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楽しい水彩画とHP創作にはまった経緯1 |
壁紙は農家を主役、モンサンミッシェルを脇役にしたSビューからの私のアングル | |||
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私が今日の楽しい水彩画とホームページ創作に巡りあった原点を振り返ると、中学生のときに何の褒められることもない私が美術の先生に褒められたことがきっかけかも知れません。直接的には30代後半に釣り(鮎の世界)を通じて自然との連帯感を感じたことでしたが、そのときの感慨を綴ったエッセイです。 エッセイ連帯感 一年ぶりに母なる自然に再会した。あの木もこの花もあの石もあるべき場所にあるべくしてある。いずれも自然の風に吹かれてよい表情をしていた。都会とは違う草の匂いのする爽やかなな風だ。蝉とバッタが鳴き蝶が舞っている。私の視界にあるものは全て生命と色彩に満ち、お互いが分を守り依存しあって生きている。 こうした調和の世界は生物の一員たる人間にとり好ましくないはずがない。一方的に巨大化する科学社会のなかで人間は相対的に小さくなっていく。このような現代は大人も子供たちも動物の本能を刺激する自然に接するべきだ。仕事や勉強を忘れて人里離れた山中に身を置くと、人間の小ささ、儚さがよく分かり極めて自然に手を握りあえ助けあえるだろう。 ここに有るのは生命の讃歌、尊さだけで暴力や憎悪はない。人には金銭的余裕、時間的余裕、心の余裕の三つの贅沢があるという。自然と人間とが心を通じあえた時、自分の周りに築いていた『自我』という窮屈な柵が解けて、全体に融合した永遠の安らぎを知るだろう。全体は自分である。自分を簡素に質実にすればするほど自然に近づいて大きな心を持つことができる。ちょうどジグゾーパルズの小さな一片のように。郡上の山河もアルプスやアマゾンの森も我が家の庭の内にある。この連帯感はどのような金持ちも真似することのできない心の余裕である.2000.7 万緑の なかの一なる 釣り師かな 順風 ---------------------------------------------- -
エッセイもののあわれ 雨脚が激しくなったので私は釣りを中断して岸辺の林のなかへ雨宿入った。渓谷は山が迫っていて日暮れがくまだ四時なのに辺りは谷間に消入りそうに薄暗い。 林の梢から落ちる雨粒が私の菅笠を音をたてて打つ。 雨具を着ていたが背中が破れ雨が滲みて背筋が寒い。 下半身も水の中に立ち込んでいたからずぶ濡れで、私は濡れネズミのようにみじめな姿である。茂みのなかで腰を下ろすと、むきだしの木の根が蛇のように這い、シダ垂れて不気味だ。 こうして無人の川辺で寒さに震えていると、無性に人恋しくて温かな食卓や家庭のぬくもり、人の和などが貴重に思え、逆に争いや欲望、贅沢がつまらなく感じて健康や愛、生命など人間の本質的な価値観に目覚める。 雄大な大自然のかの孤独な釣り師は、人間のはかなさ、小ささがしみじみと身に迫り何が大切かを教えてくれる。対照的客観の「もの」と、感情的主観の「あはれ」が一致して生じる調和的情趣の世界である。寂しさとみじめさで無限の豊かさがあることを知った。 私の足元には同じように雨宿りする一匹の虫がいた。この心寂しい時に出会う一匹の虫、一輪の花は命の仲間として私に強い感動を与えた。悠久な自然と私が連帯し同化した瞬間で、静かに辺りを見回すと私の周りは私の仲間 たちで一杯であった。 菅笠に 雨の滴や香魚釣り 順風 ------------------------------------ このような感慨は四季を共有する多くの日本人の自然観だろうと思いますが、自然と深く関わる水墨画、俳句Topに興味が湧いて入門しました。この二つは老人の趣味のように思われますが、ともに自我を惜しむという崇高な精神を有します。 水墨画=余白を大切にして筆を惜しむ。俳句=饒舌を慎む=余情 本来人間は自分を大きく見せたがるものですが、自分を惜しむという謙虚さに惹かれました。
菊日和 墨絵に一句 筆反らす 順風 -------------------------------------
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