじょうすいて来たにおかかなすびのほぞ取りゃれ
どっこいしょと堀越を越えて行けば宮代一夜とる
宇山通るとて開笹(かいざさ)みれば森屋おりんが化粧する
郡上に過ぎたは長滝講堂飛騨に過ぎたは一の宮
切れてしまへばバラバラ扇子風のたよりもさらにない
泣いてわかれて松原行けば松の露やら涙やら
五月水ほど恋しのばれて今じゃ秋田の落とし水
泣いてわかれて清水橋こえて、五町の狭(せば)岩でけつ叩く
思い出してはくれるか様もわしも忘れるひまがない
那比の宇留良(うるら)やのう亀尾島も、住めば都じゃのや殿ま
土京鹿倉のどんびき踊り一ツとんでは目をくます
小坂歩危坂別れてくればもみじ散るやら涙やら
てっかりてっかりてっかリと金のようらく下げたよな
竹の切株ちゃ酒天童子(しゅってんどうじ)のしょんべんけ澄まず濁らず出ず
入らず 何もかも仲間なすび汁煮りゃなお仲間
わしがだいても合わまいけれど合わぬところはごめなさりょ
今の音頭さはどんまいことはねたおらもそこらと思ていた
盆が来たならするぞえかかま箱の宝の朱子の帯
暑い寒いのあいさつよりも味噌の百匁も呉れりゃよい
はげた頭を薬罐じゃと思て番茶つまんでしかられた
様となら行くわしゃどこまでもしだれ柳のうらまでも
月のあかりにちょいと騙されて様を帰して気にかかる
今年しゃ何んでもかんでも嫁入りせにゃならぬ同じすること楽にする
嫁入りしたけど幸せ悪てへそが出べそで帰された
蕾が花よとゆうたは道理開きや嵐にさそわれる
声がかれたに水くりょとゆたらくんで呉れたよ砂糖水
を 恋にこがれて鳴く蝉よリもなかぬ蛍が身をこがす 娘
したがる親させたがる箱の宝の朱子の帯 お前二十一
わたしは十九四十仲良く暮したい
姉がさすなら妹もさしゃれ同じ蛇の目唐傘を
同じ蛇の目の唐傘させばどちが姉やら妹やら
音頭取りめが取りくたびれてさいた刀を杖につく

ハア 揃えてござれ 豆かすよに

ゴショゴショと(返し)ゴショゴショと ノオゴショゴショと

    小豆かすよに ゴショゴショと

ハア よぉぉぉぉぉイヨォイコリャア今年始めて三百おどり

おかしからずよ他所のが
(以下返し言葉略)

誰もどなたも揃えてござれ小豆かすよにゴショゴ
ショと

おらが若い時ゃチョチョ
ラメてチョメて薬鑵かけ
るとてびくかけた
越前ぼっかの荷なら そ
こおろすな鯖くさい

買おておくれよ朝鮮ベッ
コウのかんざしを
村でささぬはわしゃ一人

泥鰌すいて来たにおかか
なすびのほぞ取りゃれ

どっこいしょと堀越を越えて

行けば宮代一夜寝とる
たかねなんだかまくらに問やれまくら正直ねたと云うた
思い出しては呉れるか様もわしも忘れるひまがない切れてしまへばバラバラ扇子

風のたよりもさらにない
土京鹿倉のどんびき踊
一ツとんでは目をくますてっかりてっかりてっかリと金のようらく下げたよな竹の切株ちゃ酒天童子のしょんべんけすまずにごらず 出ずいらず猫がねずみ取りゃいたちが笑ういたち笑うなわれも取る

音頭取めが取りくたぶれてさいた刀を杖につく

上は水彩画へ右は粋な浮世絵
  4やっちく

「宝暦義民伝の巻」
上の巻
 

(アラヤッチクサッサ)
わしがチョイト出てべんこそなけれど私ゃ郡上の山中家に住めば
お見かけどおりの若輩なれば、声も立たぬがよ文句やも下手よ
下手ながらもひとつは口説く口説くに先立ち頼みがござる
とにかくお寺は檀家衆がたよりやせ畑作りはこやしがたより
村の娘達ゃ若い衆がたよりそして叉若い衆は娘さんがたより
下手な音頭さんはお囃子たよりやっちくやっちくさとお囃子たのむ
調子が揃えば文句やにかかる
これは過ぎにし其の物語り聞くも哀れな義民の話し

時は宝暦五年の春よ所は濃州郡上の藩に
領地三万八千石のその名金森出雲の守は
時の幕府のお奏者役で派手な勤めに其の身を忘れ
すべて政治は家老に任せ今日も明日もと栄華に耽る
金が敵か浮世の習いお国家老の粥川仁兵衛
お江戸家老と心を合せここに悪事の企ていたす
哀れなるかな民百姓はあれもこれもと課税がふえる
わけて年貢の取りたてこそはいやが上にも厳しい詮議
下の難儀は一方ならずかかる難儀に甚助殿は
上の噂をしたとの科ですぐに捕らわれ水牢の責め苦
責めたあげくが穀見ヶ原で哀れなるかな仕置ときまる
かくして苦しむ百姓衆を見るに見かねて名主の者が
名をば連ねて願い出すれどかなうどころか詮議は荒く
火責め水責め算盤責めに悶え苦しむ七十と余人
飢え死にする者日に増すばかりもはや堪忍これ迄なりと
誰が出したかよ回状が廻る廻る回状が何よと問えば
北濃一なるアノ那留ヶ野に、心ある衆は皆集まれと
事の次第が記してござる
中の巻
時が来たかよ三千余人蓆旗やら竹槍さげて
百姓ばかりが雲霞のごとく今にお城へ寄せんず時に
待った待ったと人押し分けて中に立ったは明方村の
気良じゃ名主の総代勤め人にゃ知られた善右衛門殿で
江戸に下りて将軍様に直訴駕籠訴を致さんものと
皆に図れば大勢の衆が我もわれもと心は一つ
わけて気強い三十と余人道の難所と日数を重ね
やがて着いたのが品川表されど哀れや御用の縄は
疲れ果てたるその人々を一人残らず獄舎に繋ぐ
開くも涙よ語るも涙ここに哀れな孝女の話
名主善右衛門に一人の娘年は十七その名はおせき
父はお江戸で牢屋の責め苦助け出すのは親への孝行
そっと忍んで家出をいたし長の道中もかよわい身とて
ごまの蝿やら悪者どもにすでに命も危ういところ
通り合わした天下の力士花も実もある松山関と
江戸屋親分幸七殿が力あわせて娘を助け
江戸に連れ行き時節を待てば神の力か仏の業か
幸か不幸か牢屋が焼けるそれに紛れて善右衛門殿は
逃れのがれて隅田の土手で巡り合うのも親子の縁よ
時節到来御老中様が千代田城にと御登城と聞いて
名主善右衛門初めといたし同じ願いに五人の者は
芝で名代将監橋で恐れながらと駕籠訴いたす
かくて五人はその場を去らず不浄縄にといましめられて
長い間の牢屋の住まい待てど暮らせど吟味はあらず
も早や最後の箱訴なりと江戸に下りて将軍様に
箱訴なさんと出立間際

下の巻
話かわりて孫兵衛宅の妹お滝は利発な生れ
年は十六つぼみの花を水仕奉公と事偽わりて
二年前から間者の苦労今日も今日とて秘密を探り
家老屋敷をこっそり抜けて家へ戻って語るを聞けば
下る道中太田の渡しそこに大勢待ち伏せなして
一人残らず捕えるたくみそこで孫兵衛にっこり笑い
でかした妹この後とても秘密探りて知らせてくれよ
言うてその夜に出立いたす道の方角がらりと変えて
伊勢路まわりで桑名の渡し宮の宿から船にと乗りて
江戸に着いたは三月なかば桃の節句はのどかに晴れる
城下離れし市島村の庄屋孫兵衛一味の者は
四月三日に箱訴いたしすぐにお裁き難なく終り
悪政露見で金森様は遂にお家も断絶致す
それに連なる重役たちも重いお仕置きまた島流し
名主お庄屋その他の者は願い主とて皆打ち首と
ここに騒動も一段落し宝暦九年は青葉の頃に
郡上藩へは丹後の宮津宮津城主の青山様が
御高四万八千石でご入城とは夢見る心地
政治万端天地の変り長の苦しみ一時に消えて
いつものどかに郡上の里は目出度めでたの若松様か
枝も栄える葉もまた茂るこれぞ義民の賜ぞとて
共に忘るなその勲しを共に伝えん義民の誉れ

「凌霜隊伝」 上の巻
これは過ぎにし其の物語り聞くも哀れな凌霜隊よ
時は慶応四年の春よ日本国中二つに割れて
勤王・佐幕の嵐が襲う所は濃州郡上の藩で
領地四万八千石の青山大膳幸宣公は
年端もゆかない御歳なるがこれを助けるお国の家老
鈴木兵左衛門評議をかさね青山藩家の安泰ねがい
先ずは朝廷へ恭順いたし残る不安を使者差し立てて
お江戸家老の朝比奈様へ話きまりて国元からは
選び抜かれし十五の藩士文武すぐれて血気の盛り
お家の大事と幕府の恩義報いられるは一筋なるぞ
脱走人との汚名におじず弥生二十日の朝早きうち
中野村なる鎮守の森で心ちかいて中津の宿へ
使命おびたる馬急がせて塩尻まわりて中仙道を
江戸は本所でその名も高い船宿菊屋でわらじを解けば
義挙に加わる名を読み上げて隊長朝比奈茂吉と決まり
副長坂田の林左衛門と会津派遣使速水の小三郎
その名郡上藩凌霜隊で総勢そろえて四十と五人
祝う御神酒で心をかため
中の巻
一夜明くれば四月の十日夜更け計りて江戸川のぼり
下総まわりで会津へ向かうざんぎり頭に鉢巻しめて
陣股引にて筒袖すがた日光街道の小山の宿で
草風隊との銃弾しきり敵がばたばた倒れる中を
なおも突き来る一団めがけ凌霜・貫義の隊士がいどみ
激しくつづきし白兵戦も味方にあがりし勝どきの声
泥にまみれて砲煙くぐり宇都の宮から今市あたり
大内峠の激戦越えて九月六日に鶴が城へ入る
西出丸では防塁築き白虎隊士と励まし合いて
共に陣所の配備を固めかかる折しも西軍側に
城は囲まれ砲弾ひびき東軍の不利いや増すばかり
かくて篭城やむなき次第あとに残りし三十六士

敵の目指せる総攻撃に昼夜別なく火の手に追われ
西出丸さえ早や焼け落ちるさればと隊士は陣所を変わり
砲声とどろくそのただ中を目に物見せんと出撃いたす
されど奥羽の連盟くずれ情勢やむなき降伏となる
されば隊士も悄然として無念の感涙やる方もなく
猪苗代へと謹慎される
下の巻
捕えられたる身に雪つもり深手の隊士を六人残し
大垣藩士の護衛を受けて腰は丸腰汚れたみなり
郡山から宇都宮すぎて歩きつづけて千住にと着く
郡上藩士の冷たい仕打ち伝馬船へと早や押し込まれ
品川沖から千石船で遠州灘でも災難にあいて
命からがら鳥羽へと到る岐阜の美江寺を出てから先は
不浄縄にていましめられて囚人駕篭へと乗せられまして
腹も煮えくる非道の仕打ち難儀かさねて中野へ帰る
そこで又もや揚屋入りと科人なみのョきびしい責め苦
一同観念したことなれど身内の面会許されもせず
便り差し止め世を断つ思い赤谷あたりの揚屋ぐらし

風も通らず光も差さず病気になる者日に増すばかり
これを見かねて近郷の僧侶慈恩寺様へと集まり来たり
藩主に嘆願長敬寺様へ移り変わりてひと息いれる
明治二年の秋ともなれば戦死隊員の法要も済まし
その夜奇しくも藩庁からは自宅謹慎の御触れが回る
手に手を取りてョ喜び勇み留守居の家族も喜び明かす
さても哀れな凌霜隊士あゝ凌霜隊その魂は
郡上の里にて生きつづけたり共に伝えんその真心を
永久に伝えんその真心を
「参拝場所づくし」
一にゃきのとの大日如来二には新潟の白山様よ
三にゃ讃岐の金毘羅様よ四には信濃の善光寺様よ
五つ出雲の色神様よ六にゃ六角堂の六地蔵様よ
七つ七尾の天神様よ八つ八幡の八幡様よ
九には熊野の権現様よ十にゃ所の氏神様よ
「鈴木主水の巻」
花のお江戸のその傍らに聞くも珍らし人情ばなし
ところ四つ谷の新宿町よ紺ののれんに桔梗の紋は
音にきこえし橋本屋とてあまた女郎衆のあるその中に
お職女郎の白糸こそは年は十九で当世そだち
愛嬌よければ皆人さんが我もわれもと名指しで上る
わけてお客はどなたと聞けば春は花咲く青山あたり
生れは濃州郡上のごおり鈴木主水という侍よ
女房持ちにて二人の子供五つ三つはいたずらざかり
二人子供のあるその中で今日も明日もと女郎買いばかり
見るに見かねて女房のお安ある日わが夫主水に向かい
これさわが夫主水様よわたしゃ女房で妬くのじゃないが
子供二人はだてには持たぬ十九や二十の身じゃあるまいし
人に意見も言う年ごろにやめておくれよ女郎買いばかり
金のなる木を持ちゃさんすまいどうせ切れるの六段目には
連れて逃げるか死情(しんじゅう)するか二つに一つの思案とみえる
そして二人の子供が不憫子供二人と私の身をば
末はどうするわが夫様よ言えば主水は腹立ち顔で
何んの小癪な女房の意見己が心で止まないものを
女房だてらの意見じゃ止まぬ愚知なそちより女郎衆が可愛い
それが否なら子供を連れてそちのお里へ出て行かしゃんせ
愛想づかしの主水のことばそこで主水はこやけになりて
いでて行くのが女郎買い姿あとでお安は聞く悔しさと
いかに男はわがままじゃとて死んで見しょうと覚悟はすれど
二人の子供につい引かされて死ぬにゃ死なれず嘆いておれば
五つなる子がそばへと寄りてこれさ母さんなぜ泣かしゃんす
気色悪けりゃお薬あがれどこぞ痛けりゃさすってあげよ
坊が泣きます乳くだしゃんせ言えばお安は顔ふり上げて
どこも痛くて泣くのじゃないが幼なけれどもよく聞け坊や
あまりとと様身持ちが悪い意見いたせば小癪なやつと
たぶさつかんで打擲なさるさても無念な夫の心
自害しようと覚悟はすれど後に残りしそちらが不憫
どうせ女房の意見じゃ止まぬさればこれから新宿町の
女郎衆頼んで意見をしよと三つなる子を背中に背負い
五つなる子の手を引きまして出てゆく姿のさも哀れなる
行けば程なく新宿町よ店ののれんは橋本屋とて
見れば表に主水の草履それと見るより新造を招き
わしはこちらの白糸さんにどうぞ会いたい会わせておくれ
アイと新造は二階へ上りこれさ姉さん白糸さんよ
どこのお女中か知らない方が何かお前に用ありそうな
会うてやりゃんせ白糸さんと言えば白糸二階を下りて
わしを尋ねるお女中というはお前さんかえ何用でござる
言えばお安は初めて会うてわしは青山主水が女房
お前みかねて頼みがござる夫主水は勤めの身分
日々のお勤めをおろかにすれば末は御扶持に離れるほどに
ここの道理をよく聞き分けてどうぞわが夫主水殿に
意見なされて白糸さんよせめてこの子が十にもならば
昼夜揚げづめなさりょとままよまたは私が去られた後で
お前女房になりゃんすとてもどうぞこののち主水殿が
三度来たなら一度は上げて二度は意見をして下しゃんせ
言えば白糸ことばに詰まりわしは勤めの身の上なれば
女房持ちとは夢にも知らずホンに今まで懇ろなれば
さぞや憎かろお腹も立とうわしもこれから主水様に
意見しましょうお帰りなされ言うて白糸二階へ上がる
ついに白糸主水に向いお前女房が子供を連れて
わしに頼みに来ました程に今日はお帰りとめては済まぬ
言えば主水はにっこと笑い置いておくれよ久しいものだ
ついにその日は居つづけなさる待てど暮らせど帰りもしない
お安子供を相手にいたしもはやその夜は早や明けたれば
支配方より使いがありて主水身持ちが不埒じゃ故に
扶持も何にも召し上げられる後でお安は途方に暮れて
あとに残りし子供が不憫思案しかねて当惑いたし
扶持に離れて長らくおれば馬鹿なたわけと言われるよりも
武士の女房じゃ自害をしよと二人子供を寝かしておいて
硯とり出し墨すり流し落つる涙が硯の水よ
涙とどめて書き置きいたし白い木綿で我が身を巻いて
二人子供の寝たのを見れば可愛いかわいい子に引かされて
思い切り刃を逆手に持ちてぐっと自害の刃のもとに
二人子供は早や目を覚し三つなる子は乳とりすがり
五つなる子は背中にすがりこれさ母さんのう母さんと
幼な心でたゞ泣くばかり( 以下略)
「白井権八・小紫の巻」
国は中国その名も高き武家の家老に一人のせがれ
白井権八直則こそは犬の喧嘩が遺恨となりて
同じ家中の本庄氏を討ってたちのき東をさして
下る道中桑名の渡しわずかばかりの船賃ゆえに
あまたの船頭さんに取りかこまれてすでに危きその折からを
これを見かねて一人の旅人白井助けて我が家に帰える
これぞ名におう東海道のその名熊鷹山賊なるぞ
その家うちには美人がござる名をば亀菊つぼみの花よ
見れば見るほどおとなしやかでその夜権八がョ寝間にとしのび
これさ若様侍様よ知って泊りか知らずにいてか
この家主人は盗賊なるぞわしも三河の富家の娘
二年前からこの家に取られ永の月日を涙で送る
故郷恋しやさぞふた親も案じしゃんすで有ろうと思う
お前見かけてたのみがござるどうぞ情けじゃ不憫じゃほどに
わしを連れ立ちこの家を逃げて故郷三河へ送りたまえと
くどきたてられ権八殿はさすがよしある侍ほどに
そのわけがらをば残らず聞いてさればこの家の主人を始め
手下盗賊皆切り殺しお前故郷へ御連れ申す
二人密かに約束かため娘亀菊立ち出で行きゃる
それと知らずか熊鷹殿は手下幾多にささやきけるは
今宵泊めたる若侍の腰にさしたる一腰こそは
黄金作りの名作物よ二百両から先なる品じゃ
それを奪わん我等がたくみ奥の座敷にねかせて居いた
最早時刻も夜半の頃よ奥の一間に切り込みければ
されば白井は心得たりとそれと白井は抜く手も見せず
主人熊鷹手下のやつら一人残らず皆切殺し
それと亀菊手を引きましてなれし三州矢作の長者
一部始終のはなしを致す長者夫婦は喜び勇み
されば此の家の婿にもせんとすすめられども権八殿は
なをも仕官の望もあらばいとまごいして立たんとすれば
今は亀菊栓かた涙是非も泣く泣く金取り出して
心ばかりの餞なりと云へば権八気の毒顔に
志ざしとて頂き納め花のお江戸へ急ぎて下る
行けば程なく川崎宿の音に聞こえし萬年屋とて
ここにしばらくお休みなさるさればこれより品川迄の
道は何里とお尋ねなさる道はわずかの二里程なれど
鈴ケ森とて難所がござる夜ごと日ごとの辻切りあれば
今宵当所にお泊りあれとすすめられども権入殿は
大小指す身がそれしき事で恐れ泊らば世間の人に
憶病未練の侍なりと長く笑われ恥辱の種よ
それはもとより望でござる勇み進んで品川迄の
されば白井の権八殿と同じ茶屋にて休んで居たる
花のお江戸に其の名も高き男伊達にて幡随院長兵衛
白井出て行く後見送りてさすが侍あっぱれ者よ
されば若衆の手並を見んと後に続いて長兵衝こそは
鈴ヶ森へと早さしかかるまだも此の先詠みたいけれど
上手で長いは此の場によいが下手で長いこた先生やに御無礼
やめろやめろの声なき内にここらあたりで切止めまする

アラ ヤッチク サッサイ

私が一寸出て べんこそなけれど

わたしゃ郡上の 山中家に住めば

おみかけどうりの 若輩なれば

声も立たぬがよ 文句やも下手よ

下手ながらも 一ッは口説く

口説くに先立ち 頼みがござる

とにかくお寺は 檀家衆がたより

やせ畑作りは こやしがたより

村の娘達ゃ 若い衆がたより

そして叉若い衆は 娘さんがたより

下手な音頭取りゃ おはやしたより

やっちくやっちくさと おはやしたのむ

調子が揃えば 文句やにかかる

これは過ぎにし其の物語り

聞くも哀れな義民の話

時は宝暦五年の春よ

所は濃州郡上の藩に

領地三万八千石の

其名金森出雲の守は

時の幕府のお奏者役で

派手な勤めに其の身を忘れ

すべて政治は家老に任せ

今日も明日もと栄華に耽る

金が敵か浮世の習い

お国家老の粥川仁兵衛

お江戸家老と心を合せ

茲に悪事の企ていたす

哀れなるかな民百姓は

あれもかれもと課税が殖える

分けて年貢の取立こそは

いやが上にも厳しい詮議

下の難儀は一方ならず

かかる難儀に甚助殿は

上の噂をしたとの科で

直ぐに捕らわれ水牢の責め苦

責めた揚句が穀見ヶ原で

哀れなるかな仕置ときまる

かくして苦しむ百姓衆を

見るに見兼ねて名主の者が

名をば連ねて願い出すれど

叶うどころか詮議は荒く
ーーーーー


  5げんげんばらばら
 
 ハーげんげんばらばら何事じゃ親も無いが子も無いが 一人貰うた
男の子鷹に取られて今日七日 七日と思えば四十九日四十九日の墓
まいり 叔母所へ一寸寄りて羽織と袴を貸しとくれ 有るもの無いとて
貸せなんだおっぱら立ちや腹立ちや 腹立ち井川へ水汲みに上で
はとんびがつつくやら 下ではからすがつつくやら助けておくれよ
長兵衛さん 助けてあげるが何くれる千でも万でも上げまする
器量がよいとてけん高ぶるな男がようて金持ちで それで女が惚れ
るなら奥州仙台陸羽の守 陸羽の守の若殿になぜに高尾がほれなんだ

 ハー立つ立つづくしで申すなら、 一月かどには松が立つ二月初午
稲荷で幟立つ、 三月節句で雛が立つ四月八日にゃ釈迦が立つ、 五月
節句でのぼり立つ六月祇園で祭り立つ、 七月郡上で踊り立つ八月、九
月のことなれば秋風ふいてほこり立つ十月出雲にゃ神が立つ 十一月のことなればこたつが立ってまらが立つ まらが立ったら褌やぶれて損が立つ、 十二月のことなれば借金とりが門に立つ あまり催促厳しゅうされてうちのカカほんとに腹が立つ。

 ハー郡上八幡開祥社十七・八の小娘が さらしの手拭い肩にかけ小ぬか袋を手にもちて 風呂屋は何処よと尋ねたら風呂屋の番頭の云う事にゃ 風呂は只今抜きました抜かれたあなたは良いけれど 抜かれた私の身が立たぬ

ハー鬢(びん)のほつれをかき上げながら涙でうるむふるい声 あたしゃお前があるがゆえほうばい衆や親方に いらぬ気がねや憂う苦労それもいとわず忍び逢い 無理に工面もしようもの横に車を押さずとも 嫌ならいやじゃと云やしゃんせ相談づくの事なれば 切れても愛想はつかしゃせぬ酒じゃあるまいその無理はほかに云わせる人がある.
ハー駕籠で行くのはお軽じゃないかわたしゃ売られて行くわいな 主の為ならいとやせぬしのび泣く音は鴨川か 花の祇園は涙雨金が仇の世の中か 縞の財布に五十両先へとぼとぼ与市兵衛 後からつけ行く定九郎提灯バッサリ闇の中 山崎街道の夜の風勘平鉄砲は二つ玉。

 ハー十四の春から通わせおいて今さらいやとは何事じゃ 東が切りょうが夜が明けょうがお寺の坊さん鐘つこうが 向かいの丁稚が庭はこが隣りのばあさん火を焚こが 枕屏風に日はさそが家から親達ゃ連れにこが そのわけ聞かねばいのきゃせぬ

ハー私しゃ紀の国みかんの性よ青いうちから見染められ 赤くなるのを待ちかねてかき落されて拾われて 小さな箱へと入れられて千石船に乗せられて遠い他国へ送られて肴屋店にて晒されて 近所あたりの子供衆に一文二文と買い取られ 爪たてられて皮むかれ甘いか酸いかと味みられ わしほど因果な物はない

 ハーおぼこ育ちのいとしさは しめた帯からたすきからほんのりこぼれる紅の色 燃える思いの恋ごころかわいがられた片えくぼ 恥しいやらうれしやらうっとりお前の眼の中で 私しゃ夢みるすねてみる げんげんばらばら何事じゃ田舎育ちの鶯が 初めてあずまへ下るとき一夜の宿をとりそこね 西を向いても宿はなし東を向いても宿はなし 梅のこずえを宿として花のつぼみを枕とし 落つる木の葉を夜具として月星ながめて法華経よむ

 ハー娘十七嫁入りざかりたんす長持ちはさみ箱これほど持たせてや
るからは かならず帰ると思うなよ申しかかさんそりゃ無理よ 西が曇れば雨となり東が曇れば風となる 千石積んだ船でさえ追い手が変れば出て戻る げんげんばらばら何事じゃ私ゃ水辺のほたる虫 生まれはどこよと問うたなら川は流れの砂の中 お宿はどこよと訪ねたら昼は木の下草の川端やなぎの露の宿夜の七つがきたなれば 黒ちりめんの羽織着て茜の鉢巻しゃんとして 小田原ちょうちん腰にさげ いとし殿さの道照らす

 ハー筑紫の国からはるばると 父をたずねて紀伊の国石童丸はただ一人
母のおうせをこうむりて神室(かむろ)の宿で名も高き 玉屋与平を宿とし九百九十の寺々を 尋ね捜せどわからないそれほど恋しい父上を墨染め衣にしてくれたぜんたい高野が分からない げんげんばらばら何事じゃ髪は文金高島田 私しゃ花嫁器量よし赤いてがらはよけれども ものが言えな差し向かいあなたと呼ぶも口のうち 皆さんのぞいちゃいやですよ
 
げんげんばらばら何事じゃ親も無いが子も無いが
(アドッコイショ)
一人貰うた男の児
鷹に取られて今日七日
(アドッコイショ)
七日と思えば四十九日
四十九日の墓まいり
叔母所へ一寸寄りて
(アドッコイショ)
羽織と袴を貸しとくれ
有るもの無いとて貸せんだ
(アドッコイショ)
おっぱら立ちや腹立ちや
腹立ちィ川へ水汲みに
(アドッコイショ)
上ではとんびがつつくやら下ではからすがつつくやら助けておく
れよ長兵さん
(アドッコイショ)
助けてあげるが何くれる
千でも万でも上げまする
(イヤマカ サッサイ ヤットコセ)
(以下返し言葉略)
私しゃ紀の国みかんの性よ青い内から見染められ
赤くなるのを待ち兼ねて
かき落とされて拾われて

小さな箱へと入れられて
千石船に乗せられて
肴や店にて晒されて
近所あたりの子供衆に
一文二文と買い取られ
爪たてられて皮むかれ
あまいかすいかと味見られ
私ほど因果な物はない

駕籠で行くのはお軽じゃないか
妾しゃあ売られて行くわいな
主の為ならいとやせぬ
しのび泣く音は加茂川か
花のぎおんは涙雨
金が仇の世の中か
縞の財布に五十両
先へとぼとぼ与市兵衛
後からつけ行く定九郎

提灯バッサリやみの中

山崎街道の夜の風
勘平鉄砲は二つ玉
びんのほつれをかき上げ乍ら
涙でうるむふるい声
妾しゃお前があるが故
ほうばい衆や親方に
いらぬ気兼ねやゆう苦労
それもいとわず忍び逢い
無理に工面もしようもの
横に車を押さずとも
嫌ならいやじゃと云やしゃんせ
相談づくの事なれば
切れても愛想はつかしゃせぬ
酒じゃあるまいその無理は
外に云わせる人がある

十四の春から通わせ居いて
今更嫌とは何事じゃ
東が切りょが夜が明けようが

お寺の坊さん鐘つこうが
向かいのでっちが庭はこが
となりのばあさん火を焚こが

枕屏風に陽はさそが
家から親達ゃ連れにこが

其のわけ聞かねばいのきゃせぬ
郡上八幡かいしょう社
十七・八の小娘が
さらしの手拭い肩にかけ

小ぬか袋を手にもちて
風呂やは何処よと尋ねたら
風呂屋の番頭の云う事にゃ
風呂は只今抜きました

抜かれた貴女は良いけれど
抜かれた私の身が立たぬ
器量がよいとてけん高ぶるな
男がようて金持ちで
それで女が惚れるなら
奥州仙台陸羽の守
陸羽の守の若殿に

なぜに高尾がほれなんだ
上は水彩画   右は粋な浮世絵   折った左手を右手でささえて
すくい上げながら飛び、そのあとは春駒のような手の動き
 6猫の子  
 
 (ヨーホーイヨイヨイ)
猫の子がよかろ猫でしやわせネズミョ捕る
猫がねずみ取りゃいたちが笑ういたち笑うな我も捕る
桑もよう咲けお蚕もよかれ若い糸引きょ頼まずに
繭はよう立つ糸目はとれる廻る見番色男
思って来たのにこの戸が開かぬ憎や板戸の掛け金が
憎や板戸の掛け金よりも掛けた婆さの気が憎や
てっかりてっかりと金のようらくさげた様な
よせばよいのに舌切り雀ちょいとなめたが身のつまり
坊主山道破れし衣行きも帰りも木にかかる
婆さ枕もと箱根の番所通りぬけたも知らなんだ
元まで入れて、中で折れたらどうなさる
今年ゃうろ年うろたえました腹のおる子の親がない
寝たか寝なんだか枕に問やれ枕しょうじき寝たと云うた
富士の裾野を仰いで見れば甲斐でみるより駿河よい
様と三日月ゃ宵にばかござるいつかござれよ有明に
んべ夜這人が屋根から落ちて猫の鳴きまねして逃げた
来るかくるかと待つ夜はこずに待たぬ夜さ来てかどに立つ
様の親切たばこの煙リ次第しだいにうすうなる
破れ褌ゃ将棋の駒よ角とおもえば金がでた
色で身を売る西瓜でさえも中にゃ苦労(黒)の種がある
一夜御座れと言いたいけれどまんだかかまの側で寝る
だれもどなたも猫の子にしょまいか猫でしやわせネズミョ捕る
ゆんべ夜這人が猫ふみころいた猫でかえしや熊猫で
なんと若い衆よじゃけらはおきゃれじゃけらしてから子ができた
だしはばかりながら音頭とリます御免なさりょ
小野の娘と馴染みになれば日焼けなすびをただ呉れる
桑の中から小唄がもれる小唄聞きたや顔見たや
おもて四角で心は丸い人は見かけによらぬもの
腰のひねりで気が行くなれば筏流しは棹ささぬ
金が持ちたい持ちたい金が持てば飲みたい着てみたい
よくも付けたよ名を紙入れとほんにあるのは付けばかり
思うて通えば千里も一里障子一重もこりゃ遠い
いやとゆうのに無理押しこんで入れて泣かせる籠の鳥
一合の酒も口でうつせぱ二合となる
門に立ったる西国巡礼住まい名のれよ婿に取る
住まい名のれば恥かしょござる臼の目取リの子でござる
好きと嫌いと一度にきたら箒立てたり倒したリ
けちで助平で間ぬけで馬鹿でお先き煙草で屁をたれる
一つことばか面白ないで品をかえてはやろまいか
 7さわぎ 

 
 ハー呑めよ騒げよ一寸先ゃ闇よ今朝も裸の下戸が来た
花が蝶々か蝶々が花か来てはちらちら迷わせる
今宵一夜は浦島太郎あけて口惜しや玉手箱
明日はお立ちかお名残りおしや雨の十日も降ればよい
無理になびけと云うのは野暮よ柳と女は風しだい
姉は破れ傘させそでさせん妹日傘で昼させる
梅の匂いを桜に持たせしだれ柳に咲かせたい
色のこ白い別嬪さんに惚れてカラスみたよな苦労する
ついておいでよこの提灯に消して暗うはさせはせぬ
水させ水させ薄くはならぬ煎じつめたる仲じゃもの
梅も嫌いよ桜も嫌だ桃とももとのあいが好き
よそで陽気な三味線きいて内で陰気な小言きく
月のあかりで山道こえて唄で郡上へ駒買いに
馬鹿な朝顔根もない竹に命までもとすがりつく
様は良い声細谷川のうぐいすの声おもしろい
惚れてくれるなわしゃ弟じゃに連れて行くにも家がない
浮気男と茶釜の水は沸くも早いがさめやすい
惚れていれどもすかれておらず磯のあわびの片想い
今夜寝にくる寝床はどこじや東枕に窓の下
東枕に窓とは言うたがどちが西やら東やら
さいた盃中見てあがれ中にゃ鶴亀五葉の松

(さわぎ字余り唄)

竹に雀はあちらの藪からこちらの藪までチュンチュンばたばた
羽なみを揃えて品よくとまる止めて止まらぬ色の道
娘島田を根っからポクッリ切って、男のへそにたたきつけ
それでも浮気の止まない時は、宗十郎の芝居じゃないが
あんどの陰からひゅうひゅらひゅうと化けて出る
竹の一本橋すべりそうでころがりそうで危ないけれど
蛇の目の唐傘お手手をつないで、様となら渡る
落ちて死んでも二人連れ
竹になりたや大阪天満の、天神様のお庭の竹に
元は尺八中は笛裏は大阪天満の天神様の
文を書く法名を書く筆の軸
摺鉢を伏せ眺める三国一の
味噌を擂るがの富士の山
ござるたんびに
ぼた餅かい餅うどんに素麺そば、限(きり)ゃないで
なすび漬食ってお茶まいれ
竹の切株になみなみたっぷリたまりし水は
澄まず濁らず出ず入らず
雨はしょぼしょぼ降る蛇の目の唐傘小田原提灯
ガラガラピッシャンドッコイ姉さん今晩は
誰かと思ったら主さんか
瀬田の唐橋 膳所(ぜぜ)の鍛冶屋と大津の鍛冶屋が朝から晩まで
呑まずに食わずにトツテンヵッテン
たたいて延ばして持て来てかぶせた唐金擬宝珠(ぎぼし)
それにうつるは膳所の城
朝顔の花によく似たこのさかずきは
今日もさけさけ明日も咲け
声が出ない時きゃ
干支じゃないけど子丑寅卯辰未の隣りのどん馬のケツを
ギュッギュらくわえてチュッチュラチュッと、スヤれ
馬のケツからコエが出る
郡上の八幡名広の奥の乙姫電気の職人さんは
水がないので命がけ
郡上おどりに来年来るやら又来ないやら
来ても逢えるやら逢えぬやら
   ハー呑めよ騒げよ一寸先ゃ闇よ今朝も裸の下戸が来た
花が蝶々か蝶々が花か来てはちらちら迷わせる
今宵一夜は浦島太郎あけて口惜しや玉手箱
明日はお立ちかお名残りおしや雨の十日も降ればよい
無理になびけと云うのは野暮よ柳と女は風しだい
姉は破れ傘させそでさせん妹日傘で昼させる。
梅の匂いを桜に持たせしだれ柳に咲かせたい
色のこ白い別嬪さんに惚れてカラスみたよな苦労する
ついておいでよこの提灯に消して暗うはさせはせぬ
水させ水させ薄くはならぬ煎じつめたる仲じゃもの
梅も嫌いよ桜も嫌だ桃とももとのあいが好き
よそで陽気な三味線きいて内で陰気な小言きく
月のあかりで山道こえて唄で郡上へ駒買いに
馬鹿な朝顔根もない竹に命までもとすがりつく
様は良い声細谷川のうぐいすの声おもしろい
惚れてくれるなわしゃ弟じゃに連れて行くにも家がない
浮気男と茶釜の水は沸くも早いがさめやすい
惚れていれどもすかれておらず磯のあわびの片想い
今夜寝にくる寝床はどこじや東枕に窓の下
東枕に窓とは言うたがどちが西やら東やら
さいた盃中見てあがれ中にゃ鶴亀五葉の松

 8郡上甚句 
 
 櫓太鼓にふと目をさまし明日はどの手でこいつぁ投げてやる
お相撲とりにはどこがようて惚れた稽古がえりの乱れ髪
相撲にゃなげられ女郎さんにゃふられどこで立つ瀬がわしが身は
西は富士が嶺東は筑波中を流るる隅田川
夜明けましたら起しておくれお前頼りでぁ居るわいな
相撲取りじゃの道楽じゃのと云うて育てた親はない
歌うて出たぞえお庭の鳥がいつに変わらぬよい声で
角力にゃ負けてもけがさえなけりゃ夜さりゃ私が負けてやる
ゆんべ横町で先にカカに出会ておまえまめなか達者なか
白い黒いで自慢なものはおらが在所の繭と炭
小田のかわずは身にあやまりがあるか両手をついて鳴く
ついて行きたい送りに出たいせめて御番の札所まで
どうせこうなりゃ二足のわらじ共にはいたりはかせたり
馬じゃ磨墨粥川うなぎひびく那留石宗祇水
おらが在所の大島村は米のなる木がおじぎする 盆じゃ
盆じゃと待つうちゃ花よ盆がすんだら何を待つ
お前松虫わしゃきりぎりす障子ひとえで鳴きあかす
しぼり浴衣にかんざし添えて毛付け土産と投げこんだ
信州信濃の新そばよりもわたしゃあなたのそばがよい
盆の十四日にゃお寺の前で切子あんどんを中にして
西の山から東の山へおまえたずねて北の山
他所へふみ出しはばかりながら音頭とりますごめなさりょ
よその若い衆かよう来てくれた裾がぬれつら豆の葉で
お前一人か連れ衆はないか連れ衆あとから駕篭で来る
天気よければ天王様の宮の太鼓の音のよさよ
小那比松茸前谷わさび気良じゃ馬の子坪佐炭
いやなお方の親切よりも好きなお方のやぼがよい
八重の山吹き派手には咲けど末は実のないことばかけ
惚れりゃ千里も一里じゃなどと虎の尾につく古狐
紺ののれんに松葉の散らし待つに来んとは気にかかる
郡上はよいとこ住みよい所水も良ければ人もよい
上をおもえば限りがないと下を見て咲く百合の花
姉とゆたれど妹をおくれ姉はひのえのうまの年
姉はひのえのうま年なれど妹かのえのさるの年
わしとおまえは十円札よ五円きれてもまだ五円(ご縁)
せかずとお待ちよ時節がくれば咲いてみせます床の梅
今年ゃこうでもまた来年は、こうもあるまいなよ殿ま

 9古調かわさき  
 
 郡上の八幡出て行く時は三度見かやす枡形を
天のお月様かか盗まれて雲のあいからかかァかかァと
若い娘と新木の舟は人が見たがるのりたがる
どんなことにもよう別れんと様も一口ゃ云うておくれ
わしの殿まはこの川上の水の流れを見て暮らす
盆にゃおいでよ初い孫つれて郡上おどりも見るように
向かい小山に日はさいたれど嫁の朝寝は起こしゃせぬ
鶯とりでも初音はよいに様と初寝はなおよかろ
踊りつかれてはや夜が明けた何の話もできなんだ
思う様なら竹どよかけて水で便リがしてみたい
声の良い衆はその身の徳じゃ諸国諸人に思われる
おらが若いときゃ五尺の袖で路の小草もなびかせた
盆の十四日にや蓮の葉となリて一夜もまれて捨てられた
咲いて口惜しや千本桜鳥もかよわぬ奥山に
昔しゃ侍いま世に落ちて小笹まざリの草を刈る
何がなんでもお前さでなけりゃ東しゃ切れても夜は明けぬ
天の星ほど夜づまはあれど月と守るは主一人
高い山には霞がかかる若い娘にゃ気がかかる
郡上はよいとこ良い茶ができる娘やりたやお茶摘みに
植えておくれよ畔(あぜ)にも田にも畔はかかまのしんがいに
今日の田植えは春三月の桜花かよちらちらと
泥で咲かした此のかきつばた活けて根じめを見て欲しい
気立て良けリゃと云うたこた云うたがされどご器量が気にかかる
人を泣かせリやまた泣かされる共に泣いたり泣かせたり
わしと青田と草刈る山に薮や茨がなけりゃよい
藪や茨がありゃこそよかれ薮の小陰ものや殿ま
歌は歌やれ話はおきゃれ話ゃ仕事の邪魔になる
天の川原は西東でも今宵一夜は夜明けまで 

 10まつさか  

皆さんとお別れの最終の曲 
  
 ヨーホイモ一ツショ合点と声が掛るなら
是から文句に掛りましょ
総てお寺は檀家からやせ畑づくりもこやしから
下手な音頭も囃子からおはやし頼む総和様
鵜舟の篝火赤々と世にも名高き長良川
その水上の越美線郡上の八幡名にしおう
三百年の昔より士農工商おしなべて
泰平祝う夏祭り音頭手拍子面白く
謳い楽しむ盆踊り郡上の八幡出る時は
雨も降らぬに袖しぼるこれぞ真にこの里の
人の心をそのままにいつしか唄となりにける
山は秀いでて水清く春は桜の花に酔い
夏は緑の涼風や秋はもみじ葉茸狩り
冬は雪との戯れと名所の多き郡とて
訪ねる人の数々にいざや探らん道しるべ
大日ケ岳仰ぎつつ阿弥陀ヶ滝をおとなへば
六十丈の虹吐いて夏よせつけぬ滝の音
滝の白糸長々と一千年の昔より
由緒はふかき長滝に今も睦月の六つの日を
喜び菊の花祭り人は浮かれてくるす野の
宮居に匂う桜花緑もえでる揚柳寺
のどかなる野の那留石の
その名は高く世に響く宗祇の流れ今もなお
汲みてこそ知れ白雲の絶えせぬ水の末かけて
積る翠の山の上に霞ヶ城の天主閣
朝日に映る金の鯱昔をしのぶ東殿の
山の端出ずる月影に匂う愛宕の墨染や
ひがん桜や山桜訪い来る人の絶間なく
杖ひくからぬ稚児の峰卯山おろしの風穴に
いでそよそよと立ちし名の浮きて流るるあさが滝
深き思いを叶橋行き交う人は深草の
小町にちなむ小野の里契りはかたき石の面に
写りまします菅公の冠ならぬ烏帽子岳
ふもとつづきの村里は寿永の名馬磨墨の
出でし所と言い伝う名も高光にゆかりある
高賀の山の星の宮矢納が渕や粥川に
うなぎ群がるそのさまを振り返りつつ蓬来の
岩間流るる長良川河鹿の声のおちこちに
ひかれて舟に棹させば浮世の塵もいつしかに
洗い捨てたる心地する水の都か花の里
郡上の八幡出る時は雨も降らぬに袖しぼる
踊りと歌で町の名も広く聞こえて栄えゆく
里の皆衆も他所の衆も音頭手拍子うちそろえ
これぞ真に総輪様永く伝わるこの里の
郡上おどりの誉れをば万代までも伝えなん
 歌の殿様
 
 (一)歌でお城を
お開きなされよ皆の衆歌の殿様常縁が
歌で天下に名をあげて歌でお城を取り戻す
平和の里にふさわしき歌の郡上の物語り
郡上の城の始まりは下総東氏が功により
山田の庄を加えられ承久年間胤行は
剣・阿千葉に館して郡上東家の開祖となる
文武すぐれしわが東家勅撰集に名をつらね
その名天下に聞こえたり戦乱続き消えかけし
足利時代の文学の道支えし力はわが東家
五山文学あればこそ殊に七代常縁は
和歌に秀でし功により公卿将軍の歌会にも
常に列して名は高し時に関東に乱起り
ときの将軍義政は常縁公に命じてぞ
東庄回復はかりける常縁郡上の兵つれて
関東に転戦十余年そのころ京は応仁の
戦乱ながく打ちつづき美濃の土岐氏は山名方
郡上の東氏は細川に昨日の友は今日の敵
争いあうぞ是非もなきついに土岐氏の家臣なる
斎藤妙椿大挙して東氏本城篠脇の
城を襲いて奪いけり常縁関東にこれを聞き
痛く嘆きて歌一首亡父追善法要に
ちなみて無常歌いしにこの歌郡上に伝わりて
]開く者胸をうたれけり妙椿これを伝え聞き
心はかよう歌の道敵とはいえど常縁の
ゆかしき心思いやり関東の空に歌だより
ついに一矢も交えずに十首の歌と引き換えに
郡上の領地返しけりかくて再び常縁の
徳にうるおう郡上領歌の真実のふれあいに
恩讐こえて睦みあい戦わずして手に入りし
歌の花咲く郡上領げにもゆかしき和歌の徳
歌の真実の尊とさよ歌で開けしわが郡上
歌でお城も守られて歌の郡上の名も高く
平和日本ともろともに栄えゆくこそうれしけれ

(二)宗祇水

歌の殿様常縁公歌でお城を取り戻し
いよいよ光る和歌の徳その名天下にとどろきて
時の帝の召しにより公卿将軍の師ともなり
九十四年の生涯はひたすら励む歌の道
宗祇法師も都から文明二年はるばると
あこがれ訪いし篠脇の城に学びし古今集
励む三年の功なりてついに奥義の秘伝うけ
師弟もろとも杖をひく郡上名所の歌の遺跡
妙見社頭にいたりては「神のみ山の花ざかり
桜の匂う峰」を詠み那比神宮に詣でては
「神も幾世か杉の杜みやいはなれぬほととぎす」
文明五年秋すぎて宗祇都にかえるとき
常縁これを見送りて別れを惜しむ小駄良川
桜樹の下に憩いては名残りは尽きず
「紅葉の流るる竜田白雲の花のみよしの忘るな」と
心をこめし餞の歌の真実は今もなお
その名もゆかし宗祇水清き泉はこんこんと
平和の泉とこしえに歌の聖のいさおしと
奏でつづけるうれしさよ讃えつづけるゆかしきよ

およし物語
およし稲荷の物語り昔の歌の文句にも
きじも鳴かずば撃たれまい父は長良の人柱
ここは郡上の八幡の霞ヶ城を造る時
お上の評定ありけるがあまた娘のあるなかに
およしといえる娘あり里の小町とうたわれて
年は二八か二九からぬ人にすぐれし器量よし
ついにえらばる人柱聞きたる親子の驚きは
何んにたとえんものもなし親子は思案にくれ果てて
泣くばかりなる有様もお上の御用と聞くからは
ことわるすべもなく涙そこでおよしはけなげにも
心をきめて殿様やお城のためや親のため
死んで柱にならんとて明日とはいわず今日ここに
進んで死出の旅仕度白のりんずの振袖に
白の献上の帯をしめ薄化粧なる髪かたち
静かに立ちし姿こそ霜におびえぬ白菊の
神々しくも見えにけるすでに覚悟の一念に
西に向いて手を合わせ南無や西方弥陀如来
後世を救わせ給えかしまた父母にお暇乞い
先立つ不幸許してとあとは言葉も泣くばかり
これが今生のお別れとうしろ髪をばひかれつつ
一足行っては振り返り二足歩いて後戻り
親子のきずな切れもせず親も泣くなく見送りて
どうぞ立派な最後をと口にはいえず胸のうち
ただ手を合わすばかりなりかくては時もうつるとて
役人衆にせかれつつおよしひと言父母と
呼ばわる声もかすかなり空には星の影もなく
ただひと声のほととぎす声を残して城山の
露と消えゆく人柱この世の哀れとどめける
これぞおよしのいさおしと伝え聞いたる人々は
神に祈りて今もなおおよし稲荷の物語り

雪のふる夜は来ないでおくれ隠しきれない下駄のあと
郡上節より冬 はやす太鼓が瀬音に響きゃ鮎も浮かれて踊りだす
郡上節より夏 今夜逢いましょ宮が瀬橋で月の出るころ上るころ
愛宕山より春風吹けば花の郡上はちらちらと
お疲れさまm(__)m;
 2015.8.24.テニス仲間と郡上踊りに

山間に息づく郡上踊りの文化

 テニス仲間にせがまれて8月24日に郡上市上桝形町の盆踊りに出かけた。
おりからの台風 15,16号が近づいていて気がもめたが、宿を当日予約にして
10時に6人を乗せて自宅をでた。ネット検索で初めての宿であったが、夕食
は鮎料理新橋亭に 予約してあったので、宿の「一泊朝食のみ」の案内が
気に入り、参加者の了解を得て車中予約した。その他、チェックイン
14時、お寺、40畳の広間も関心の持てるフレーズである。

昼頃に到着しまず平甚 の蕎麦を並んで待ち、吉田川の釣師を
眺めながら食べ、博物館で踊りの実演を見学、15時にチェックインし
旅装を解いだ。一般的には16時チェックインだが旅人には有りがた
い心遣いだ。

 宿は襖で仕切られただけの開放的な間 取りで、街中の小さく仕切られた
窓の少ない民宿とは違い風通しと見晴らしが良い。昔の合宿のような、
または田舎の親戚に遊びに来たような雰囲気で
じきに東京「男性」と瑞穂市「女性」の、連泊している免許皆伝の客人
と親しくなり、40畳は師弟8人の踊りの輪ができ、本番前にwで勉強ができた。
予想外のハプニングだが、旅は道連れ、畳の踊りの輪は良い思い出でで、
お寺の開放的な雰囲気の余禄であった。

 踊りは夜8時から10時半まで。ビデオカメラと一眼レフ、携帯、小銭を肩掛
けショルダーバックに入れる踊り支度は、先週の愛宕町盆踊りに続いて
二週連続だ。鮎料理を食べてから提灯に灯りがともる城下町を散策。
 妻の実家が近く長年鮎釣りと踊りは経験してきたが、近年歳のせいかや
たらと和風な文化に惹かれるようになった。特に郡上踊りは日本三大
盆踊りであり、さらに観光客や子どもも参加できる踊りであることに
大きな意義がある。

踊る男女の粋を競いあう踊りの魅力と、浴衣と古民家、提灯、櫓、
下駄など、山間で営まれる「踊りの輪」は「市民の輪」として地域に
連帯していることに私は美を感じて汗をかき袖絞る。

  今年の鶴舞公園の桜見では異文化の肌の色が違う外国人同士が、
一同にシートに車座になり乾杯していたことにも美を感じたが、
異文化の争いが暗い影を落とすなかで、日本独自の「他者への礼」や
踊りの輪「連帯感」と共通する日本の文化が益々好きになる。

 初参加のテニス仲間たちもこうした日本の庶民文化が気に入ってくれた
ようで、楽しさを共有できて幸いです。

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