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タブレットはノートパソコンの弟分で屋外でも使える。スマートフォン(スマホ)は携帯の兄貴分で、多様なアプリが使えて多機能で便利なので携帯を追い越して増加中。この二つは持ちやすいサイズでネットができるのでネット人口も増加中。 スマホは米アップルのiphoneが、携帯をはるかに凌ぐ多機能で火付け役となる。 例えば登山中に知らない花に出会ったら事典アプリで知らべたり、外国で読めない言葉があればカメラに撮って訳せる。マイクで日本語を話せば訳せるアプリもある。 弟分のタブレットは携帯は使えないが、ネット通信会社と契約して屋内外でネットを楽しむか、自分で無線LANを構築する選択ができる。アプリが使えて画面がスマホより大きいことが魅力。この二つはじきにPCの出荷台数を超えるといわれている。 |
ホームページの創作 | |||||||||||||||
@一連の創作作品発表の超機能的ツールになります。 A写真、音楽、テキスト「文章」動画、画像などを組み合わせた視覚聴覚に訴えるArt創作が可能。 BHP自体のArt創作は限りなく奥が深く、更新は日々盆栽を育てるがごとく、小さなことの積み重ねですが生涯の趣味になります。 C毎週休日に楽しんでいるテニスのサークルはネットからの加入者多数。例会日やコート場所、サークルのポリシーはHP上でお知らせして運営しています。 またクラブポリシーは強者弱者がはっきりとでるテニスクラブの人間関係において、「日本人の美意識」に沿った、謙虚、調和、平等のモラルを趣旨として、とかく上から目線で言動しやすい強者側に自省を求めています。 D当ヘアーサロンツツミもネットからの来客や店販の商品注文があり、新たな連帯の世界を楽しんでいます。また主は一期一会の茶人のこころで客人に接っするよう心がけています。 Eネットを知らなくても私の作品や「もののあわれ」の感慨は残ったでしょうが、それらをまとめたお互いが影響しあうような、新たな情感文化への挑戦は無理だったと考えます。 ここに新館UPできたことはまさにネットの恩恵(あらゆることが学べるネット検索のすごさ)と、日々HPを更新してきた小さなこのの積み重ね、そしてSNSのQponや趣味人コミュ「楽しい水彩画、HPつくっています」での交流や、先輩諸兄のご指導の結果だろうと思っています。 ネットを知らなければ少なくとも私のITと水彩画のスキルは上がらなかったことだけは確かです。 F下のグラフは当サイトのコンテンツの訪問者数ですが、ネット社会のロマンと手ごたえを感じます。 当サイトの構成は 1、専門職のヘアーサロン関係、趣味の2水彩画,3海釣り、4鮎釣り,5テニス,6写真紀行,7俳句,8陶芸,9エッセイ,10水墨画,11近隣観光、12ご近所リンクなどに分類できますが、訪問者数やアドセンスのクリック数で大別すると@専門職の情報A釣り情報B水彩画情報Cご近所情報の4点に集約でき、それぞれの数字は右肩上がりで伸びています。情報はリピーターがありアクセスは伸びますが写真集は伸びません。 Gリンク元を調べると大部分が「95%不明」とあり、検索エンジンが拾ってくれるようです。独断的アクセスアップ考近年検索エンジンの検索能力が上がり、直接子や孫ページにヒットしますが、この進化はHP管理人にとって重要なファクターになることを認識すべきです。 つまり30の子や孫ページがあるとすると、30のHPを運営しているようなもので、一ページも疎かにはできませんし、マイリンクを通して飛躍的にサイトのアクセスが上がる可能性がでてきます。 H毎年8月10日は犬山花火大会が開催されますが、この前後にかけてこのコンテンツへの直接アクセスとアドセンスのクリックが桁違いに増えます。 2009年8月9日の「犬山花火」へのアクセス3421,クリック数198は一日あたりの新記録です。小さなサイトなりにロマンを感じます。 当サイトは全体で容量240MBほどあり、ページの枚数は分からないほど増えましたが、このページ数の多さは新規にページUPしたときに、フォローできる三角形のサブコンテンツ「コアづくり」が既存のページをつかい簡単にできることが長所です。 例えば「水彩画とHPにはまった経緯」には25ほどの既存ページでフォローしていますが、HPを展開する上でサブコンテンツをコアにすることは、訪問者を獲得する検索上で大切なことだと考えます。 「プロが教える眉毛の整え方」の訪問者の推移 ブルーは2007年度、赤2008年度、黄色2009年度別数字で、1は全体の訪問者数、2.3はアドセンス関連でそれぞれの割合%です。 以上水彩画とHP更新にはまっている私の経緯はご理解頂けましたでしょうか。 |
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Q=HPを作る目的は?SNSのコミュニテイ「HP作っています」役に立ちそうな私のトピック | |||||||||||||||
私はネットのロマンを信じつつ店の宣伝と趣味、そして何かで社会に役立ちたいの3点が当初の目的でした。 店の宣伝としてはメニュや価格、特殊技術の紹介、美顔、育毛などコンテンツが多く、それなりの集客UPに役立つだけでなくHPアクセスやアフリエイト収入などサイト内てトップですが想定外でした。HPを見たと来店されたり、眉毛のカット&眉毛剃り=1000円に学生さんや主婦が定期的に訪れます。 趣味はテニス、俳句、水墨画、水彩画、海釣り、鮎釣り、陶芸、HPづくり、ビデオ、エッセイ、写真、などで、教室に通ったのは俳句、水墨画、陶器、エッセイです。7年が経た現在はHP作りもArt創作というジャンルに加わり創作ものが増えました。 何故好きかは釣りで得た自然観&人生観です。従って自然は創作のエネルギー源だけでなく師匠と言えます。 一つの自然観「悠久雄大な自然のなかの人の小ささ、儚さ、愚かさ」「人は自然の一員」を、 画像、写真、テキスト、映像、音楽などで表現できるArt創作が夢です。 また「人は自然の一員」という信条は「社会に役立ちたい」特に近年「老人、女性、子ともたちの社会的弱者を巻き込む悲しい事件」への憤りも含みます。2年ほど前に多すぎるコンテンツを「ご近所関連」「ヒトを人間にするArt&趣味関連」 「人間(じんかん)関連」の三つの関連に分けました。人間関連には「礼節」「なんとかしろ」「政界」「モラルハザード」などがありますが、「礼節」という硬いコンテンツに継続的にアクセスがあることが不思議です。 店の休日は妻や子供の相手をすることは滅多にないぐうたら亭主でしたが、その知識と信条が晩年にHPのコンテンツとして役立ち収入が得られて、当時の浪費が無駄ではなかったと自己安堵しています。 テニスについては「仲よし会」というサークルを持ち、その紹介や会のポリシー、月に4回の例会の案内などをサイトで表示しています。強い弱いがはっきりするスポーツですが、メンバーの平等さを損なわないように強者側に配慮を求めるポリシーを公開しています。 当コミュ「名古屋のテニスクラブ」の管理人で、そこで紹介しているマイHPを閲覧して入会される人が増え、現在は定員満杯17名で新規加入はお断りしています。 このようにHPを生活の一部として役立てて新たな交流を楽しんでいます。 ネットのロマンについてははネットからの新しいお店の客人やテニスの入会者たちとの新たな交流もロマンですが、ユーチューブや直近で立ち上げたマイコンテンツ「ストリートビュで絵を描く」で想像できるように、どんどん進化して大きな世界が見えてきます。 そして大きな世界の入り口に立っているのはHPをつくっている私達だと思いますが、これは「夢想家」の夢かでしょうか?。 |
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私の三つの目的で「社会の役に立ちたい」という大層な目的の補足させてください。 そのきっかけになったことは自然に接する釣りで体感した自然との連帯感です。 登山や自然と向き合うアーチィストも同じ感慨を持たれると聞いていますが、 体感はそれまでの人生観や価値観を一変させる開眼、解脱というインパクトがありました。 例えばあまご釣りの渓谷は不浄なものは何もない澄んだ大気と 清流に、多様な生命体が大集合している場所です。また生命が誕生した母なる海も同じですが、 そこに夕霧、また夕刻の闇が迫るとまさに幽玄な水墨画の世界となり、自分がその世界のなかで 消え入りそうなくらい頼りなく小さな存在であったことを体感できるのです。 そして孤独な釣り師が雨宿りする足元の一匹の虫、一輪の花と、同じ生命体としての連帯感と、 ここから「もののあわれ」の概念を理解できて生命の尊さや健康、愛、 他者愛という価値観に目覚め、争いや欲望がこの上なくつまらなく感じます。 我という自己の周りに築いてきた対立の柵から解放され、社会や自然全体に 融合して全体は自分なのだという不変な概念です。 ジグソーパズルの小さな一片「スモールピース」の感覚ですが、この感覚は雄大悠久な山河が 我が家の庭の内にあります。この感慨を知って欲しい、共有したいと俳句に詠み エッセイに綴り、絵に描いてきました。 芸術、哲学上の概念の一つ「愛」はエロス「自己愛」とアガペー「他者愛」として昔から論じられていますが、 身近で人間的で芸術家の多くが共有しているようで、常に自然や社会など他者への関心を深めて 創作されています。有名な画家のことば「愛するものを描き描いたものを愛する」。言わば他者愛的文化です。 識者の言葉「Artがヒトを人間にする」は誤解されやすいですが、私の信条とする「文化とは健全な社会の潤滑油」 という意味です。これは豊かな国家とは豊かな文化を共有し合う国民性の多い国で、貧しい国とは 貧しい文化「自己愛を超越できない争いの絶えない国」と言えます。 なので社会の役に立ちたいという思いは地域情報の発信だけでも役立ちますが、 文化面で潤滑油として癒しや他者愛を感じられるような創作がHPの目的となります。 「文化」というカテゴリーは幅がひろく、スポーツや盆栽、花火大会や祭りなど地域行事などを写真で表現す ることも文化的表現ですから、「大層」ではなく多くの方と共有できる概念「コンセプト」だと信じています。 |
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近著「藝術の国日本-画文交響」著者芳賀 徹 東京大学名誉教授 2010.4.28 |
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水彩画とホームページ、文章は一見関係はなさそうですが、日本人の深い情感はすべて交じり合一体感のなかで育まれているようです。 新館UP後に次のような興味深い新聞記事「書評」を見つけました。 抜粋 日本の芸術は「源氏絵物語」にみるように、古くから他のコンテンツと自由に交わって新しい響きを楽しむ懐の深さがあった。美術を中国に学びながら大和絵から浮世絵、文人画に独自な発展を遂げ、浮世絵は世界に大きな影響を与えたことはよく知られている。 またドイツの日本美術愛好家プリンクマンは、日本人のこころが最も現れているのは万葉集や古今集の詩歌で、この詩歌の手法や主題が絵画だけでなく工芸品や陶芸,染織などの表現とモチーフに応用されて、さらに画文交響は趣として庶民の日常生活のなかにまで広がって伝統になった。と指摘されている。 例えば和歌は貴族社会の文化でしたが、江戸時代には俳諧として庶民に広がり、蚤やシラミまでを詠いいまや世界に愛されるユニークな短詩系型の文学です。「現在世界で愛好国は50カ国」 こうした日本の芸術一般に伏流水のように流れているのが「もののあわれ」の感情や思想だと著者は書かれています。 近代ヨーロッパでは人間こそが唯一の理性を持ちすべての自然を支配する王者と考えていたが、20世紀にはいりその考えは行き詰まった。 その考えの対極にあるのが「人間の不確か」の自覚と、付随して芽生える自然への密接な共感交響の哲学で、21世紀の世界にも充分な普遍的たりうる思想です。 日本の芸術は貴族から庶民へ都から地方へ、またその逆に広く自由に循環しながら、世界に冠たる発達を遂げ、その交響なもののあわれ感覚がわれわれの血肉のどこかに宿り、それを呼びさますことがいまの時代に必要ではないか。また今後も優れた藝術の国であることを切に望む、、、。-------------------------------- 著者 芳賀徹氏は東京大学名誉教授でネットでも検索できます。 |
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当サイト Artの入口Topに冠した識者の言葉 | |||||||||||||||
画家千住博氏の言葉 「芸術がヒトを人間にする。」 現代社会のなかで事件のたびに論じられる人間性欠落、モラル崩壊は、文化的芸術的発想の欠如にある。美を求めたり創造する行為は芸術だけでなく科学、政治、スポーツ、社会道徳など人間としての秩序と文化的生活に直結するものである。 作家の佐賀純一氏の言葉 「本当の勝ち組」 キリスト教、仏教、儒教でも金銭だけを追い求める人は最低の種類に分類されて地獄に落ちると教えられている。 昔は琴棋書画を愛する人が多く存在して、詩、音楽、書画などに親しむことが一番人間らしく大切だという認識を当時の人々は持っていた。そうした世界を愛することができる人が本当の人生の勝ち組である。 哲学者末木剛博氏のコメントを冠した 日本人の美意識 |
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エッセイの勧め | |||||||||||||||
文章を書くことは生活の折々に「感情の整理」や「論理の展開」「真実の思索」を文字で明文化することです。何でもないような生活の断片でも煮たり焼いたりしているうちに、思いがけない美味しい食べ物が出来上がることがある。文章の流れの悪い小石を取り除いたり、言葉を入れ替えたりしていると流れが良くなり一本の文章の道が出来る。これは文章がある意味を持つことでこの道に沿い言葉を綴っていると作者の思考を超えた思いがけない場所に出くわしたり、意外な人間の本性、自分の素顔を発見して驚かされることがある。 ここからの文章は創作の楽しみとなって独り歩きするように成長して書くに値するものがポロリと産まれる。この時点で饒舌を慎み原稿用紙二枚以内の”小品”に収めることが大切です。気持ちが高ぶって文章が肥大化すると読み手に嫌われます。水墨画の世界に”筆を惜しむ”精神がありますが、これは「余情」としてエッセイでも大切な要素です。 また「文は人なり」と言いますが、大上段に振りかざすのではなく控えめで謙虚な表現が好まれます。例えば故意に難しい漢字を使いたがる人がいますが原稿を見ただけで読む気を無くします。 「、、だ。」「、、である。」の断定的より「、、だと思います。」「、、では無いでしょうか。」が読み手に嫌われません。その他日常に使われている読みやすい漢字を控えめに使えば、柔らかな仮名が生かされて漢字も引き立つはずです。 水墨画の余白「白」を生かすことで墨が生かされる真理と同じですね。そして実生活でも他人を踏み台にして自分を生かすのではなく、他者「他人や社会など」を活かしてこそ自分が生かされる、生きる場ができることに気づくのです。 文章で自己啓発されて人生を定義できたことは私の財産です。またHP製作上でもユーザーに関心を持たせて誘導する重要なテキストになります。ユーザーと管理人がネットを通して気持を通じ合えるとしたら、それは言葉の綴りによるものでしょう。 |
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2010年5月上海万博開幕 | |||||||||||||||
日本の文化に大きな影響を与えた中国「上海」で、万博が開幕され混雑混乱ぶりが報じられていて、五年前に地元での愛知万博が思いだされます。 当時は整然と並んで待つ日本人の気の長さを不思議がる外国人がいたそうですが、そのときにHPにUPした5年前「愛知万博Top」の感慨です。 |
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2005年5月エッセイ 愛知万博の日本人の叡智 | |||||||||||||||
さまざまな言語、風貌、さまざまなファッションと習慣を持つ世界中の国々の人が名古屋に集っています。会場への乗り物に乗っただけで日頃見慣れない「外人」さんが目につき、また会場内には至るところに肌と言葉の違うカップル、家族、親子、グループが歩いています。そして外国のパビリオンへ入ればその国の歴史や産業、風習などに触れることができて、海外旅行では味わえない民族の重みを感じることができます。 外国館は巨大映像などが主の先進国と工芸品等の実演、販売が主の後進国とに大別できますが、モノクロ人間の私は後者に興味が湧きます。後者は産業を振興させる機会として自国の特徴とか、民族衣装をまとう現地の店員と「ハウマッチ」の触れがあり、地球という星に住む人間同士の平和と共存の大切さなど「愛、地球博」のテーマと生きているロマンを充分体感できるからです。 それらの得がたい体験が身近でできることは開催国日本人、とりわけ愛知県民にとり幸せなことではないでしょうか。 また暑いなかで長時間並んで待つ人々のなかには、同じ目的を持つ運命共同体や、価値観を共有するような不思議な連帯意識がうまれてきます。苦行も楽しいとばかりに老人に折りたたみ椅子を貸したり、他府県、他国の人々と談笑したりして、人間の和やかな情感、意外性、とりわけ日本人の客人をもてなす茶道のこころ、「もてなしの心」「もののあわれ」な慈しみの情感、万博を成功に導こうとする人間の善意と知恵であることを、行列に並んでいて感じました。 そしてそれらを確かめたくて私は再び出かけることになるのです。 万博に 列なす民の 日永かな 順風 (結局はそのつど当日券を買い8回もでかけました。愛知万博Top) |
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2005.8. 目の見えない従兄弟の万博への想い | |||||||||||||||
岐阜に住む従兄弟のA君は30代の頃に失明しました。現在50代前半ですが生き方が前向きで感心します。法要等で出合うと「ここの庭の広さは、庭木の種類、家の間取り、仏壇の花の色まで身近な人に尋ねている。彼にとっては耳と口、頭脳だけでイメージを作り脳裏に納めておく必要があるわけで、何気なく眺めているわれわれは恥ずかしいくらい記憶が曖昧です。 ある食事の席で横に並んだ妻に「末子さん、聞いてよ、この妹は目が見えるのに万博に『いきたくない』というし、目の見えんわしは行きたくてしかたがないのにどうゆうことやろ?」 介添え人の妹「見えんのに何をしにでかけるの?」兄「雰囲気とか匂いとかイメージはつかめる」 私は彼の研ぎ澄まされた耳や頭脳の感覚と、いろいろなことに興味をもてる人生へのロマン、視力を失った人生を全うしたい気持を理解できた。確かに混雑する会場のざわざわ感、汗の匂い、行きかう人の外国語、子供たちの歓声、外国館の民芸品やインドカレーの匂い、案内係りの『走らないでください』という声、エキゾチックな音楽、迫力ある音響など、健常者でも楽しいのだから彼にとっての現場のイメージは健常者には計りしれない大きなものがあるのだろう。 この話をツツミの客人にすると「こんな近いところに住んでいて暑いとか混むとかめんどくさいと言っているわれわれは罰あたりに思えてくる。」 |
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HP創作と絵画への勧め | |||||||||||||||
「感動という言葉を長いこと感じたことがない。」と知人から聞いた時に、なんと気の毒な人だと思いました。 自然を前にして絵に描きたくなるような景色とよく言いますが、何かに心を動かされて感動し、その感動を伝えたい、ともに分かち合いたい、知ってほしいという気持ちで筆を持つ行動ができれば、残された人生が豊かになることを確約します。 自然以外にも感動は美術展の作品、奈良などの遺跡と歴史、スポーツの熱戦、映画小説、人の善意など無数に存在しますが、人生のなかで自分のこころに感動の泉を持つことは素晴らしいことです。なぜなら感動の対象「地球、社会、他人」を尊敬して愛することができるからです。そして自分も他人を感動させたいという向上心を持ち、学びすととして人生に大きな価値をもたらすものだと考えます。 気にいった作品があればそれを何回も模写したり、美術展に足を運んで自分の目を肥やして自身のステージを高める。スポーツやその他のアートでも同じですが、他人よりうまくなりたかったら自身のハードルを他人より高く設定する。他人よりどれだけ厳しい目を自身の作品に向けられるかで、その人の力量が決まります。 うまく描くことより自分だけしか描けない絵を心掛ける。技術的に上手に描けても、その人なりの思想や個性が表現されていない作品は、芸術的にはあまり意味がありません。また仲間を作ってお互いに切磋琢磨しながら描いたり、そのグループの作品展を開くことなども励みになりますが、一番大事なことは絵を描くことが楽しみになることです。 例えば文化教室に通うことは仲間づくりに良いことですが、教室で描くだけの人「自宅で筆を持たない人」は習う意味がないように感じます(>_<)。自宅の台所に転がっている南瓜や茄子、庭の草花に絵心がもてないことは、教室を脱会したら絵画は終わりになります。人生を豊かにするためには心を動かす何か?健康や生命の尊さや自然の美しさを他人と共有したい、伝えたいと思うことが絵画創作の第一歩です。 この初めの一歩は100歩1.000歩に通じる人生を変えるほどの大きな一歩です。つまり自我を離れた外の世界に関心を持つことで、そうした世界を愛する「他者愛」心の「余裕」が得られます。一本の筆「書画、詩吟、俳句、エッセイ」は、大自然と連帯した大きな世界に通じているのです。 画文交響という日本人の情感文化は、HP創作も同じ延長線上にある新たなArtとして、人生の感動や庶民の情感を表現し創出できるものだと言えます。 またリンクというネットの特徴は創出を無限に広げる可能性を秘めています。 |
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結、情感文化 | |||||||||||||||
「藁屋に名馬つなぎたるごとし」で、乏しさと欠如のなかに繋がれ し名馬は一際愛や生命が気高く輝きます。近代的な豪華な 厩舎に繋がれた名馬よりも純粋なものの価値として眺めようと、 積極的、情感的に美をみいだそうとする日本人の「情感文化」です。 文章には時間を置いて「文脈を整えて推敲する」基本行程がありますが、HPでも同じ行程が必要で、その場合は画像などもあるために 「文画脈を整えてHPを推敲する」ことになります。 当ページをUPしたのは2010年4月22日,現在5月11日でこの間に 30回ほどの更新をしました。当ページの趣旨に沿って作品を 素材として貼り付けましたが、ページの頭から終わりまで繰り 返し目を通すと、やたら不適格な文言や気になる素材がでてきます。 複数の短文エッセイと素材を繋ぎ合わせた当コンテンツが、 一つの作品として体をなしているか、趣旨に沿っているのか、 誤字脱字やリンク先、画像と文脈は滞りなく流れているかなど、 HPにおける推敲を時間を置いて繰り返すことは、文章のように 当コンテンツがある意味を持ち一人歩きして真実の果実をポロリ と落とすことを求めてているのです。 推敲をする過程で次の日本語と私の信条がポロリと生まれました。 (情感文化、情感語、HPの推敲、文画脈,他者愛)ですが、この文言は 日本人の情感と現代のテクノロジーが将来に明るい光を 差すものだと信じています。 昔からのことわざ「言葉は心の使い」「言葉は身の文」は、言葉とはその人のこころを表す使者のようなものという意ですが、現代はHPがこころのの使者です。ユーザーにサイトが好かれることは管理人が好かれることで、その管理人のこころや信念をHPという現代の使者に託して反映させられるのです。 HP内の画像に付ける額縁は文章の余白と同じで見栄え上欠かせ ませんが、画像ソフトなどの「額縁」「フレーム」はどうかすると 元画像に縁が被さって、隅に記したの雅号や署名が見えなくなります。 表を利用した額はそうした欠点はなく縁の広さやカラーは 自由に決められます。 「表の挿入」から挿入した表内で右クリックメニュー「属性の変更」 ⇒「表」⇒「罫線の幅」の右小窓の▲▼で数字10〜20ピクセルに 設定すると幅ができます。その表に色もつければOK。元画像の 大きさに表を合わせることも不要。
以前はメディアにこのようなメッセージを発信できる人は、 特別な立場の人しかできませんでしたが、今日のネット社会は 無能な管理人でも自身のメディアをもち、自身の パフォーマンスを社会に発信でき、その結果ネットを通してユーザー と管理人が価値観を共有できたり、心を通じ合えれば管理人の この上ない喜びになります。
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